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精霊は還る場所を知っている  作者: くおんあづき


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110/144

見たくないもの

【精霊は還る場所を知っている】

2026.9.25 47話一挙配信。

毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

それから数日。


ルナリスの周りでは、本人の意思とは関係のない現象が続くようになった。

最初は、シャイアの診療所だった。

歩行訓練を終えたルナリスへ、シャイアが水を差し出す。


「はい。ゆっくり飲んで」


「うん」


ルナリスは両手で器を受け取った。

その直後だった。


「……冷たい」


「水だから――」


言いかけたシャイアが止まった。

器の縁から、白いものが広がっていく。


ぱき、と小さな音がした。

水面に薄い氷が張り、それが見る間に中心へ伸びていく。


「……アグラディア」


棚の前にいたアグラディアが振り返った。


「どうした?」


「これ」


器を覗き込む。

アグラディアの表情が変わった。


「ルナリス」


「なに?」


「何かした?」


「してないよ」


「水を冷たくしたいって思った?」


「思ってない」


ルナリスは不思議そうに器を持っている。


「お水、どうなったの?」


「凍ってる」


「凍ってる?」


「うん」


「なんで?」


シャイアとアグラディアが顔を見合わせた。

誰も答えられない。

アグラディアは器のそばへ手をかざした。


「……水の精霊が反応したのかな」


「精霊?」


ルナリスが首を傾げる。


「まだ分からないよ」


「ルナ、呼んでないよ」


「うん。分かってる」


「何もしてない」


「そうだね」


アグラディアは凍った水を見つめた。

それが、余計に気になった。


ルナリスは精霊を呼んでいない。

力を借りようともしていない。

そもそも、何かが起こったことすら見えていない。


それでも。

水は凍った。

少しして。

ルナリスが胸元へ手を当てた。


「……どきどきする」


シャイアがすぐにそばへ寄る。


「苦しい?」


「ちょっと」


アグラディアが手首へ指を当てた。

脈が速い。


「座っていようか」


「うん」


しばらくすると、脈は少しずつ落ち着いていった。


「もう大丈夫?」


「うん」


「苦しくない?」


「平気」


ルナリスは凍った器を持ったまま、もう一度聞いた。


「ルナがやったの?」


アグラディアは少し考えた。


「ルナリスがやろうとしてやったわけじゃないよ」


「でも、ルナ持ったら凍った?」


「……そうだね」


ルナリスは黙った。

シャイアが器を受け取る。


「今日はもう水は別の器で飲みましょう」


「うん」


いつもと変わらない返事だった。

けれど、その小さな手はしばらく膝の上から動かなかった。


——————————————————————


翌日。

児童所で本を読んでいたルナリスが、突然顔を上げた。


「……アグラディア」


「何?」


「お空から白いの落ちてる」


アグラディアはすぐに本を閉じた。


「どこ?」


「分かんない」


「知ってる場所?」


「知らない」


「何が見える?」


ルナリスは何もない正面へ顔を向けている。

光を失った瞳は、今いる部屋を映していない。


「大きい建物」


「どんな?」


「お城みたい」


「白いのは?」


「いっぱい降ってる」


「雪かな」


「雪?」


「冷たくて白いやつ」


「……分かんない」


ルナリスは少し首を傾げた。


「見ようとした?」


「してないよ」


「そっか」


白い髪の一部が、ゆっくりと碧色へ変わっていく。

アグラディアはその変化を記録した。


やがて。


「……消えた」


「もう見えない?」


「うん」


その直後。

ルナリスが胸を押さえた。


「また、どきどきする」


アグラディアがすぐに手首へ触れる。


「苦しい?」


「ちょっと」


「ゆっくり息して」


「うん」


以前と同じだった。

千里眼が現れたあと。

脈が速くなる。


けれど、先日の水が凍った時にも同じことが起きた。

