第3話 バージンロードの向こう側
「……ううっ、うおおおおん……ッ!」
ジューンブライドの季節。天井の高い厳かなチャペルに、パイプオルガンの音色をかき消さんばかりの、むせび泣く声が響き渡っていた。
ハンカチを目元に強く押し当て、肩を激しく上下させているのは、私の隣に座る我が夫――大和である。
まだ新郎新婦が入場すらしていない、ただの待ち時間である。
「大和、声がデカい。まだ誰も歩いてないから」
「だ、だってよお……結衣ぃ……ッ! あの鼻垂れ小僧だった香織が、結婚だぞ!? 白いドレス着て、別の男のところに行くんだぞ!? こんなの、泣かない方が人間としておかしいだろぅゥ……!」
「おかしくないわよ。ほら、前の席の新郎のご両親が、さっきから『え? あの方どなた?』って顔でこっち見てるから。ちょっと静かにして」
私は呆れ半分、微笑ましさ半分で、大和の背中をポンポンと叩いた。
香織さんに恋人ができてから、約一年。
お相手の男性は、誠実を絵に描いたようなシステムエンジニアの「星一さん」という人だった。
香織さんから紹介された日、大和は星一さんを居酒屋に呼び出し、「香織を泣かせたら、俺がタダじゃおかねえからな!」と、昭和の頑固親父のようなセリフを本気でぶちかましていた。
あの時は、私と香織さんで大和の両脇を固め、静かに脛を蹴って黙らせたのも、今では良い思い出だ。
『新郎新婦の、ご入場です』
式場のスタッフの美しい声と共に、チャペルの大きな扉が開いた。
眩しい光の向こうから、純白のウェディングドレスに身を包んだ香織さんが、お父さんと腕を組んで一歩一歩進んでくる。
その姿は、普段の「大和のやらかし被害者の会・副会長」としての姿が嘘のように、息を呑むほど綺麗だった。
「ひっ……ふぐぅっ……香織ぃぃぃ!!」
その瞬間、大和の涙腺が完全決壊した。
滝のように流れる涙。鼻をすするズビズビという重低音。
バージンロードを歩いていた香織さんが、その異音に気づいてチラリとゲスト席の私たちを見た。
大和の限界突破した号泣フェイスが目に入った瞬間、香織さんの美しい横顔がフッと歪んだ。
感動で泣きそうになったのではない。耐えきれずに、爆笑しそうになったのだ。
香織さんは「ちょっと大和、泣きすぎだから! 私の感動のシーンを返して!」と言わんばかりに、ドレスの裾を揺らしながら肩を震わせて笑っている。
その様子を見て、私もついに我慢できなくなり、クスクスと声をあげて笑ってしまった。
一方、祭壇の前で新婦を待つ新郎の星一さんはというと。
入場してきた愛しの花嫁よりも、その後ろの席で親の敵のように大号泣している大和(大柄)の圧倒的な熱量に完全に気圧され、若干引き気味になっていた。
本当に、世界一締まりがなくて、世界一温かい結婚式だった。
*
「いやー、本当に素晴らしい式だったな! 星一さんもいい奴だし、香織は幸せになるぞ!」
数時間後。披露宴も無事に終わり、式場のロビーで、私たちは香織さん夫婦を見送るために待っていた。
大和の目は、泣きすぎてすっかり真っ赤に腫れ上がっている。
「大和、本当にお疲れ様。あなたのせいで、新郎のお父さんより目立ってたわよ」
「しょうがないだろ、感極まっちゃったんだから。あ、来たぞ!」
ロビーの向こうから、お色直しのカラードレスを着た香織さんと、タキシード姿の星一さんが歩いてきた。
香織さんは私たちを見つけるなり、ドレスの裾をたくし上げてドカドカと突進してきた。
「ちょっと大和ぁぁぁ!」
「うおっ!? なんだよ香織、改めて結婚おめ――」
「おめでとうじゃないわよ! あんたのせいで、私バージンロード歩きながら笑い堪えるの必死だったんだからね!? メイク崩れたらどうすんのよ!」
「仕様がねえだろ! 綺麗だったから感動しちまったんだよ!」
ぷんぷんと怒る香織さんだが、その顔は本当に嬉そうだ。
星一さんは苦笑いしながら、大和に一礼した。
「大和さん、本日はありがとうございました。香織から、大和さんには昔から本当に助けられてきたと聞いています。これからは、僕が彼女を全力で支えますので、安心してください」
星一さんの真っ直ぐな言葉に、大和は一瞬、ハッとしたような顔をした。
いつもなら「おう! 頼んだぞ!」と上から目線で言いそうなものだが、大和は少し照れくさそうに頭を掻きながら、星一さんの手をがっしりと握った。
「……おう。星一さん、香織をよろしくな。こいつ、ワガママだし、虫出たらすぐ騒ぐけど……本当にいい奴だから」
「はい、よく知っています」
星一さんは優しく微笑んだ。
私はその光景を、一歩引いたところから見つめていた。
香織さんは私の隣にトコトコと歩み寄ってきて、そっと腕を絡めてきた。
「結衣さん。……本当に、ありがとう」
「え? 私、何もしてないわよ?」
「ううん。結衣さんが、大和のあの異常な過保護を笑って許して、私とも友達になってくれたから、私はこうして何の後腐れもなく幸せになれたの。……もし、結衣さんが、私を嫌って大和を縛り付けてたら、私、きっと申し訳なくて結婚式に二人を呼べなかったと思う」
香織さんの言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「ううん、私の方こそ感謝してるの。大和のあのデカすぎるエネルギーを、一人で受け止めるのは大変だから。香織さんがいてくれて、本当に良かった」
「あはは! これからは星一さんにも分散されますからね。三人で、あのゴリラの被害を受け止めましょう!」
「おい、またゴリラって言ったな!?」
大和が星一さんとの男の約束を終えて、こちらに振り返る。
「結衣、香織がまた俺の悪口言ってる!」
「大和、香織さんは真実を述べてるだけよ」
「結衣さん正論!!」
ロビーに、私たちの笑い声が響き渡る。
誰かの幸せを、全員が自分のことのように喜び、笑い合える。
「夫婦」と「幼馴染」という、一見すると危うい関係だった私たちは、今、確実に新しい、もっと大きな家族のような形へと進化していた。
けれど、この結婚式を境に、大和の行動に「ある大きな変化」が訪れることを、この時の私はまだ知らなかった。
(第3話・了)




