精霊の守護神
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
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「私の姉だ」
レグラスの言葉のあと。
誰も、すぐには口を開かなかった。
ジジには、その沈黙の意味が分からない。
レジーナ・ルシーダ。
初めて聞く名前だった。
だが。
シャイアは明らかに驚いていた。
そして、アグラディアも。
「……父上」
最初に声を出したのはアグラディアだった。
「今、姉と仰いましたか?」
「ああ」
「レジーナ・ルシーダが?」
「そうだ」
アグラディアが父を見る。
いつもの柔らかな表情は消えていた。
「では……僕の伯母、ということですか?」
「ああ」
「……」
アグラディアが黙った。
ジジは二人を交互に見る。
「そんな有名な人なのか?」
シャイアがジジを見る。
「有名なんてもんじゃないわ」
「え?」
「エルフなら、知らない者はいないと思う」
「……そんなに?」
ジジはもう一度レグラスを見る。
「何した人?」
レグラスは眠っているルナリスへ視線を向けた。
「レジーナ・ルシーダは、ルシーダ一族に生まれたハイエルフだ」
静かな声だった。
「白い髪と碧色の瞳を持っていた。髪は非常に長く、地に届くほどだった」
「白い髪……」
ジジがルナリスを見る。
レグラスは続ける。
「姉には、他のエルフにはない性質があった」
「どんな?」
レグラスは少しだけ間を置いた。
「精霊に、ひどく好かれていた」
ジジの眉が僅かに動く。
「好かれてた?」
「ああ。特に植物に宿る精霊たちは、姉の周囲へよく集まっていた」
「契約してたってこと?」
「いや」
レグラスは首を振った。
「姉は精霊と契約していない。従えていたわけでもない」
「じゃあ、何で寄ってくる?」
「分からない」
あまりにもあっさりした答えに、ジジが少し眉を寄せる。
レグラスは続けた。
「姉が何かを命じていたわけではない。ただ、精霊の方から近づいてきた」
「精霊を使ってたわけでもない?」
「ああ」
「力借りたりとか」
「少なくとも、私が知る限りではない」
ジジは黙って聞いていた。
シャイアが静かに口を開く。
「だから、そう呼ばれていたの」
「何て?」
「精霊の守護神」
ジジが少しだけ眉を寄せた。
レグラスは否定しなかった。
「姉自身が名乗ったことはない。周囲がそう呼んでいただけだ」
「守護神ねぇ……」
「姉の周囲には、いつも精霊の気配があった」
レグラスの視線が窓の外へ向く。
「そして、とりわけ植物の精霊は姉の感情によく応えた」
「応える?」
「姉が喜んだ時、周囲の花が開くことがあった」
ジジの目が止まった。
レグラスは続ける。
「季節を外れて咲くこともあった。まだ芽吹く時期ではない植物が、姉の近くで芽を出すこともあった」
ジジはゆっくりと庭を見る。
季節を無視して咲いた花。
真昼に開いた月下美人。
そして。
ルナリスが言った言葉。
――ルナ、見たい。
その直後。
植物が一斉に芽吹いた。
「……」
ジジの顔から、少しずつ表情が消えていく。
「姉が無理に咲かせていたわけではない」
レグラスが言う。
「植物の精霊が、姉に応えていた。私はそう思っている」
ジジは眠っているルナリスを見る。
「……ルナと似てる」
「ああ」
レグラスは短く答えた。
「ただし、同じものかどうかは分からない」
ジジが顔を上げる。
「違うのか?」
「それを確かめるために来た」
「……」
レグラスはルナリスへ視線を戻した。
「姉には、もう一つ特徴があった」
「何?」
「髪だ」
ジジが顔を上げる。
「……髪?」
「植物の精霊が強く応えた時、白かった髪が碧色へ変わることがあった」
「……」
誰も何も言わなかった。
ジジが眠っているルナリスを見る。
今は白い。
だが、数時間前。
ルナリスの髪は碧色へ変わった。
アグラディアが小さく息を吐いた。
「父上」
「何だ」
「レジーナは……千里眼も持っていましたよね」
レグラスの視線が息子へ移る。