アグラディアは黙ったまま、その脈が落ち着くまで待った。


——————————————————————


その日の夕方。

迎えに来たジジが最初に聞いたのは、


「今日は?」


だった。


「千里眼が一回」


「勝手に?」


「うん。本人が見ようとしたわけじゃない」


「動悸は?」


「そのあと一回。すぐ戻ったよ」


ジジの眉が僅かに寄る。


「昨日の水は?」


「今日は何も起きてない」


「……そっか」


ルナリスがジジの手を取った。


「知らないところだった」


「怖かった?」


「ううん。白いのお空から落ちてた」


「そっか」


ジジは小さな手を握り返した。

その日は、それで終わった。


——————————————————————


翌日。


「今日は?」


「動悸が二回」


「二回?」


「うん」


「千里眼は?」


「一回」


「じゃあ、もう一回は?」


アグラディアが少し首を振る。


「分からない」


「分からない?」


「本を読んでただけだった。少なくとも僕には、何も起きたようには見えなかった」


ジジは黙った。


「精霊は?」


「それも分からない」


「……何に反応してんだよ」


「そこを調べてる」


ルナリスはアグラディアの服の裾を指先で触っていた。

ジジがそちらを見る。


「苦しかった?」


「ちょっと」


「今は?」


「大丈夫」


「……そっか」


ルナリスは頷いた。

けれど。

ジジが手を差し出すまで、自分からその場を動こうとはしなかった。


——————————————————————


さらに、その翌日。

児童所の室内で、子供たちが昼食を取っていた。


壁際の燭台。

小さく揺れていた炎が、不意に大きく伸びた。

アグラディアが顔を上げる。

炎がもう一度、大きく揺れる。

天井へ届きそうなほど、細長く伸びた。


「っ、ルナリス!」


アグラディアが椅子を蹴るように立ち上がった。

ルナリスがびくりとする。


「なに?」


「動かないで」


「どうしたの?」


アグラディアが駆け寄り、その身体を抱き上げて燭台から離した。

炎が揺れる。

ルナリスの白い髪の半分ほどが、碧色へ変わっていた。


「アグラディア?」


「大丈夫」


「なに?」


「火が大きくなった」


「火?」


「うん」


ルナリスの表情が固まった。


「……ルナ、何もしてないよ」


「分かってる」


「火、つけてない」


「うん」


「呼んでない」


「分かってるよ」


アグラディアは燭台を見る。

ルナリスを離してから、炎は少しずつ元の大きさへ戻っていた。

火の精霊。

そう考えれば説明はできる。


だが。

ルナリスは何もしていない。

水の時も。

今回も。


「……何で?」


ルナリスが聞く。

アグラディアはすぐには答えられなかった。


「今、調べてる」


「ルナのせい?」


「違うよ」


「でも、ルナがいたから?」


「……」


アグラディアは僅かに言葉を詰まらせた。

その沈黙だけで。

ルナリスには十分だった。


「やっぱりルナ?」


「ルナリス」


「ルナ、何もしてないのに」


「分かってる」


「なんで勝手になるの?」


「……分からない」


小さな手が、アグラディアの服を掴んだ。


「もう大丈夫?」


「ああ。火は戻ったよ」


「ほんと?」


「ほんと」


その日から。

ルナリスは、アグラディアのそばを離れなくなった。


「アグラディア」


「何?」


「どこ行くの?」


「向こうの部屋。書類を取ってくるだけ」


「ルナも行く」


「すぐ戻るよ」


「一緒に行く」


アグラディアは少し黙った。

それから手を差し出す。


「じゃあ行こうか」


「うん」


——————————————————————


「ジジ」


マーサに呼ばれ、ジジが書類から顔を上げた。


「ん」


「それ、さっき終わったやつ」


「……あ?」


手元を見る。

確かに、一度確認した書類だった。


「最近疲れてない?」


「別に」


「ちゃんと寝てる?」


「一応」


「一応って何よ」


「寝てるって」


そう言いながら、ジジは書類を脇へ置いた。

昨夜も二度。

ルナリスの動悸で目を覚ましていた。


その前は一度。

その前の日も。

眠っている途中で、小さな身体が起き上がる気配がすれば、ジジも目を覚ます。


