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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第3章『エルフ王国編』

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『追う者たち』


「……静かすぎるね」


 リリィが杖を握ったまま、周囲へ視線を巡らせる。


「鳥もほとんどいない」


 ルーナも風の流れを確かめるように顔を上げた。


「自然の魔力が濃いわ。人間の領域にある森とは、少し性質そのものが違うみたい」

「獣の気配も薄いな」


 ガルドが鼻を鳴らしながら周囲を警戒する。


「何がいるか分からん。警戒した方がいい」

「分かった」


 迅は短く答え、再びフォルの背中へ視線を戻した。

 周囲への警戒は怠っていない。それでも、頭の中にあるのはルシェラのことばかりだった。


 彼女も、この森を一人で進んだ。


 何を考えながら歩いていたのか。なぜ自分たちのもとを離れたのか。その答えはまだ何一つ分からない。


 だからこそ今は、少しでも早く追いつくことだけを考えていた。


◇ ◇ ◇


 しばらく森を進んだところで、フォルが突然足を止めた。


「フォル?」

「クゥ……」


 白い狼は低く鳴きながら、鼻先を一本の枝へ近づけている。

 迅もすぐにそちらへ向かい、フォルが見つめているものへ目を向けた。


「……これは」


 枝の棘に、小さな黒い布切れが引っかかっていた。

 迅はそれを慎重に摘まみ上げる。雨を吸ってすっかり濡れていたが、見覚えがあった。


「ルシェラの服だ」

「分かるの?」


 リリィが尋ねる。


「ああ」


 迅は布切れを見つめながら頷いた。


 ずっと隣を歩いてきたのだ。もう、身につけていた服の一部を見間違えるほど遠い存在ではなかった。


 フォルも布へ鼻を近づけ、匂いを確かめる。


「ワウ」


 そしてすぐに、森の奥へ顔を向けた。


「間違いなさそうね」


 ルーナが周囲を確認する。

 その時、ガルドが何かに気づいたように足元へ目を落とした。


「迅、これを見ろ」

「何?」


 泥の上には、いくつもの足跡が残っていた。


 一人や二人ではない。同じような形の靴底が同じ方向から現れ、この場所を通って森の奥へ続いている。


「複数人ね」


 ルーナがしゃがみ込み、足跡を確認した。


「旅人が偶然ここへ集まったようには見えないわ」

「動きが揃いすぎてる」


 ガルドも頷く。


「訓練された兵士かもしれん」

「エルフ族の?」


 リリィの表情が曇った。


「……まだ分からない」


 迅はそう答えた。

 今の段階で決めつけるつもりはない。だが、胸の奥に生まれた嫌な予感だけは消えてくれなかった。


「フォル」

「ワウ!」


 迅が呼ぶと、フォルは再び森の奥へ向かって走り出した。

 五人もすぐに歩調を速め、その白い背中を追った。


◇ ◇ ◇


 さらに森の奥へ進むうち、雨が少しずつ強くなってきた。


 濡れた枝葉が頬や腕を掠め、足元の泥は何度も靴へ絡みつく。それでも、誰一人として足を止めようとはしなかった。


 やがて、フォルが再び立ち止まる。


「グルル……」


 今度は、先ほどとは明らかに様子が違っていた。

 全身の白い毛を逆立て、森の一点を睨んでいる。


「何かあったのか?」


 迅が駆け寄り、その先を見た瞬間、表情を変えた。


 地面の草が大きく倒れ、何本もの枝が折れている。木の幹にも細かな傷が残り、足元の泥も激しく踏み荒らされていた。


 誰かがここで争ったことは明らかだった。


「……戦ったの?」


 リリィが小さく呟く。


 迅は周囲へ視線を巡らせた。

 木の幹に残る傷。

 乱れた足跡。

 さらに少し離れた場所には、折れた矢の一部まで落ちている。


「ここで何かあったな」


 ヴァロスが静かに言った。


「人数は?」


 ガルドが足跡を追いながら確認する。


「多い。さっき見つけた足跡と同じ連中だと思う」

「…………」


 迅は何も言わず、さらに森の奥へ視線を向けた。

 その時だった。


「迅!」


 リリィの声が上がる。

 彼女が指差した先には、雨で薄まりながらも泥の上に赤い跡が残っていた。


「……血」


 迅はすぐにその場へ膝をついた。

 直接触れることはせず、じっとその跡を見る。


 雨に流されているとはいえ、まだ完全には消えていない。それほど古いものではないのだろう。


「ルシェラの……?」


 リリィが恐る恐る尋ねる。


「分からない」


 迅はすぐに答えた。


 この場所には複数の者がいた。見ただけで誰の血なのか判断できるはずがない。

 それでも、胸の奥が強く締めつけられる。


「フォル」


 白い狼が血の跡へ鼻を近づけた。

 匂いを嗅いだ直後、フォルは低く唸る。


「グルルル……」


 その反応が正確に何を意味しているのか、迅には分からない。


 だが、フォルもこの場所で何か良くないことが起きたと感じ取っている。それだけは確かだった。


「痕跡は、まだ先まで続いてる」


 ルーナが前方を指差した。


 泥の上には複数の足跡が残り、そのまま森の奥へ続いている。

 しかし、よく見ると、その中に別の痕跡が混じっていた。

 何かが地面を擦ったような、細長い跡だ。


「……これ、何?」


 リリィの声が小さくなる。

 ヴァロスがしゃがみ込み、その痕跡をじっと確認した。


「何かを引きずった可能性があるな」


 周囲の足跡へ視線を移す。


「あるいは、誰かを拘束したまま連れていったか」

「…………」


 迅の拳が強く握られる。


 その変化に気づいたヴァロスが、すぐに声を掛けた。


「まだ断定するな」

「……はい」

「焦れば、見えるものまで見えなくなる」


 迅は一度目を閉じた。

 聖王国での自分が蘇る。

 傷ついたルシェラを見て怒りに飲まれ、セイルを殺すことしか考えられなくなった自分。


 あの時と同じことを繰り返してはいけない。


 大きく息を吸い、ゆっくり吐く。

 怒りも不安も消えたわけではない。それでも、今やるべきことだけは分かっていた。


「……大丈夫です」


 迅は目を開き、立ち上がった。


「痕跡を追います。もしルシェラがこの先にいるなら、まず追いつく」

「もし誰かに捕まってるなら?」


 ガルドが尋ねる。

 迅は迷わなかった。


「助ける」

「それだけか?」

「ああ」


 腰の黒剣へ手を置く。


 自分は何のためにこの剣を振るうのか。

 もう一度、胸の中で確かめる。


「相手を倒すことが目的じゃない」


 迅は森の奥を見据えた。


「ルシェラを助けて、連れ戻す。それだけだ」

「うん」


 リリィが強く頷いた。

 ルーナも風の流れと森の様子を確かめる。


「足跡はまだ消えていません。雨がもっと強くなる前に進みましょう」

「行くぞ」


 ガルドが斧を握り直す。

 ヴァロスもすでに森の奥へ目を向けていた。


「ワウ!」


 フォルが再び駆け出す。

 迅たちも、その白い背中を追った。


 残された複数の足跡と、争った跡。雨に薄れかけた血痕。そして、何かを引きずるように森の奥へ続いている不自然な痕跡。


 何が起きたのかは、まだ分からない。

 ルシェラが無事なのかどうかさえ分からない。

 だからこそ、自分たちの目で確かめるまでは止まれなかった。


 雨と霧に覆われた森のさらに奥。


 エルフ王国へ続く道を目指し、迅たちは追跡の速度を上げていった。

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