「ああ」
アグラディアの表情が変わった。
「知っていたのか?」
「いえ。レジーナが父上の姉だとは、今初めて知りました」
アグラディアは少し考えてから続けた。
「ルナリスの千里眼について調べていた時、文献にレジーナ・ルシーダの記録があったんです」
「何が書かれていた」
「遠く離れた場所を見ることができたこと。
それから、壁や遮蔽物の向こう側を見る力があったことです」
「その記録なら正しい」
アグラディアは眠っているルナリスを見る。
「レジーナは、自分の意思で見ることができたんですか?」
「ああ」
「……」
その返事に、アグラディアの目が僅かに細くなる。
「ルナリスと同じ」
ジジがアグラディアを見る。
「この前の人形と、月下美人か」
「うん。今のところはね」
アグラディアが小さく息を吐いた。
「僕が何日も追っていた人が……伯母だったんですね」
「ああ」
短い返事だった。
アグラディアはしばらく何も言わなかった。
自分が文献の中で追っていた名前。
遠い昔の記録に残る、伝説のようなハイエルフ。
それが。
父の姉だった。
「何で今まで教えてくれなかったんですか?」
「必要がなかったからだ」
「……そうですか」
アグラディアはそれ以上聞かなかった。
ジジがレグラスを見る。
「じゃあ、ルナと似てんのは……髪と、千里眼と、花?」
「今のところ確認できているのは、それだけだ」
「精霊のことは?」
「分からない」
レグラスは即答した。
「姉の場合、特に植物の精霊が顕著だった。ルナリスについては、まだ判断するには早い」
ジジは少し黙った。
ガイアの周囲にいた風の精霊。
姿も見えず、声も聞こえないまま。
ルナリスは、その存在に気づいた。
楽しそうだとまで言った。
だが。
それがレジーナと同じものなのか。
それとも、まったく別のものなのか。
今は誰にも分からない。
「今日の花は?」
ジジが聞く。
レグラスは庭を見る。
「姉と似た現象ではある」
「でも、同じとは言い切れない?」
「ああ」
ジジは小さく息を吐いた。
「分かんねぇことばっか増えるな」
「そうだな」
レグラスの声は静かだった。
少し間を置いて。
ジジがもう一つ聞く。
「何で月下美人なんだ?」
レグラスの目が止まる。
「姉の紋章だった」
「……え?」
「レジーナ・ルシーダを示す花が、月下美人だ」
ジジは何も言わなかった。
「姉についてもう少し話す必要がある」
「……話せ」
ジジはルナリスの手を握り直した。
レグラスは少しだけ目を伏せた。
「姉は、ルシーダ家の中でも特別な存在だった」
その千里眼。
精霊に愛される性質。
そして、周囲で起こる不思議な現象。
生まれた時から、多くの者に囲まれていた。
守る者。
教える者。
その力を記録する者。
千里眼を求めて訪れる者。
精霊との関わりを調べようとする者。
本人が望むかどうかに関係なく。
レジーナ・ルシーダという存在は、個人である前に、ルシーダ一族の象徴として扱われた。
「姉は、それを嫌っていた」
「嫌だったのか?」
「そうだ」
「何で?」
「自分だけが特別に扱われることを好まなかった」
レグラスの声が僅かに柔らかくなる。
「精霊も、人も、エルフも。姉にとっては、大きな違いがなかったのだろう」
レジーナは外の世界へ興味を持った。
人間の町。
異なる土地に暮らすエルフ。
精霊とほとんど関わらず生きる人々。
自分が育った場所では知ることのできないものを、知りたがった。
「姉がよく言っていた」
レグラスが窓の外を見る。
「なぜ、人間とエルフは別々に生きなければならないのか、と」
ジジは黙っている。
「当時は、今以上に両者の隔たりが大きかった。
エルフが人間を信用しないことも、人間がエルフを恐れることも珍しくなかった」
レグラスは静かに続けた。
「それでも姉は、人間とエルフが共に生きられる世界は作れると信じていた」
「……変わったやつだったんだな」
「そうだな」
ほんの僅かに。
レグラスの口元が緩んだ。
「昔から、変わった姉だった」
その表情を見て。
ジジは初めて。
