『拒絶の街』
森を抜けた先に、街があった。
人間の街よりも静かで、整っている。
石畳は隙間なく敷き詰められ、道の端には小さな花が植えられていた。
建物は木造だが美しく磨かれ、屋根の曲線には無駄がない。
空気が澄んでいた。
風が冷たく、草の匂いが混じっている。
――エルフ領の端にある、小さな街。
ルシェラはフードを深く被り、街の門をくぐった。
衛兵はいない。
だが、門の横に立つ老人が彼女を見て、ほんの少し眉をひそめた。
「……旅の者か」
声は静かだった。
拒絶も歓迎もない。
ただ、無関心を装った警戒。
ルシェラは頷くだけで、何も答えずに歩き出した。
(……綺麗な街)
それが最初の感想だった。
整っている。
平和で、穏やかで、暮らしがきちんと形になっている。
それなのに。
ルシェラの背中には、視線が刺さるように集まっていた。
通りを歩く者たちが、一瞬だけ立ち止まる。
目が合うと、すぐに逸らされる。
逸らされるだけならまだいい。
だが――
その目には、薄い嫌悪が混じっていた。
ルシェラは顔を上げず、ただ歩いた。
市場が見える。
果物が並び、香草が吊るされ、パンの匂いが漂う。
腹が鳴りそうになる。
だが、それ以上に胸が冷える。
(……嫌な予感がする)
この空気を、知っている。
それは「危険」ではなく、
もっと日常的で、もっと根深いもの。
――拒絶。
ルシェラは市場の端に立ち、売り物を眺めるふりをした。
果実は赤く艶やかで、葉はみずみずしい。
どれも人間の街より高品質に見える。
「……それ、いくら?」
ルシェラは小さく尋ねた。
声をできるだけ低く抑えた。
人間より、少しだけ掠れた声。
店主のエルフは一瞬、顔を上げた。
そして――ルシェラの目元を見た瞬間、表情が変わった。
ほんのわずかに、目が細くなる。
口元が引きつる。
「……あんた、どこの種族だ」
「旅人よ」
ルシェラは短く答える。
店主は鼻で笑った。
「旅人? ……悪魔族が?」
その言葉が、静かに落ちた。
周囲の空気が一気に変わる。
近くにいた客が、手を止めた。
視線が集まる。
ひそひそと囁く声が波のように広がる。
「悪魔族……?」
「こんな所に……」
「どうして入れたんだ」
「穢れる……」
ルシェラはフードを深く引き下げた。
(……やっぱり)
隠していたつもりはない。
どこへ行っても、いずれバレる。
角があるわけじゃない。
羽があるわけでもない。
ただ、、雰囲気だけは隠せない。
生きてきた場所が違う者の匂いは、敏感なエルフにはすぐ分かる。
ルシェラは黙って財布を出した。
「買うだけよ」
「帰れ」
店主は即答した。
その言葉に、周囲のエルフたちが小さく頷く。
当然の結論だと言わんばかりに。
ルシェラは顔を上げた。
「……お金は払う」
「金の問題じゃない」
店主は冷たく言った。
「お前らがいるだけで、空気が腐る」
その言葉が胸に刺さる。
だが、ルシェラの表情は変わらない。
驚かない。怒らない。泣かない。
(……慣れてる)
怒れば余計に面倒になる。
「分かったわ」
ルシェラは財布をしまい、踵を返した。
背中に投げつけられる視線。
吐き捨てられる小声。
「悪魔族が何しに来た」
「災いを呼ぶぞ」
「早く追い払え」
災い。
その単語だけが、妙に耳に残った。
聖王国で聞いた言葉と重なる。
――大厄災の悪魔。
ルシェラは足を止めずに歩いた。
市場を抜け、通りを曲がり、宿屋を探す。
一晩だけでいい。
休んで、食べて、それからまた進めばいい。
誰にも迷惑をかけず、ただ通り過ぎるだけなら。
そう思った。
だが、宿屋の前に立った瞬間、扉が閉められた。
――ガタン。
中にいた主人が、ルシェラを見た瞬間に鍵を掛けたのが分かった。
ルシェラは扉の前で立ち尽くす。
「……泊まらせて」
声をかけても返事はない。
