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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第1章 『レベルドロップ編』

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『優しさの温もり』


朝の森は、静かだった。


夜露が草を濡らし、薄い霧が地面を這う。

焚き火の跡は灰になり、冷えた匂いだけが残っている。


鳥の声が一度だけ響いた。

それが、妙に遠く感じた。


迅は目を開けた。


視界に入ったのは、木々の隙間から差し込む淡い光。

そして――いつもなら隣にあるはずの気配。


何もない。


「……ルシェラ?」


呼んだ声は小さく、森に溶けた。

返事はない。


迅はゆっくりと上体を起こし、周囲を見回した。


寝床は崩れていない。

荷物もそのまま。

争った跡も、血もない。


ただ――彼女だけがいない。


一瞬、胸がきゅっと縮む。


(……どこへ?)


迅は深く息を吸い、吐いた。

焦りが表に出ないように、無意識に呼吸を整える。


感情が乱れると判断が鈍る。

今は、冷静でいなければならない。


迅は立ち上がり、辺りを歩いた。


草が少し倒れている。

土に浅い跡が残っている。

足跡だ。


ルシェラのものだ。


迅は膝をつき、指先で土をなぞった。

湿った土が爪の隙間に入り込む。


――新しい。


夜明け前に動いた。


「……フォル」


低い声で呼ぶと、茂みの影が揺れた。


フォルが現れる。


既に状況を理解しているようだった。


迅は短く言った。


「追えるか」


フォルは鼻を地面に近づけ、息を吸った。

次の瞬間、進む方向を定めるように顔を上げる。


迅は頷き、剣を腰に結び直した。

動きは静かで、乱れがない。


だが胸の奥だけは、落ち着かなかった。


(……どうして一人で)


言葉が足りないのは、いつものことだ。

ルシェラは、自分のことを話さない。


それでも――今までは隣にいた。

黙っていても、同じ火を見て、同じ夜を越えてきた。


なのに、今は。


迅はフォルの後ろを歩きながら、昨夜のことを思い出していた。


焚き火の前で、ルシェラはいつもより静かだった。

いつも通り突き放すような口調で、

それでも、どこか心ここにあらずのような目をしていた。


(……俺が気づけなかっただけか)


思考が痛い方向へ進む。


聖王国での戦い。

エルフの襲撃。

無数の光の矢。

傷つく民衆。倒れる子ども。血。


あれは、忘れられない。


迅は無意識に拳を握り、指先に力が入った。


(……あれが原因か?)


あの襲撃は、明らかにこちらを狙っていた。


つまり、迅とルシェラを。


(俺たちが、巻き込んだ……?)


そう考えた瞬間、胸の奥が冷える。


聖王国を救ったはずなのに。

民を守ったはずなのに。

結局、誰かを傷つけた。


ルシェラはその場で癒した。

回復の光で人々を助けた。


だが、助けたことと、巻き込んだことは別だ。


「……」


迅は唇を噛んだ。


ルシェラが何を思ったのかは分からない。

だが、聖王国で彼女は確かに傷ついた。


身体ではなく――もっと深い場所を。


フォルが立ち止まった。


迅も足を止める。


前方の木々の色が変わっている。

森の空気が、微妙に違う。


静けさが、整いすぎている。


風が吹いても、葉擦れの音が均一で、冷たい。

まるで、誰かが管理している森のようだった。


迅はそこに立ち、目を細めた。


「……エルフ領」


フォルは鼻を鳴らし、先へ進む。

匂いは続いている。


ルシェラは、この境界を越えた。


迅は一歩、森の中へ踏み込んだ。


空気が変わる。

肌を撫でる風が冷たく、薄い霧が張り付く。


エルフ領に入れば危険は増える。

それはルシェラだって分かっているはずだ。


それでも、ここへ来た。


つまり――何かに追われていたか、

あるいは、ここへ来る理由があった。


迅は歩きながら、心の中で何度も問いかけた。


(なぜだ)

(何が怖かった)

(俺が、何かしたのか)


答えは出ない。


ただひとつだけ、確かなことがある。


――ルシェラは逃げたわけじゃない。


逃げたのなら、匂いも足跡も消す。

フォルに追わせない。

自分を見つけられないようにする。


だが、これは違う。


足跡はまっすぐだ。

迷いがない。

それが逆に、怖い。


迅は喉の奥で小さく息を吐いた。


「……守ろうとしたのか」


声に出した瞬間、胸が痛んだ。


もしそうなら、ルシェラは――

自分のために消えたことになる。


迅はその考えを振り払うように、歩幅を速めた。


守られるために旅をしているわけじゃない。

彼女を一人にするために隣にいるわけじゃない。


「……置いていかせない」


呟いた声は静かだった。


怒りではない。

誓いでもない。


ただの決意だった。


フォルが先を行き、霧の中を切り裂くように進む。

迅はその背中を追う。


森の奥へ、さらに深く。


銀の影を追いかけるように。


冷たい風が頬を打つ。

だが迅の胸には、まだ残っていた。


あの夜の焚き火の温もり。

隣にいたはずの、優しさの温もり。


それが、今は――

痛みとして残っている。


迅は唇を結び、視線を前へ向けた。


必ず追いつく。

理由を聞くために。

そして――一人で抱えさせないために。


森の境界を越えた先に、

エルフ領の冷たい空気が広がっていた。

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