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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第1章 『レベルドロップ編』

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『雨の森、沈む心』

雨が降り始めたのは、森へ入ってしばらくしてからだった。


最初は葉を叩く音が、遠くで囁くように聞こえただけ。

それが次第に増え、森全体が薄い膜で包まれていく。


空は暗い。

霧が濃く、木々の輪郭がぼやける。

湿った匂いが肺に染み込み、呼吸をするだけで冷える。


ルシェラはフードを被ったまま歩いていた。


街で投げられた石の痛みが、頬と肩に残っている。

血はもう乾き、傷口はひりつく。


だが――それよりも。


胸の奥の空洞が、どこまでも冷たかった。


(……やっぱり)


追い出された時、驚きはなかった。

怒りも、悔しさも、ほとんど湧かなかった。


それが一番、惨めだった。


本当は、怒ってもいいはずなのに。

本当は、理不尽だと思っていいはずなのに。


でも、ルシェラは思ってしまう。


(私が悪い)


悪魔族が嫌われるのは当然だ。

恐れられるのは当然だ。

自分は「そういう存在」だと、


雨が強くなる。

髪が濡れ、頬を伝う雫が血なのか雨なのか分からなくなる。


ルシェラは足を止めなかった。


止まったら、心が追いついてしまう。

考えたくない記憶が、追いついてしまう。


(……迅)


名前を思い浮かべただけで、胸が痛む。


聖王国を出た時。

迅は静かに言った。


「君が何者でも、俺は君を守る」


その言葉が、優しすぎた。


優しさは救いになる。

だが、ルシェラにとっては違う。


優しさは、死の匂いを連れてくる。


(……セリウスみたいに)


思い出すのは、あの日の光景。


笑っていた。

自分を守ると言った。

手を伸ばしてくれた。


そして――消えた。


雨が肩を叩く。

木々がざわめき、風が冷たく吹き抜ける。


ルシェラはふらつきながら、木の根元に手をついた。


息が苦しい。

痛いのは身体じゃない。


胸の奥が、ぎゅっと締め付けられている。


(私は……何をしてるんだろう)


追い出されて、森に入って。

雨に濡れて、ただ歩いて。


どこへ行くのかも分からない。


逃げているのか。

消えようとしているのか。


答えは、薄い霧の中に沈んでいく。


――ふと、思う。


(私は死んだ方がいい)


その考えが浮かんだ瞬間、驚きはなかった。

怖さもなかった。


ただ、自然にそう思った。


世界はずっと、そう言ってきた。

お前は災いだ。お前は穢れだ。お前は悪だ。


聖王国でエルフが吐き捨てた言葉が蘇る。


――大厄災の悪魔。


それは噂でも冗談でもない。

確信のように言われた。


実際、矢は降った。

民が倒れた。

アレクが傷ついた。


そしてルシェラがいた。


(私がいるから、巻き込まれる)


(私がいるから、戦いが起きる)


ルシェラは唇を噛み、震える息を吐いた。


雨が強くなる。

視界が滲む。


泣いているわけじゃない。

ただ、雨が目に入っているだけだ。


(……泣けない)


涙すら出ない。

悲しすぎると、涙は出ない。


ただ、冷たい。


冷たさだけが残る。


(迅のそばにいれば、迅が死ぬ)


その考えが、胸の奥で確信に変わる。


迅は強い。

誰よりも強い。


でも、強さは万能じゃない。

強さは人を守る代わりに、心を削る。


聖王国で、迅は怒りかけた。

あの怒りは、危うかった。


もし自分がそばにいれば、また同じことが起きる。

もっと大きな敵が来る。

もっと多くの血が流れる。


そしていつか――


迅はセリウスと同じように、笑って死ぬ。


ルシェラはその未来を想像した瞬間、息が止まりそうになった。


(嫌だ)


嫌だ。

そんなのは嫌だ。


でも、その未来を止める方法はひとつしかない。


(……私が消える)


それだけだ。


雨が森を覆い、世界が薄暗くなる。

霧が濃く、足元の土は泥になっていく。


ルシェラは歩き続けた。


行く先は決めていない。

ただ、遠くへ。

誰にも届かない場所へ。


その時だった。


背後で、枝が折れる音がした。


――パキ。


ルシェラは足を止めた。

呼吸が一瞬、止まる。


耳が痛いほど静かになる。

雨音だけが、強く響く。


次に聞こえたのは、足音だった。


複数。


静かで、一定で、迷いがない。


ルシェラはゆっくり振り返った。


霧の向こうに、影がある。


長い耳。

細身の体。

弓を構えた姿。


エルフだ。


数は……五、いや六。


全員が武装している。

雨に濡れた葉の間から、冷たい視線だけが突き刺さる。


ルシェラは動かなかった。


逃げる気も、戦う気も、湧かなかった。


ただ、思った。


(……やっぱり)


追いつかれる。

見つかる。

捕まる。


自分がどこへ行こうと、世界は許さない。


先頭のエルフが一歩前へ出る。


「悪魔族」


声は低く、雨より冷たい。


「なぜ、この森にいる」


ルシェラは答えなかった。


答える言葉がない。

理由なんてない。


ただ、ここにいるだけだ。


エルフたちは弓を引き絞る。

矢の先が、ルシェラの胸を狙う。


雨が降り続く。


霧の中で、銀の影が立ち尽くす。


逃げない。

抵抗しない。


ただ、沈む心だけを抱えたまま――


ルシェラは、追っ手に囲まれていた。

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