窓の隙間から、誰かがこちらを見ている気配がする。
そして、カーテンが閉まる。
ルシェラはゆっくり息を吐いた。
(……当然ね)
次の宿へ行く。
そこでも同じだった。
扉を閉められ、灯りを消され、
「帰れ」とも言われず、ただ拒絶される。
言葉すら与えられない。
ルシェラは街の中央へ戻った。
昼の光が眩しい。
空は澄んでいる。
この街は美しい。
それなのに、そこに自分が立っているだけで、空気が歪む。
通りすがりの子どもが、母親の袖を引いた。
「ねえ、あの人……」
母親は子どもの口を塞ぎ、慌てて引きずるように去っていく。
その視線が、痛い。
ルシェラは何も言わず、歩いた。
すると背後から、乾いた音がした。
――コツン。
小さな石が、ルシェラの背中に当たった。
痛みは大したことない。
ルシェラは振り返らない。
背後で、笑い声がした。
「当たったぞ」
「悪魔に石投げると、呪われるってよ」
「呪われるなら最初から呪われてるだろ」
若いエルフたちの声。
二つ目の石が飛んだ。
頬にかすり、熱が走る。
血が少し滲む。
ルシェラはそれでも、何もしなかった。
(……いい)
殴られるなら殴られればいい。
追い出されるなら追い出されればいい。
ここで魔法を使えば、騒ぎが大きくなる。
騒ぎが大きくなれば、討伐隊が来る。
討伐隊が来れば、迅の所まで話が届くかもしれない。
それだけは嫌だった。
(……迅には、来てほしくない)
胸が締め付けられる。
それは優しさではなく恐怖だった。
ルシェラは、ゆっくり歩き出した。
「おい! 無視すんな!」
背後から怒鳴り声が飛ぶ。
「悪魔族が、エルフの街に入ってくるな!」
石がまた飛ぶ。
肩に当たり、痛みが走る。
ルシェラは歩き続ける。
悪魔族は、どこへ行ってもこうだ。
人間の街でも、エルフの街でも。
変わらない。
ただ、生きているだけで嫌われる。
ルシェラは街の外れまで来た。
門が見える。
その時、前に立ちはだかる影があった。
中年のエルフの男。
腕を組み、冷たい目でルシェラを見下ろしている。
「……もう出ていくわ」
ルシェラが言うと、男は鼻で笑った。
「最初から来るな。穢れが移る」
穢れ。
その言葉は、石より痛い。
ルシェラは一瞬だけ唇を噛んだ。
だがすぐに力を抜き、視線を落とした。
「……そう」
男はさらに言う。
「お前たち悪魔族は、争いしか生まない。
お前がここにいるだけで、災いが近づく」
災い。
その言葉が、胸の奥を冷たくする。
(……そうね)
聖王国で起きたこと。
矢が降ったこと。
民が倒れたこと。
全部、自分がいたからだ。
「……ごめんなさい」
ルシェラは、誰にともなく呟いた。
謝る必要なんてない。
だが謝る言葉しか浮かばなかった。
男は吐き捨てるように言った。
「謝罪で済むなら、世界は楽だ」
そして背後の若者たちが、最後にもう一度石を投げた。
額に当たり、視界が一瞬揺れる。
血が頬を伝う。
ルシェラは手で拭いもせず、門を出た。
街の外は森道だった。
雨の匂いがする。
背後で門が閉まる音が響いた。
――ガタン。
それはまるで、世界が彼女を拒絶した音だった。
ルシェラは森の中へ歩き出した。
木々の間に入ると、空気が冷たくなる。
霧が濃くなり、雨がぽつりと落ちてくる。
痛みはある。
頬の傷も、肩の痣も。
だが、それよりも――
胸の奥が、空っぽだった。
(……やっぱり)
(私は、ここにいちゃいけない)
誰も守れない。
誰も救えない。
救ったつもりでも、結局巻き込む。
そして、迅も――
ルシェラは首を振った。
考えるな。
考えたら、心が壊れる。
森の奥へ進む。
雨が少し強くなる。
ルシェラはただ、歩いた。
誰にも見つからない場所へ。
誰も巻き込まない場所へ。
銀の影は、拒絶の街を背にして、静かに消えていった。




