真昼に咲く月下美人
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。
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児童所へ通い始めてから、ルナリスはすっかり生活に慣れていた。
午前は児童所。
午後になれば、そのまま近くにあるシャイアの診療所へ行き、歩く練習をする。
ジジはギルドで雑務と鍛錬所の稽古をしている。
毎日、だいたい同じ流れだった。
「ルナリス、こっちよ」
「うん!」
児童所の庭で、ララノアが呼ぶ。
ルナリスは声を頼りに歩いていった。
庭にはララノアが育てている植物が並んでいる。
花や薬草、小さな木。
まだ芽を出していないものもあれば、蕾をつけたものもある。
ルナリスはここが好きだった。
目は見えなくても、匂いがある。
葉に触れれば、形も感触も違う。
ララノアはそれを一つずつ教えてくれる。
少し離れた場所では、アグラディアが本を開いていた。
時折顔を上げては、ララノアとルナリスの様子を見ている。
「今日は何?」
「今日はこれにしましょうか」
ララノアが一つの鉢の前でしゃがんだ。
「手を出して」
「こう?」
「ええ。もう少し前」
ルナリスの手を取り、大きな葉へ触れさせる。
「大きい」
「でしょう?」
「つるつるしてる」
ルナリスが葉を撫でる。
その先へ指を伸ばしたところで、ララノアがそっと止めた。
「そこはまだ触らないであげて」
「なんで?」
「これから花が咲くところだから」
「何のお花?」
「月下美人よ」
ルナリスの手が止まった。
少し離れた場所にいたアグラディアも、本から顔を上げる。
「げっかびじん?」
「ええ」
「ルナ、知ってる」
「知ってるの?」
「うん」
ララノアが少し驚く。
「見たことある?」
「分かんない。でも名前知ってる」
「誰かに聞いたの?」
「ジジ。ルナの赤ちゃんの時のお花」
アグラディアが静かに本を閉じた。
ララノアは蕾を見る。
「そうなのね」
「どんなお花?」
「白くて、とても大きな花よ」
「いつ咲く?」
「夜ね。でも、この子が咲くのはもう少し先よ」
「そっか」
ルナリスが少し残念そうに言う。
「咲いたら教えてあげる」
「ほんと?」
「もちろん」
ルナリスはもう一度、葉へ触れた。
「ルナ、見たい」
小さく呟く。
「月下美人、見たい」
ふわりと。
白い髪が揺れた。
ララノアが顔を上げる。
「……風?」
風は吹いていない。
それなのに、ルナリスの髪だけが揺れている。
アグラディアが立ち上がった。
「ルナリス?」
返事はない。
月下美人へ顔を向けたまま動かない。
「ルナリス」
その髪に、色が混じった。
白かった髪が、根元からゆっくりと碧色へ変わっていく。
アグラディアの足が止まった。
ララノアも息を呑む。
二人の視線が一瞬だけ重なった。
次の瞬間。
強い風が庭を駆け抜けた。
「きゃー!」
子供たちの声が上がる。
窓から児童所の中へ吹き込み、机の上の紙が舞った。
「風!」
「すごい!」
子供たちが騒ぎ始める。
だが、ララノアは別のものを見ていた。
「……アグラディア」
土が動いている。
まだ何もなかった鉢から、芽が出る。
茎が伸びる。
葉が開く。
一つ。
また一つ。
庭中の植物が一斉に成長し始めた。
「お花!」
子供の一人が声を上げた。
蕾が次々と開いていく。
「こっちも!」
「いっぱい咲いた!」
季節の違う花まで咲き始め、子供たちは大喜びだった。
その中心で。
ルナリスの髪は完全に碧色へ変わっていた。
「ルナリス」
アグラディアが近づく。
「聞こえる?」
「……うん」
「何か見える?」
「見える」
「何が?」
「お花」
ルナリスが月下美人へ手を伸ばした。
その指先の向こうで。
まだ固く閉じていた蕾が、ゆっくりと開き始める。
ララノアの目が見開かれた。
「……そんな」
一枚。
また一枚。
白い花弁が開いていく。
真昼だった。
咲く時間ではない。
そもそも、この蕾が開くのはまだ先だった。
それでも月下美人は、ルナリスの前で完全に花開いた。
「……白い」
「見えてる?」
「うん」
ルナリスが笑う。
「きれい」
「月下美人が見える?」
「うん。大きい」
アグラディアはルナリスの顔を見つめた。
「他には?」
「いっぱい……赤いのも、黄色いのも……」
声が弱くなった。
「ルナリス?」
「……ん」
「もういいよ」
「でも……見える」
「うん。分かったから、もう見なくていい」
ルナリスの身体が揺れた。
「ルナリス!」
ララノアが咄嗟に抱き留める。
