『旅をする理由』
雨に濡れた森を、六つの影が進んでいく。
先頭を歩くのはフォルだった。鼻先を地面へ近づけ、雨の中に僅かに残った匂いを辿っている。
そのすぐ後ろを迅が歩き、リリィたち四人も遅れずについてきていた。
「迅」
しばらく進んだところで、ルーナが声を掛けた。
「そろそろ説明してください」
「ああ」
「聖王国で聞いた話だけでは、分からないことが多すぎます」
隣を歩くリリィも迅を見る。
「私たち、ルシェラが『大厄災の悪魔』って呼ばれてたことは聞いたよ。それに、聖王国の人たちを守ったことも」
そこで少しだけ言葉に迷う。
「でも……迅がどうしてルシェラと一緒に旅してたのかは知らない」
「…………」
迅は歩みを止めなかった。
フォルの白い背中を追いながら、一度だけ息を吐く。
「分かった。最初から話す」
◇ ◇ ◇
「俺がルシェラと出会ったのは、黒淵の奈落の最下層だ」
「最下層……」
リリィの表情が僅かに強張った。
迅が黒淵の奈落へ落ち、そこから生還したことは知っている。
だが、その中で何があったのかまでは聞いていなかった。
「そこで、セリウスっていう黒い騎士に会った」
「セリウス?」
「ああ。三百年前、ルシェラを守っていた人だ」
ヴァロスだけは口を挟まず、静かに話を聞いている。
「セリウスは最後に、この黒剣を俺へ託した」
迅は腰に下げた黒剣へ視線を落とした。
「それと、ルシェラを頼むって言った」
「……それで?」
「その先で、封印されてたルシェラを見つけた」
ガルドが眉を寄せる。
「三百年間、封印されていたのか?」
「そうらしい」
迅は、目覚めたばかりのルシェラを思い出した。
赤い瞳。
自分へ向けられた強い警戒。
そして、セリウスがもういないと知った時の、怒りとも悲しみともつかない表情。
「最初は、とても一緒に旅できるような感じじゃなかったよ」
「でしょうね」
ルーナが即答した。
「俺のことも全然信用してなかったしな」
「それ、今も少し怪しいんじゃない?」
リリィが言う。
「……否定できない」
こんな状況なのに、ほんの少しだけ空気が緩んだ。
だが、迅はすぐに表情を戻した。
「目覚めた時、ルシェラの魔力が暴れた。セリウスがいないことを知って……たぶん、感情を抑えられなくなったんだと思う」
「危険だったのか?」
ガルドが尋ねる。
「ものすごく」
迅は迷わず答えた。
「でも、俺にはセリウスから受け継いだ《善悪判定》がある」
「善悪判定?」
「相手の中にある悪意や、その本質を見る力だ」
迅は、あの日見えたものを思い返す。
「ルシェラに使った時、最初に分かったのは――『悪ではない』ってことだった」
「……悪じゃない?」
リリィが目を見開く。
「ああ」
迅は頷いた。
「見えたのは、喪失、孤独、愛された記憶、深い悲しみ。それと……救いを求める心だった」
しばらくの間、雨音だけが六人の間を満たした。
「だから」
迅は続ける。
「少なくとも俺には、『危険だから殺すべき相手だ』とは思えなかった」
◇ ◇ ◇
フォルが途中で進路を変えた。
一行もそれに合わせ、雨でぬかるんだ斜面を登っていく。
「それから、ルシェラと一緒に旅を始めた」
「すぐ仲良くなった?」
リリィが尋ねる。
「全然」
「だよね」
「しばらくずっと警戒されてた」
迅は小さく笑った。
「でも、一緒に旅をしてれば見えてくるものもある」
カインを助けた村。
崩れた建物からリオを守ったルシェラ。
呪いに苦しんでいたフォルを見つけた時も、彼女は自分から近づき、その呪いを解こうとした。
「フォルと会ったのも、その途中だよ」
「ワウ」
名前を呼ばれたフォルが、一度だけ振り返った。
「ルシェラが助けたの?」
リリィが尋ねる。
「うん」
「だから一緒にいるのね」
「多分な」
さらに旅は続いた。
グラドたち。
レオン。
神殿の地下へ閉じ込められていた子供たち。
「ルシェラは、人間を信用してない」
迅は静かに言う。
「でも、目の前で誰かが傷ついてたら放っておけない」
それは聖王国でも同じだった。
王軍との戦いでは、自分から大きな被害を出そうとせず、防ぐことを優先した。
エルフ族が王都を襲撃した時も、逃げ遅れた少女を庇い、自分の肩を傷つけられても守り続けた。
そしてアレクが倒れた時には――。
「ルシェラが治した」
リリィが、聖王国で聞いた話を思い出したように呟く。
「聖魔法……だったんでしょ?」
「神官はそう言ってた」
「悪魔族なのに?」
「俺にも分からない」
迅は首を横に振った。
「でも、それも今はどうでもいい」
「え?」
「ルシェラが何者なのかより」
迅は前を向いた。
「俺が今まで見てきたルシェラの方が大事だから」
「…………」
リリィは何も言わなかった。
伝承に残る「大厄災」。
そして、迅が旅の中で見てきた一人の少女。
その二つは、あまりにも違っている。
◇ ◇ ◇
「それで」
それまで黙っていたヴァロスが、初めて口を開いた。
「お前は何を決めた」
「…………」
迅は少しだけ考えた。
「俺はもう、セリウスに頼まれたからルシェラと一緒にいるわけじゃない」
黒剣を託された。
ルシェラを頼むと言われた。
確かに、最初の旅はそこから始まった。
「最初は、それも理由だった」
だが。
「今は違う」
迅は、はっきりと言った。
「俺自身が、ルシェラを守りたい」
「…………」
リリィの瞳が僅かに揺れる。
「大厄災って呼ばれてても?」
「ああ」
「これからも、いろんな種族から狙われるかもしれないよ?」
「それは困るけど」
「迅」
「……でも、それでも変わらないよ」
迅は少しだけ苦笑した。
「三百年前にルシェラが何をしたのか、俺は全部を知らない」
だから。
「何があってもルシェラが正しいって言うつもりもない」
一度、言葉を切る。
「ただ、俺が見てきたルシェラは、誰かを守れる人だった」
「…………」
「だから、今も追ってる」
それが今、迅がルシェラを追う理由だった。
ガルドはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……分かった」
それだけだった。
リリィが横を見る。
「迅が見てきたものは聞いた」
ガルドは前を向いたまま答える。
「あとは、俺が自分の目で見る」
「……うん」
リリィも頷いた。
「私も」
ルーナも静かに続ける。
「伝承だけを信じるつもりはありません。ルシェラ本人を見て、自分で判断します」
誰も、いきなりルシェラを仲間だとは言わなかった。
それでも、迅がなぜルシェラを信じ、なぜ今も追い続けているのか。
その理由だけは伝わった。
「話は終わったか」
ヴァロスが言う。
「はい」
「なら足を速めろ」
「師匠……」
「急いでるんだろ」
「…………」
迅は少し笑った。
「はい」
フォルがさらに森の奥へ進む。
迅たちも歩幅を速め、その後を追った。
説明は終わった。
あとは、リリィたち自身がルシェラを見て判断するだけだ。
雨に濡れた森のさらに奥へ。
六人は、途切れかけた銀白色の少女の痕跡を追い続けた。