目の前の六ヶ国同盟国議長が話しているのが、伝説のハイエルフではなく。
自分の姉なのだと感じた。
「その頃、姉には一人の友人がいた」
「友人?」
「ああ」
レグラスがジジを見る。
「お前もよく知っている」
「俺?」
「マリアだ」
ジジの目が僅かに開いた。
「……マリア?」
「ああ」
「レジーナと?」
「若い頃からの友人だった」
ジジは少し考える。
マリア。
薬草。
森の小屋。
庭。
そして、いつも何かを書いていた机。
「姉が外へ出るようになってからも、二人は手紙を交わしていた」
「手紙……」
「長い間な」
研究の話。
薬草の話。
旅先で見つけた植物。
エルフのこと。
人間のこと。
どうでもいい日常のことまで。
二人の手紙は何百年も続いた。
「その手紙の一部は、今も私が持っている」
ジジがレグラスを見る。
「マリアが書いたやつ?」
「ああ」
レグラスは頷いた。
「そこには、お前のことも書かれている」
「……俺?」
ジジが自分を指す。
「何で俺?」
「マリアの庭から実を盗んだそうだな」
「……」
シャイアがジジを見る。
アグラディアも見る。
「……五歳の時な」
「マリアは私以外にもあなたのこと教えていたのね」
ジジが少しむっとする。
レグラスは続けた。
「痩せた、小さな泥棒が庭へ入るようになった、と書いてあった」
「……マリア」
「その後も何度か、お前のことは手紙に出てくる」
「何て?」
「生意気だが、物覚えは悪くない。植物の名前を覚え始めた。エルフ語にも興味を持っている」
ジジが黙る。
「姉は、お前の存在を知っていた」
「手紙だけで?」
「ああ」
ジジは何となく落ち着かない顔をした。
自分の知らないところで。
会ったこともないエルフが。
マリアの手紙を通して、自分を知っていた。
「姉は、お前がどこの孤児院にいるかも知っていたはずだ」
その言葉に。
ジジの目が僅かに動いた。
「……何で?」
「マリアが、自分の暮らしている場所について書いている。
その近くの孤児院から来る少年だということもな」
「……」
ジジの視線が、眠るルナリスへ落ちる。
何かが。
胸の奥で引っかかった。
だが、まだ形にならない。
レグラスが続ける。
「やがて、姉は一人の人間と出会った」
空気が少し変わった。
「人間?」
「ああ」
レグラスの表情から、先ほどまで僅かにあった柔らかさが消えた。
「ハイファーという男だ」
ジジはその名を知らない。
「誰?」
「当時、ある国の王族に連なる男だった」
レグラスの声が低くなる。
「姉は、その男を信じた」
誰も口を挟まない。
「だが、ハイファーが姉へ近づいた理由は、姉が信じたものとは違っていた」
ジジの眉が寄る。
「……利用したってことか?」
「そうだ」
「何に?」
レグラスは一瞬だけ黙った。
「姉がハイエルフであること。そして、姉が持つ力だ」
「……」
「ハイファーにとって、姉は愛する相手ではなく、自らの目的を叶えるために利用できる存在だった」
それ以上、レグラスは細かく語らなかった。
ただ。
レジーナがその事実を知った時には。
すでに、戻るには遅かった。
「姉は逃げた」
レグラスが言う。
「その後、十八年前に命を落とした」
ジジの手が止まる。
「……十八年前?」
「ああ」
ジジは眠っているルナリスを見る。
白い髪。
千里眼。
花。
月下美人。
十八年前。
「……待て」
誰も何も言わない。
ジジの視線が、ルナリスからレグラスへ戻る。
「レジーナって……子供いたのか?」
レグラスの表情が僅かに変わる。
「……知らない」
「知らない?」
「姉に子がいたという記録はない」
シャイアもアグラディアも黙る。
ジジがルナリスの手を握り直す。
「じゃあ……」
レグラスも、眠るルナリスを見る。
「私にも、まだ分からない」
ジジの手が止まった。
眠っているルナリスの小さな指を握ったまま。
何も言わなかった。
ただ。
眠っているルナリスを見た。
十八年前。
その数字だけが。
妙に耳に残った。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