その腕の中で、ルナリスの身体から力が抜けた。
「ルナリス!」
アグラディアが駆け寄る。
頬へ触れる。
「聞こえる?」
返事がない。
首筋へ指を当てる。
「……脈が速い」
「呼吸は?」
「してる。でも――」
アグラディアが顔を上げた。
「シャイアを呼んできて!」
近くにいた職員が走り出す。
アグラディアがもう一人を見る。
「ギルドへ行って、ジジも呼んできて。今すぐ」
「分かりました!」
二人が同時に走り出した。
風が少しずつ弱まっていく。
ルナリスの碧色の髪も、ゆっくり白へ戻り始めていた。
さっきまで喜んでいた子供たちも、静かになっている。
アグラディアはもう一度脈を確認した。
「ルナリス。大丈夫だからね」
返事はなかった。
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「これ、どこ?」
「そっちじゃなくてこっち」
「分かんねぇよ」
「昨日もやったでしょ」
「覚えてない」
「もう」
マーサがジジの前から書類を一枚取った。
「これは依頼完了の方」
「じゃあこっち?」
「そう」
「最初から言えよ」
「言ったわよ」
ギルドの受付奥。
ジジは朝から、いつものように雑務を手伝っていた。
午後になれば鍛錬所へ行く。
ルナリスはその頃には児童所を終えて、シャイアのところにいるはずだった。
「次これ?」
「そう。それが終わったら――」
ギルドの扉が勢いよく開いた。
「ジジ・ガルシアさん!」
ジジが振り返る。
息を切らしたエルフ。
児童所の職員だった。
その顔を見た瞬間、ジジが立ち上がった。
「ルナ?」
「はい、ルナリスが――」
ジジは机の横に置いていた剣を掴んだ。
「どこ」
「児童所です。急に意識を失って――」
もう走り出していた。
「ジジ!」
マーサの声に、一度だけ振り返る。
「行って!」
「わりぃ」
ギルドを飛び出す。
何があった。
分からない。
怪我か。
千里眼か。
足か。
頭の中に次々浮かぶ。
児童所から職員がわざわざギルドまで走ってきた。
何もないわけがない。
「……っ」
人を避け、通りを走る。
十五年前の光景が一瞬だけ頭を過った。
炎。
馬車。
遠ざかっていく声。
振り払う。
今はいる。
ルナは児童所にいる。
扉を開ける。
「ルナ!」
最初に見えたのは、長椅子に横たわる白い髪だった。
シャイアがその傍らで診ている。
ジジが駆け寄った。
「ルナ」
手を取る。
温かい。
「ジジ」
「何があった」
「大丈夫。まず聞いて」
「意識ねぇじゃん!」
ジジが焦って声色が強くなった。
「脈はまだ速い。でも呼吸は安定してる」
「何でこうなった」
「それは僕から話す」
アグラディアが言った。
「僕も最初から見てた」
ジジはルナリスの手を握ったまま、アグラディアを見る。
「何があった」
「ララノアと月下美人を見てたんだ」
「月下美人?」
「ルナリスが、見たいって言った」
アグラディアは順番に話した。
髪が碧色へ変わったこと。
突然、風が吹いたこと。
植物が一斉に成長したこと。
そして、ルナリスには花が見えていたこと。
「千里眼か?」
「たぶん。それも発現してた」
「それ…も?」
アグラディアが黙る。
ジジが初めて周囲を見た。
「……なんだこれ」
庭中に花が咲いていた。
季節の違うものまで入り混じっている。
ララノアが、一つの鉢の前に立っていた。
そこには大きな白い花が開いている。
ジジの目が止まった。
「……月下美人?」
「ええ」
「これ、夜咲くやつだろ?」
「そうよ」
「今、昼じゃん」
「それだけじゃないわ。この蕾が咲くのはまだ先だった」
ジジが黙った。
「これもルナが?」
「ルナリスが見たいと言った直後よ」
ジジはもう一度、眠っているルナリスを見る。
「千里眼使ったからか?」
アグラディアが静かに首を振った。
「千里眼だけで、植物は咲かないよ」
「……」
「ジジ」
シャイアが呼ぶ。
「今は身体を休ませましょう。脈も少しずつ落ち着いてきてる」
「……ああ」
ジジは長椅子の横へ座った。
ルナリスの手を握る。
足は戻った。
歩けるようになった。
あとは目だけだと思っていた。
千里眼のことだって、少しずつ分かっていけばいいと思っていた。
なのに。
また、知らないものが出てきた。
「……ルナ、大丈夫なんだよな?」
「今は大丈夫」
シャイアが答えた。
ジジは小さく頷いた。
そのすぐそばで。
真昼に咲いた月下美人が、静かに白い花を開いていた。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




