出て行けとは言ってない
夕食を食べ終えた頃には、
外はすっかり暗くなっていた。
エレーンが作った根菜の煮込みは
ジジが散々「肉が少ない」と文句を言っていた割に、
鍋の底までほとんど残らなかった。
「……随分食べたわね」
空になった皿を見て、エレーンが言う。
「腹減ってたからな」
「野菜は嫌だと言っていたでしょう」
「肉も入ってた」
「少しだけね」
「だから肉増やせって言ったんだよ」
「次も同じくらいにするわ」
「何でだよ」
エレーンは笑いながら皿を重ねた。
ジジが立ち上がる。
「貸せ」
「何を?」
「洗う」
差し出された手を見て、エレーンが目を瞬く。
「いいわよ。私が作ったのだから」
「作った奴が洗う決まりねぇだろ」
「……そうだけれど」
「早く」
半ば奪うように皿を持っていく。
エレーンは少し呆れながら、その背中を見た。
数日前なら、この男が食器を洗っている姿を見ても
奇妙に思っただろう。
この男の肩書きと、
今目の前にいる男は未だにうまく結びつかない。
「拭くものは?」
「そこ」
ジジが顎で布を示す。
エレーンはそれを取り、洗い終えた皿を受け取った。
いつの間にか、二人で台所に立つことにも
慣れていた。
水の音だけがしばらく続く。
「ねえ」
「ん」
「一つ聞いてもいい?」
「何」
エレーンは皿を拭きながら、少し言葉を選んだ。
「私、いつまでここにいていいの?」
水の音が止まった。
ジジが振り返る。
「何で?」
「何でって……」
「出てくの?」
「そういう話ではないわ」
エレーンは布を置いた。
「ここはあなたの家でしょう」
「ああ」
「私はこの前まで奴隷だった。
それをあなたが買って、勝手についてきて……
今もこうして居座っている」
「勝手についてきたのはそうだな」
「そこだけ拾わないで」
「じゃあ何」
エレーンは少し眉を寄せる。
「普通は期限くらい決めるでしょう」
「決めんの?」
「少なくとも、ずっとというわけにはいかないわ」
「何で」
またそれだ。
ジジは本当に分かっていないらしい。
「……私にもこれからの生活があるでしょう」
「そうだな」
「仕事も探さないといけないし、姉も探したい。
いつまでもあなたの世話になるつもりはないわ」
「別に世話してるつもりねぇけど」
「しているでしょう」
「飯は最近お前が作ってる」
「そういう話じゃないわ」
「庭も任せてるし」
「だから――」
「結構助かってる」
エレーンの言葉が止まった。
ジジは何でもない顔で、また皿を洗い始める。
「……助かってる?」
「ああ」
「私が?」
「俺、庭よく分かんねぇし」
「それは知っているわ」
「飯もうまい」
「…………」
「あとここに帰ったら誰かいるし」
エレーンがジジを見る。
だが本人は、自分が何を言ったのか
気にした様子もなかった。
「だから別に、邪魔じゃねぇ」
「…………」
「出ていけとも言ってないだろ」
あまりにも簡単な言い方だった。
エレーンはしばらく黙っていた。
「……では、いつまで?」
「知らない」
「知らないって」
「出たくなったら出ればいいだろ」
ジジは最後の皿を洗い、エレーンへ渡した。
「行くとこ決まるまでいればいい」
「……そんな適当な」
「何が」
「私はエルフで、あなたは人間よ。
それに数日前会ったばかりのようなものなのに」
「だから?」
「怖くないの?」
今度はジジが黙った。
「私が何か盗むかもしれない。
寝ている間にあなたを襲うかもしれない」
「お前が?俺を?」
「可能性の話よ」
「無理だろ」
「…………」
「俺に勝てねぇじゃん」
エレーンの眉がぴくりと動いた。
「そういう問題ではないわ」
「じゃあ何だよ」
「もう少し警戒心を持ちなさいと言っているの」
「持ってる」
「どこが?」
「危ない奴かどうかくらい分かる」
「数日で?」
「ああ」
「何を根拠に」
ジジは少し考えた。
「勘」
「…………」
エレーンは深くため息をついた。
「六ヶ国最強が勘で生きているなんて
知りたくなかったわ」
「結構当たる」
「なおさら嫌だわ」
ジジが少し笑った。
エレーンも呆れながら、
受け取った最後の皿を拭いた。
台所を片付けた後、
エレーンは居間の窓辺に座っていた。
外では弱い風が木々を揺らしている。
ジジは向かいで剣の鞘を直していた。
「仕事」
エレーンが言う。
「ん?」
「街で探そうと思うの」
「ああ」
「止めないのね」
「何で止めんだよ」
「……そうよね」
自分で聞いておいて、少し笑ってしまう。
「でも何ができるかしら」
「庭のこと詳しいだろ」
「村では皆そのくらい知っていたわ」
「薬草も?」
「多少は」
「じゃあ薬屋とか」
「人間の店がエルフを雇うと思う?」
ジジが手を止めた。
「雇わねぇの?」
「分からない。でも……嫌がる人間もいるでしょう」
「そうか」
軽い返事だった。
否定もしない。
大丈夫だと無責任に励ましもしない。
少し考えた後、ジジが言う。
「何軒か回れば一軒くらいあんじゃねぇの」
「随分楽観的ね」
「なかったら別の探せばいい」
「簡単に言うのね」
「家あんだから、急ぐ必要ねぇし」
エレーンが顔を上げる。
ジジは鞘を見たままだった。
「飯もあるし」
「あなたの家でしょう」
「今はお前も住んでんじゃん」
「…………」
エレーンは何も言えなかった。
数日前。
この男に連れてこられた時、
ここはただの知らない家だった。
逃げようと思えばいつでも逃げられるよう
扉の位置を確認した。
眠る時には、内側から閂をかけた。
今も、閂はかける。
まだ完全に安心しているわけではない。
それなのに。
“今はお前も住んでる”
そう言われただけで、胸の奥が少し温かくなる。
「……変な人」
「またそれ?」
「ええ」
「最近毎日言ってねぇか」
「だって変なのだもの」
「お前も大概」
「どこが?」
「檻から自由にしたのに
監視するとか言ってついてきた」
「それはあなたが怪しかったからでしょう」
「今も?」
エレーンは口を開いた。
すぐには答えなかった。
「……まだ少し」
「少しかよ」
「何? 信用されたいの?」
「別に」
即答だった。
「でしょうね」
エレーンは笑った。
ジジも小さく鼻で笑う。
その夜。
部屋へ戻ったエレーンは
いつものように扉を閉めた。
手を伸ばして、閂に触れる。
「…………」
少し迷う。
結局、今夜も閉めた。
カチリ、と小さな音がする。
まだ、それでいい。
ただ。
以前とは少しだけ違う。
この扉はもう
誰かを締め出すためだけのものではない。
自分で閉めて、朝になれば、自分で開ける。
そうできる場所がある。
今は、それだけで十分だった。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




