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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第3章『エルフ王国編』

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『調停者の戦い方』

 霧雨に包まれた森は、まるで侵入者を拒むように静まり返っていた。


 高く伸びた木々から重そうな枝葉が垂れ下がり、淡い霧が遠くの景色をぼかしている。湿った土の匂いが鼻をつき、一歩踏み出すたびにぬかるんだ地面が靴底へまとわりついた。


 迅たちは、ルシェラを連行したと思われる者たちの足跡を追っていた。


 先頭を進むフォルは、雨で薄れた匂いを丁寧に拾いながら迷いなく森の奥へ進んでいく。迅たちも周囲を警戒しながら、その白い背中を追っていた。


 だが、しばらく進んだところで空気が変わった。


「…………」


 最初に反応したのはフォルだった。

 ぴたりと足を止め、耳を立てる。

 ほぼ同時に、ルーナも歩みを止めた。


「……囲まれてる」

「え……?」


 リリィが息を呑み、杖を握り直す。

 ガルドもすぐに斧の柄へ手を掛けた。


「来るぞ」


 ヴァロスはすでに剣へ手を置き、霧の向こうへ鋭い視線を向けている。

 それまで何も聞こえなかった森の中に、複数の気配が増えていた。


 鳥の声はない。

 虫の音すら聞こえない。

 代わりに、木々の陰から向けられる殺気だけがはっきりと伝わってくる。


 迅は黒剣の柄へ手を添えた。


「……出てこい」


 低い声が、霧の中へ消えていく。

 返事はなかった。

 代わりに飛んできたのは、一筋の矢だった。


「迅!」


 リリィが声を上げるより早く、迅は黒剣を抜いた。


 鋭い金属音と共に、矢が剣の側面で弾かれる。そのまま軌道を変え、近くの木の幹へ深く突き刺さった。


 それを合図にしたように、左右の木々の陰から次々とエルフたちが姿を現す。


 弓を構えた者。

 槍を手にした者。

 魔術士らしき者。


 軽装の斥候も含めれば、その数は二十を超えていた。

 全員が武器を構え、明確な敵意を向けている。


「人間がエルフ領へ侵入した!」


 先頭に立つ隊長らしき男が叫んだ。


「ここから先は大樹宮の領域だ! 今すぐ立ち去れ!」

「待って!」


 リリィが一歩前へ出る。


「私たちは争いに来たんじゃ――」


 言葉が終わる前に、目の前のエルフが槍を突き出した。


「っ!」


 威嚇ではない。

 確実に相手を傷つけるための一撃だった。

 迅が間へ入り、黒剣で槍を弾く。


「話くらい聞いてくれ」

「侵入者の言葉など聞く必要はない!」

「俺たちは人を探してるだけだ」


 迅は黒剣を構えながらも、自分から距離を詰めようとはしなかった。


「銀白色の髪をした女の子を見なかったか」


 その言葉を聞いた瞬間、隊長の表情が変わった。


「……銀白色?」


 後ろにいた兵士たちもざわめき始める。


「まさか……」

「悪魔族のことか?」

「こいつら、あの悪魔の仲間なのか……?」


 空気が一段と張り詰めた。

 迅はその反応を見逃さなかった。


「知ってるんだな」

