『再会』
夜明けの空はまだ薄青く、昨夜から降り続いていた雨も、ようやく小降りになっていた。
迅は宿を出ると、軒下で伏せていたフォルのもとへ向かった。
「待たせたな」
「ワウ」
フォルはすぐに身体を起こし、濡れた地面へ鼻先を近づけた。
昨夜、この街で聞いた話では、ルシェラは悪魔族だと知られ、拒絶されたうえに石まで投げられたという。
そして、そのまま一人で雨の森へ入っていった。
昨夜から降り続く雨で、痕跡がどこまで残っているかは分からない。
それでも、もうここで立ち止まっている理由はなかった。
「行こう。少しでも早く追いつく」
「ワウ!」
迅が歩き出すと、フォルもすぐ隣へ並んだ。
街の外れへ近づくにつれて建物は減り、代わりに湿った土と森の匂いが濃くなっていく。
門の向こうには、朝霧に包まれた深い森が広がっていた。
「…………」
迅は、その奥を見据える。
(今度こそ追いつく)
なぜルシェラが何も言わずにいなくなったのか。
どうして一人でエルフ領へ向かったのか。
その理由は、まだ何も分からない。
だからこそ、本人に聞く。
昨夜、そう決めた。
その時だった。
「グルル……」
「……?」
フォルが突然足を止めた。
「どうした?」
白い耳をぴんと立て、迅たちが歩いてきた道の方を睨んでいる。
やがて霧の向こうから、いくつもの足音が聞こえてきた。
一人ではない。
複数。
「…………」
迅も自然と腰の黒剣へ手を伸ばす。
だが。
「――迅!!」
「……え?」
聞き覚えのある声だった。
次の瞬間。
朝霧の向こうから、赤い髪が飛び出してきた。
「迅――っ!!」
「リリィ?」
迅がその名を呼んだ時には、もう遅かった。
リリィは泥を跳ね上げながら駆け寄り、その勢いのまま迅の胸へ飛び込んだ。
「ばかっ!!」
「うわっ!」
「ほんっとに……ほんっとに探したんだから!!」
胸元へ顔を押しつけたまま、リリィが叫ぶ。
「どこ行ってたの! 死んだかと思ったんだよ!」
「いや……生きてるけど」
「見れば分かるよ!」
「じゃあ言わなくても――」
「そういうことじゃない!」
拳が迅の胸を何度も叩く。
それほど強くはない。
けれど、その手が僅かに震えているのを感じて、迅もようやくどれほど心配を掛けたのかを実感した。
「……悪かった」
少し迷ったあと、迅はリリィの頭へそっと手を置いた。
「心配かけた」
「遅いよ……」
リリィが小さく鼻をすすった。
その時。
「グルルル……」
「ひゃっ!?」
すぐ横から低い唸り声が聞こえ、リリィが勢いよく迅から離れた。
フォルが身体を低くし、警戒するようにリリィを見ている。
突然知らない人間が迅へ飛びついてきたのだから、当然の反応だった。
「ちょ、ちょっと迅! この子なに!?」
「フォル、大丈夫」
迅が白い頭へ手を置く。
「仲間だよ」
「…………」
フォルはしばらくリリィを見つめた。
やがて鼻先を近づけ、匂いを確認する。
「え、ちょっと。匂い嗅がれてる?」
「多分、敵じゃないか確認してる」
「私、迅の仲間なんだけど!」
そんなやり取りをしていると、霧の中からさらに三人が姿を現した。
「……無事だったか」
「ガルド」
ガルドは迅の前まで歩いてくると、何も言わずに肩を拳で軽く叩いた。
「……殴られるかと思った」
「殴りたい」
「やっぱり?」
「だが」
ガルドは一度、大きく息を吐いた。
「生きていてよかった」
それだけだった。
けれど、迅には十分だった。
「うん。ありがとう」
「迅が無事だったことは喜ばしいですね」
続いてルーナが前へ出る。
雨を避けるため外套を纏っているが、その背からは二対の羽が僅かに覗いていた。
「ただし、リリィが道中ずっと『迅が死んでたらどうしよう』と騒いでいたので、非常に疲れました」
「ルーナ!」
「事実です」
「今それ言う!?」
迅が思わず笑った。
ほんの僅かだったが、ずっと胸の奥へ張りつめていたものが緩む。