手首へ触れる。

脈を確かめる。

落ち着くまで待つ。

ルナリスが眠れば、また横になる。


朝になればギルドへ来る。

それだけだった。


「今日、鍛錬所行くの?」


「行く」


「休んだら?」


「なんで」


「だから疲れてるから」


「平気」


マーサは何か言いたそうだったが。

ジジは次の書類を取った。


——————————————————————


夕方。

鍛錬所を終えると、そのまま児童所へ向かった。

最近は、歩く速度が少し速い。

自分では気づいていなかった。


「今日は?」


アグラディアを見つけるなり聞く。


「……三回」


ジジの足が止まる。


「何が?」


「千里眼が一回。動悸が三回」


「三回?」


「うん」


「他は?」


「火の精霊が反応した」


ジジの顔が変わった。


「火?」


「燭台の炎が急に大きくなった」


「ルナは?」


「離したらすぐ戻った。怪我もしてない」


「……」


ジジが奥を見る。


「何で火が?」


「分からない」


「この前は水だったよな」


「うん」


「ガイアの時は風の精霊が分かってた」


「そうだね」


「今度は火?」


「……うん」


ジジの眉間に皺が寄る。


「何なんだよ、それ」


アグラディアは答えなかった。

答えられなかった。

しばらくして。


「一つ気になってることはある」


「何?」


「ルナリス自身が、精霊へ何かしてるようには見えない」


「何もしてねぇって言ってる」


「僕もそう思う」


アグラディアは少し言葉を選んだ。


「むしろ、精霊の方がルナリスに反応してる」


ジジが黙る。


「水も?」


「多分」


「火も?」


「多分ね」


「何で?」


「……そこまでは、まだ分からない」


ジジは小さく息を吐いた。


「シャイアは?」


「診てもらった。今は落ち着いてる」


「動悸の原因は?」


「それもまだ」


「……そっか」


少しして。


「ルナは?」


アグラディアの目が僅かに動く。


「今日はずっと僕の近くにいる」


「何で?」


「……自分が怖いんだと思う」


ジジは何も言わなかった。

その日も。

ルナリスの手を引いて帰った。


——————————————————————


その数日後。


ルナリスはアグラディアの隣に座っていた。

椅子に座るアグラディアの服を、片手で掴んだまま。


「今日はここにいるの?」


「いるよ」


「ずっと?」


「そうだよ」


「どっか行く?」


「行かないよ」


「ほんと?」


「うん」


ようやく手が少し緩む。

アグラディアは何も言わず、本へ視線を戻した。

それからしばらくして。


ルナリスの身体が固まった。


「……やだ」


アグラディアが顔を上げる。


「ルナリス?」


「やめて」


すぐに本を閉じる。


「何が見える?」


「……子供」


「どこ?」


「分かんない」


「知ってる子?」


ルナリスが首を振る。


「大人がいる」


「何してる?」


ルナリスの顔が歪んだ。


「叩いてる」


「……」


「子供、泣いてる」


小さな手が震え始める。


「やめて……」


「ルナリス。僕の声聞いて」


「やめてよ……」


「ここにいるよ」


「やめて!」


両手で目元を覆った。

潰された瞳を隠しても。

その光景は消えない。


「見たくない……!」


アグラディアがすぐに抱き寄せる。


「大丈夫。僕の声聞いて」


「怖い……やめて……」


「ここは児童所だよ。僕もいる」


「見える……!」


「うん」


「見たくないのに……!」


「分かってる」


背中をゆっくり撫でる。


「大丈夫。ここにいるから」


どれくらい経ったのか。

ルナリスの身体から、少しずつ力が抜けた。


「……消えた」


「うん」


「もう見えない」


「そっか」


ルナリスが胸元へ手を当てる。

アグラディアはすぐに手首へ触れた。

やはり。

脈は速かった。


「……アグラディア」


「何?」


「離れないで」


「分かった」


そのまま。

ルナリスはしばらく、アグラディアから離れなかった。


——————————————————————


夕方。

ジジが児童所へ着いた時だった。

中へ入ろうとして。

足が止まった。