「悪魔族を追っているだと……?」


 隊長が険しい顔で剣を抜く。


「ならば貴様らも同類だ!」

「違う。俺たちは――」

「討て!」


 迅の言葉を遮り、命令が飛んだ。


 次の瞬間、弓兵たちが一斉に矢を放つ。

 無数の矢が霧の中を切り裂き、迅たちへ降り注いだ。


「来る!」


 リリィが杖を構え、ルーナもすぐに魔法を使おうとする。

 ガルドとヴァロスも前へ出ようとした。

 だが、その一瞬前に迅が踏み込んだ。


「迅!?」


 黒剣を振るう。


 一度。

 二度。

 三度。


 迫ってきた矢を斬り、弾き、僅かに軌道を逸らしていく。


 すべてを真正面から受け止めるのではない。

 力の向きをずらし、必要最小限の動きで自分たちへ届かない軌道へ変えていく。


 かつてヴァロスから叩き込まれた、力をまともに受けない剣。

 それを迅は、以前とは比べものにならない速度で繰り返していた。


 最後の一本が木の幹へ突き刺さる。


「……嘘」


 リリィが目を見開いた。

 エルフ兵たちも、すぐには次の矢を放てなかった。

 その僅かな隙を、迅は逃さない。


 地面を蹴る。


「なっ――」


 一気に距離を詰め、最も近くにいた弓兵の懐へ入った。

 黒剣の刃は使わない。

 柄で顎を打ち抜く。


「ぐっ……!」


 弓兵がその場へ崩れ落ちた。

 すぐ横から槍が突き出される。


 迅は身体を半歩ずらしてかわし、柄を掴んだ。そのまま力の方向を変えて地面へ押し込み、槍を深く突き刺す。


「なっ……!」


 武器を奪われた兵士の膝裏を軽く蹴り、その場へ倒す。

 さらに別の兵が剣を振り下ろしてきた。

 迅は黒剣で受け流し、その勢いのまま相手の手首を打った。


「ぐあっ!」


 剣が泥の上へ落ちる。

 迅は追撃しなかった。


「下がれ」

「……っ」


 エルフ兵が息を呑み、後退する。


 迅は相手を倒すために動いているのではない。

 攻撃してくる者だけを無力化し、戦いそのものを終わらせようとしていた。


「速い……」


 リリィが思わず呟いた。

 迅が強くなったことは知っている。

 けれど、今目の前にいる迅は、自分が一緒に旅をしていた頃とは明らかに違っていた。


 ただ力が増しただけではない。

 相手の動きを見て、必要な場所へ入り、必要なだけの力で止める。

 その判断までが、恐ろしく速い。


「…………」


 ガルドも斧を構えたまま、迅の動きを目で追っている。


「俺たちが入る隙がねぇな」


 ヴァロスは剣を抜いていたが、前には出なかった。


「無理に入る必要はない」


 静かに迅を見つめる。


「あいつは自分で何をするべきか分かっている」


◇ ◇ ◇


「退くな! 囲め!」


 隊長が声を張り上げた。

 だが、兵士たちの動きは明らかに鈍っていた。


 すでに何人もの仲間が倒れている。

 それでも、誰一人として命を奪われてはいない。


 迅が本気で殺しに来ているわけではないことは分かる。

 だからこそ、兵士たちには余計に理解できなかった。


「何をしている! 相手は一人だぞ!」


 隊長が苛立ったように叫び、自ら剣を構えて走り出す。


「人間ごときが!」

「…………」


 迅は逃げなかった。

 振り下ろされた剣を、黒剣で受ける。


 ガギィン――!


