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精霊は還る場所を知っている  作者: くおんあづき


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133/164

目を覚ますまで

【精霊は還る場所を知っている】

2026.9.25 47話一挙配信。

毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

その日は朝から、診療所の一室には薬草の匂いが満ちていた。


窓は閉められている。

寝台の周囲には小さな器がいくつも並び、

その中央でアグラディアが一冊の古い本を開いていた。


シャイアはジジの左肩の包帯を外している。

数日前まで鎖骨を越え、左胸へ広がっていた黒紫色の筋は薄くなっていた。


それでも、噛み傷の周囲にはまだ色が残っている。

ガイアは壁際の椅子に座っていた。


「……始めるよ」


アグラディアが言った。

ガイアが顔を上げる。


「俺ここにいていいのか?」


「構わない。ただ、途中で何があっても触らないで」


「……分かった」


「本当に?」


シャイアが振り返る。


「分かったっつってんだろ」


「前みたいになったら外に出すからね」


「ならねぇよ」


返事にいつもの勢いはなかった。


シャイアが一瞬ガイアを見る。


目の下には薄く影ができていた。

長い銀髪も、普段ほど整っていなかった。


それ以上は何も言わず、ジジへ向き直った。

アグラディアが小さな器を手に取る。

中には、濃い緑色の液体が入っていた。


「呪詛は傷を起点に残ってる」


ガイアが寝台を見る。


「毒が身体を弱らせて、その隙に呪詛が入り込んだんだと思う」


アグラディアは布へ液体を含ませた。


「毒はもうほとんど抜けてる。

 だから今なら、呪詛だけを切り離せる可能性が高い」


「……失敗したら?」


アグラディアの手が止まる。


「身体に残る」


「それだけ?」


「それだけでは済まない」


ガイアが黙った。


「もう一度広がる可能性もある。だから今日やる」


「…………」


「大丈夫」


アグラディアがガイアを見る。


「そのために昨日まで待ったんだ」


「……うん」


アグラディアは布を傷へ当てた。

シャイアがジジの腕を支える。


「始めるよ」


「ええ」


アグラディアが目を閉じた。

しばらく何も起こらない。

ガイアは椅子に座ったまま、二人を見ていた。


やがて。


黒紫色の筋の一部が僅かに濃くなった。

ガイアの指が動く。


「……おい」


「動かないで」


シャイアがすぐに言う。


「でも」


「大丈夫だから」


黒紫色の筋が、ゆっくり傷の周囲へ集まり始める。

胸元に残っていた色が薄れる。


鎖骨の下。

肩。

噛み傷の周囲。


逆流するように、一か所へ集まっていく。

アグラディアの額に汗が滲んだ。


「シャイア」


「分かってる」


シャイアが別の器を取る。

中に入っていた白い粉を傷の周囲へ振りかけた。


ジジの指が僅かに動いた。

ガイアが立ち上がる。


「ジジ」


「ガイア」


「今動いた」


「座ってて」


ガイアはその場で止まった。

数秒して、椅子へ戻る。

両手を組んだ。


アグラディアが傷の周囲へ指を置く。

黒紫色がさらに集まる。


傷そのものが黒く見えるほど濃くなった。


「……っ」


ジジの眉が僅かに寄った。

ガイアの身体が前へ傾く。


それでも立たなかった。


「もう少し」


アグラディアが呟く。

シャイアがジジの脈を取る。


「脈は大丈夫」


「良かった」


「続けて」


アグラディアが頷く。

時間が過ぎる。

部屋の中では、誰も余計な言葉を発しなかった。


ガイアは一度も寝台から目を逸らさない。

やがてアグラディアが大きく息を吐いた。


「シャイア」


「ええ」


シャイアが新しい布を取る。

傷へ当てる。

白かった布へ、黒い染みがゆっくりと広がった。


一枚。

二枚。

三枚。


取り替えるたび、染みは薄くなっていく。

最後の布には、ほとんど色がつかなかった。


アグラディアの手が離れる。


「…………」


ガイアが立ち上がった。


「終わった?」


アグラディアはすぐには答えなかった。

ジジの肩を見る。


鎖骨を見る。

胸元へ指を滑らせる。

シャイアも隣から確認している。


「アグラディア」


「待って」


「…………」


アグラディアが傷の周囲へもう一度指を当てた。

目を閉じる。


長い沈黙のあと、息を吐いた。


「……うん」


顔を上げる。


「取り除けた」


ガイアは動かなかった。


「……全部?」


「僕が確認できる範囲には、もう残ってない」


「広がらねぇ?」


「広がらない」


「また出てきたり」


「しないよ」


「本当に?」


「本当」


ガイアの肩が落ちた。

そのまま椅子へ座る。


「……そっか」


両手で顔を覆った。

しばらく、そのままだった。


シャイアが新しい包帯を巻く。


「これで毒も呪詛も処置は終わり」


「…………」


「あとは身体が回復するのを待つだけよ」


ガイアが顔から手を下ろした。


「……起きる?」


「それはジジ次第」


「いつ?」


「分からない」


「…………」


「でも、もう待てるところまで来た」


ガイアは寝台を見た。

ジジは変わらず眠っている。

胸がゆっくり上下していた。


ガイアが手を伸ばす。


指先へ触れる。

温かかった。


「……戻ってきた」


小さく呟く。

その手を握った。


「……よかった」


——————————————————————


昼を過ぎた頃。

扉が開いた。


「どうだ」


バルトが入ってくる。

後ろにはダンテとグリムもいた。

ガイアが椅子から顔を上げる。


「……終わった」


バルトが足を止める。


「何が」


「呪詛」


「取れたのか?」


「ああ」


「全部?」


「アグラディアが、もう残ってねぇって」


ダンテが大きく息を吐いた。


「よかった……」


グリムも頷く。


「そうか」


バルトが寝台を見る。