そして最後に、一人の男が霧の中から現れた。
「師匠……」
「久しぶりだな」
ヴァロスだった。
無精髭。
使い込まれた外套。
こちらを見据える鋭い灰色の目。
以前と何も変わらない姿を見て、迅は自然と背筋を伸ばした。
「……すみません。心配かけました」
「謝るくらいなら、最初から心配させるな」
「……はい」
ヴァロスはしばらく迅を見つめた。
次に、腰の黒剣へ目を向ける。
そして再び迅の顔を見る。
「色々あった顔をしている」
「…………」
「話はあとでいい」
それだけ言うと、ヴァロスはそれ以上何も尋ねなかった。
◇ ◇ ◇
「それで」
リリィが目元を拭いながら尋ねる。
「迅、こんなところで何してるの?」
「私たちはずっと迅の足取りを追ってきたんだから。グラドたちの村も、神殿のあった街も、聖王国も」
ルーナも続ける。
「聖王国では、あなたが銀髪の少女と行動していたことも聞きました」
「……ルシェラ」
その名前を口にした瞬間、迅の表情から笑みが消えた。
フォルも反応し、森の方へ顔を向ける。
「迅?」
リリィも、その変化に気づいた。
「どうしたの?」
「…………」
迅は一瞬だけ迷った。
最初からすべて説明すれば、それなりに時間がかかる。
今は一刻でも早くルシェラを追いたかった。
「……悪い」
「え?」
「詳しい話は歩きながらする」
迅は朝霧に包まれた森へ視線を向けた。
「今は、ルシェラを追いたい」
リリィの表情が変わる。
「追うって……どういうこと?」
「いなくなったんだ」
「……え?」
「何も言わずに、一人で出ていった」
迅は静かに続ける。
「フォルと痕跡を追って、ここまで来た。この街にも来てた。でも、もう街にはいない」
「…………」
「昨日、この先の雨の森へ入ったらしい」
なぜルシェラが消えたのか。
その理由は、迅自身にも分かっていない。
今ここで推測を並べても意味はなかった。
「だから、まず追いつきたい」
「…………」
リリィは何かを尋ねようとした。
だが、迅の表情を見ると、その言葉を飲み込んだ。
「……急いでるんだね」
「ああ」
「分かった」
返事は早かった。
「行こう」
「リリィ?」
「話は歩きながら聞く」
リリィは背負っていた杖を握り直す。
「せっかく追いついたのに、また迅だけ先に行かせるわけないでしょ」
「…………」
ガルドも当然のように斧を背負い直した。
「俺も行く」
ルーナは森の奥を見ながら頷く。
「状況はまだほとんど分かりません。だからこそ、一人で探すより人数がいた方がいいでしょう」
迅は最後にヴァロスを見る。
「師匠は?」
「聞く必要があるか?」
「……ないですね」
ヴァロスが小さく鼻を鳴らした。
「…………」
フォルは新たに加わった四人を順番に見回していた。
リリィが恐る恐る、その前へしゃがむ。
「フォル、だっけ?」
「…………」
「よろしくね」
そっと手を差し出す。
フォルは一度その手の匂いを嗅いだ。
そして。
ぷい。
顔を横へ逸らした。
「えっ」
「嫌われた?」
迅が思わず笑う。
「違うよね!? ねえ、フォル!」
「ワウ」
「どっち!?」
ほんの一瞬だけ。
昔と変わらない空気が戻った。
「…………」
迅は四人を見る。
リリィ。
ガルド。
ルーナ。
そしてヴァロス。
ずっと一緒に旅をしてきた仲間たち。
まさかエルフ領の端で再会することになるとは、少し前まで想像もしていなかった。
「……助かる」
自然と、その言葉が出た。
ヴァロスが迅を見る。
「なら前を見ろ」
「はい」
フォルが雨の森へ向かって歩き出す。
迅もその隣へ並んだ。
「行こう」
今度は一人ではない。
再会をゆっくり喜ぶ時間は、まだなかった。
迅たちは朝霧の中へ踏み込み、ルシェラの残した痕跡を追って森の奥へ進んでいく。
この先でルシェラが何を思い、どこへ向かったのか。
そして、すでに何が起きているのか。
迅たちは、まだ何も知らなかった。