 重い金属音が森へ響いた。


「ぐっ……!」


 隊長の腕が大きく震え、身体が僅かに沈む。

 迅はそのまま力比べをすることなく、剣を滑らせて相手の刃を外へ流した。

 体勢を崩した隊長の手から剣を弾き飛ばす。


 武器が泥の上へ落ちた。


 次の瞬間には、黒剣の切っ先が隊長の喉元で止まっていた。


「終わりだ」

「……っ」


 隊長の顔から血の気が引く。

 霧雨の中、荒い呼吸だけが聞こえた。


 迅は剣先を動かさないまま尋ねる。


「銀白色の悪魔族が連れて行かれた先を教えてくれ」

「……言うと思うか……!」


 隊長は怯えながらも、歯を食いしばった。


「…………」


 迅は数秒だけ相手を見たあと、黒剣を下ろした。


「……分かった」

「え?」


 隊長だけでなく、リリィまで声を上げる。


「ちょっと迅!?」


 迅は答えず、隊長の後ろへ視線を向けた。

 そこには、先ほど迅に倒された若い斥候がいた。


 負傷は軽い。


 だが、目の前で起きた戦いにすっかり怯え、座り込んだままこちらを見ている。


「お前は知ってるか?」

「……っ」

「知ってるなら教えてくれ」


 迅は黒剣を下げたまま続けた。


「俺たちは、その子を助けたいだけだ」

「黙れ!」


 隊長が叫んだ。


「余計なことを言うな!」


 迅が隊長を見る。


「…………」


 それだけで、男の声が止まった。

 迅は殺気を向けてはいない。

 だが、これ以上邪魔をすれば再び制圧される。


 その事実は十分に伝わっていた。


 若い斥候の喉が小さく鳴る。


「……大樹宮だ」

「おい!」

「銀白色の悪魔族は……大樹宮へ連れて行かれた」


 斥候は隊長の声を振り切るように続けた。


「裁定の間だ。そこで……裁きを受ける」

「裁き……?」


 リリィの表情が強張る。

 ルーナも険しい顔になった。


「この状況での『裁定』なら、拘束だけで済むとは考えにくいですね」

「処刑される可能性があるってことか?」


 ガルドが低く尋ねる。


「否定はできません」

「くそ……!」


 ガルドが拳を握る。

 ヴァロスも森の奥へ視線を向けた。


「急いだ方がいいな」

「…………」


 迅は何も答えなかった。


 ただ、黒剣を強く握る。

 ルシェラは大樹宮にいる。


 どんな状態なのかは分からない。

 傷ついているのかもしれない。

 すでに何もかも諦めてしまっているのかもしれない。


 それでも。


 今度こそ、追いつく。


「行こう」


 迅は黒剣を鞘へ戻した。

 そのまま歩き出そうとすると、背後から隊長の声が飛んできた。


「待て……!」


 迅が足を止める。


「……なぜ殺さない」


 隊長は泥の上へ膝をついたまま、理解できないという顔で迅を見ていた。


「俺たちはお前たちを殺そうとした。なのに、なぜ……」

「…………」


 迅は少しだけ振り返った。


「俺は、お前たちを殺すためにここへ来たんじゃない」

「何……?」

「ルシェラを助けに来ただけだ」


 それだけ答えると、迅は今度こそ背を向けた。

 敵を倒すことが目的ではない。

 ましてや、エルフ族への復讐などするつもりもない。


 助けたい人がいる。

 だから、その人のところへ向かう。

 迅にとっては、それだけのことだった。


◇ ◇ ◇


 再び歩き始めた迅の背中を、リリィは黙って見つめていた。


 以前から迅が強くなっていることは分かっていた。

 けれど、今目の前で見たものは、それだけではなかった。

 あれほど圧倒的な差がありながら、一人も殺さなかった。


 自分たちへ矢を放ち、剣を向けてきた相手にさえ、必要以上の傷を負わせようとしなかった。


「……変わらないね、迅」


 小さく漏れた声に、ルーナが隣から尋ねる。


「悪い意味で?」

「ううん」


 リリィは首を横に振った。


「すごく遠くまで行っちゃった感じはするけど……迅は迅のままだなって」

「そうですね」


 ルーナも迅の背中を見る。


「強くなっても、守るために力を使うところは変わっていません」


 ヴァロスが二人の横を通り過ぎる。


「感心するのは後にしろ」


「」


「あいつに追いつきたいなら、立ち止まってる暇はないぞ」


 リリィは一瞬だけ目を丸くし、それから笑った。


「はい!」


 ガルドも斧を背負い直す。


「まったくだ。今度は迅じゃなく、あいつの仲間にも追いつかなきゃならねぇ」


 先頭ではフォルがすでに大樹宮の方角へ鼻先を向けていた。


「ワウ!」

「フォル、頼む」


 迅が声を掛けると、フォルは森の奥へ走り出す。

 迅たちも一斉にその後を追った。

 ルシェラが大樹宮へ連行されたことは分かった。


 そして「裁定」という言葉が、穏やかな意味ではないことも。

 もう迷っている時間はない。


「待ってろ、ルシェラ」


 迅は前を見据えたまま、小さく呟いた。

 雨と霧に覆われた森を抜け、そのさらに先にある大樹宮へ。


 六人は速度を上げて駆けていった。

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