「じゃあ、あとは?」


「起きるの待つだけ」


「……そうか」


ガイアはまたジジへ視線を戻した。

バルトがその横顔を見る。


「お前」


「ん?」


「寝たか?」


「寝た」


「何時間」


「……知らねぇ」


「飯は?」


「食った」


「何を」


「パン」


「いつ」


ガイアが眉を寄せる。


「お前ら今日それ聞く日なの?」


ダンテが顔を覗き込む。


「お前、何日まともに寝てねぇ?」


「寝てる」


「椅子で気絶してんのは寝てるって言わねぇぞ」


「気絶してねぇよ」


「じゃあ昨日何時間寝た」


「…………」


「ほら見ろ」


ガイアは答えなかった。

ジジの手を握る。

バルトがその様子を見る。


「……怖ぇのか」


「…………」


「離れるの」


ガイアの指が僅かに動いた。


「……別に」


「嘘つけ」


「…………」


「また冷たくなってたら嫌なんだろ」


ガイアが俯いた。

長い銀髪が顔の横へ落ちる。


「……うるせぇよ」


バルトはそれ以上言わなかった。

代わりにガイアの頭を軽く叩いた。


「痛ぇ」


「飯食え」


「分かった」


「寝ろ」


「ここで」


「……好きにしろ」


ダンテが苦笑する。

グリムが小さく笑った。


「元気がないのに、口だけはいつも通りじゃの」


「元気あるわ」


「ないじゃろ」


「あるって」


声に力はなかった。

バルトがそれを聞き、もう一度ため息をついた。


「何かあったら呼べよ」


「ああ」


「お前のこともだぞ」


「……分かったよ」


三人はしばらくジジの様子を見たあと、部屋を出ていった。

扉が閉まる。

ガイアは椅子へ深く座り直した。


「……うるせぇ奴ら」


ジジの手を握る。


「お前が起きねぇから俺が怒られてんぞ」


返事はなかった。


——————————————————————


夕方。


マーサが来た。

ガイアを見るなり、眉を寄せる。


「……ガイア」


「何」


「ちゃんとご飯食べてる?」


ガイアが天井を見る。


「今日それ四回目」


「誰に聞かれたの」


「シャイア、バルト、ダンテ、お前」


「じゃあみんな同じこと思ってるってことじゃない」


「食ってるよ」


「何を」


「パン」


「また?」


「パンに恨みあんのかよ」


マーサがため息をつく。


「またドーラのところ行ってご飯食べてきなよ」


「あとで行く」


「本当に?」


マーサが睨む。

ガイアが目を逸らす。


「……行く」


「もう」


マーサはそれ以上言わなかった。

寝台へ近づく。


「ジジ」


眠る顔を見る。


「呪詛、取れたんだって?」


「ああ」


「よかった……」


マーサが小さく息を吐く。


「じゃあ、もう大丈夫なのね」


「多分」


「多分?」


「シャイアたちは大丈夫って言ってる」


「そっか」


マーサは椅子へ座った。

しばらくジジを見ている。

ガイアも何も言わなかった。


「……早く起きるといいね」


「うん」


「みんな待ってるし」


「うん」


マーサがガイアを見る。


以前のように泣いてはいない。

声を荒げることもない。

ただ椅子に座り、ジジの手を握っている。


「ガイア」


「ん?」


「少しは休んでね」


「……分かった」


「本当に」


「分かったって」


マーサは小さく笑った。


「じゃあ、また明日来るからね」


「ああ」


扉の前まで行き、振り返る。


「ご飯」


「行くよ」


「絶対ね」


「はいはい」


扉が閉まった。


——————————————————————


夜。


ガイアは寝台の横にいた。

灯りは一つだけ残してある。

ジジの手は温かい。


「……マーサ、今日も来てたぞ」


返事はない。


「ほんとお前のこと好きだよな、あいつ」


「…………」


ガイアは椅子の背へ身体を預けた。


「八年だぞ」


ジジを見る。


「すげぇよな」


少し間が空いた。


「……お前、気づいてんのかな」


返事はない。


「気づいてねぇか」


ガイアが小さく息を吐く。


「馬鹿だもんな、お前」


手を握り直す。

もう冷たくない。

その温度を確かめるように、親指が手の甲を撫でた。


「…………」


窓の外を見る。

夜空が広がっている。


「……お前が元気になったら」


そこで一度、言葉が止まった。


「俺、バインス離れるわ」


眠るジジへ視線を戻す。


「今度は東でも行ってみっかな」


「…………」


「あっち、あんま行ったことねぇし」


少し考える。


「ファルコと海沿い飛んでくのも悪くねぇな」


返事はない。


「まあ、いつも通りだよ」


ガイアが笑う。

ほんの少しだけだった。


「俺、元々ふらふらしてっから」


「…………」


「しばらく適当に回ってくる」


その先は言わなかった。

ジジの手を握ったまま、しばらく黙る。


「でも」


ガイアが俯く。


「お前が元気になってからな」


「…………」


「ルナんとこ帰って」


「…………」


「飯食えるようになって」


「…………」


「またギルドで馬鹿みてぇに仕事できるようになったら」


指先に少し力が入った。


「そしたら行く」


ジジは眠ったままだった。


「だから」


ガイアがその顔を見る。


「早く起きろよ」


返事はない。


「みんな待ってんぞ」


少し間を置く。


「……俺も」


ジジの手を握り直した。


「元気になるでは、いるから」


夜風が窓を僅かに鳴らした。

ガイアはそのまま、温かくなった手を離さなかった。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

お読みいただきありがとうございます。

くおんあづきです。

初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。

かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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