ルナリスの声が聞こえた。


「アグラディア」


「何?」


「ルナ、これ嫌だ」


ジジの手が扉に触れたまま止まる。


「……嫌だよね」


「見たくないのも見える」


「うん」


「お水も凍った」


「……うん」


「火も大きくなった」


「そうだね」


「ルナ、何もしてないよ」


「分かってる」


少し間が空いた。


「なのに止められない」


ルナリスの声が小さくなる。


「……怖い」


ジジは動かなかった。


「アグラディア」


「何?」


「また違うの来たらどうしよう」


「違うの?」


「うん」


「例えば?」


「分かんない」


「……」


ルナリスの指が服を強く掴む。


「ルナ、目見えないから」


アグラディアは黙って聞いている。


「何が起きたか、分かんない」


「うん」


「お水も、火も、アグラディアが教えてくれた」


「そうだね」


「ジジといる時に何か起きたらどうしよう」


ジジの指が僅かに動いた。


「ルナリス」


「ルナ分かんないまま、ジジ怪我したらどうしよう」


「……」


「ルナが止められなかったら」


声が震える。


「ジジ、怪我したらやだ」


アグラディアはルナリスの背中へ手を置いた。


「今まで、ルナリスが誰かを傷つけたことはないよ」


「でも次は分かんない」


「……そうだね」


「ルナも分かんない」


「うん」


「怖い」


ジジは目を伏せた。

ルナリスが怖がっていることには気づいていた。

アグラディアから離れなくなったことも聞いていた。

それでも。

ここまでだとは思っていなかった。


自分が怖かったのは。

ルナリスに何か起きることだった。

けれど今。

ルナリスは。

自分が誰かを傷つけるかもしれないことを、怖がっている。


「ジジ・ガルシア」


背後から声がした。

振り返る。

レグラスが立っていた。


「……レグラス」


「アグラディアから報告を受けた」


「……」


レグラスは閉じた扉へ視線を向ける。


「精霊の反応が、増えているそうだな」


「うん」


「種類も」


「ああ」


水。

火。

そして以前には、ガイアの風の精霊。

ただ。

風の時だけは違った。

ルナリスは、風の精霊が楽しそうだと言っただけだった。


何かが暴れたわけではない。

レグラスは少し考える。


「動悸も増えていると聞いた」


「ああ」


「明日の午前中、話したいことがある」


ジジが顔を上げる。


「ルナのこと?」


「ああ」


「何か分かった?」


「まだ仮説だ」


「……そっか」


「アグラディアと確認したいこともある」


ジジは一度、扉を見る。


「分かった」


レグラスは頷いた。


「今日は連れて帰れ」


「ああ」


ジジは小さく息を吐いた。

それから扉を開ける。


「ルナ」


「……ジジ!」


いつもの声だった。

さっきまで泣きそうだったことなど、隠すように。

ルナリスが立ち上がる。


「帰るぞ」


「うん」


ジジはいつものように手を差し出した。

けれど。

ルナリスの手が、その途中で止まった。

ほんの一瞬。


「……ルナ?」


「ジジ」


「何?」


「……手、繋いでいい?」


ジジの眉が僅かに寄る。


「何で聞くんだよ」


「また何か起きたら」


「……」


「ジジ、怪我するかも」


ジジは止まっていた小さな手を掴んだ。


「起きたらそん時考える」


「でも」


「今は何も起きてねぇだろ」


「……うん」


「じゃあ帰るぞ」


ルナリスは少し黙ってから。

その手を握り返した。


「……うん」


二人で児童所を出る。

帰り道。

ルナリスはいつもより静かだった。

ジジも。

何も言わなかった。


小さな手だけは。

家に着くまで、一度も離さなかった。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

お読みいただきありがとうございます。

くおんあづきです。

初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。

かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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