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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第1章 『レベルドロップ編』

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『消えた銀の影』


聖王国を離れて、数日が過ぎた。


街道は静かで、あの日の王都の喧騒が遠い昔のことのように感じられる。

森道に入ると風の匂いが変わり、土が柔らかくなる。夜になるたび、焚き火の火だけが小さな世界を作った。


その夜も、いつも通りだった。


迅が薪を組み、火を起こす。フォルは少し離れた場所に伏せ、耳だけを動かして周囲を探る。


ルシェラは焚き火の向こうに座り、膝を抱えた。


「寒いか」


迅が言った。

その声は低く、穏やかで、余計な飾りがない。


「寒くない」


ルシェラはぶっきらぼうに返した。

いつものやりとり。いつもの距離感。

それなのに、胸の奥が落ち着かない。


(……この温もりが、こわい)


焚き火の熱じゃない。

迅がそこにいるという事実が、妙にあたたかい。

そしてそのあたたかさが、なぜか――恐怖に変わる。


――セリウス。


名を口にしなくても、影は心の隙間から入り込んでくる。

あの人も、こういうふうに、最後まで優しかった。

守ると決めて、笑って、そして――いなくなった。


ルシェラはぎゅっと指先を握りしめた。

爪が掌に食い込む痛みで、思考を止めようとする。


(違う。迅は違う)

(……違うのに)


焚き火を挟んで、迅が刀を手入れしている。

光を受けた刃は、ただ静かだ。


あの日の王都で、迅が見せた“怒り”だけが、どうしても脳裏に残っている。


あのまま斬っていたら。

あのまま殺していたら。

迅は、きっと戻れなくなっていた。


――怒りで均衡が崩れる。


ルシェラは知っている。

優しい者ほど、壊れる瞬間が怖い。

守ろうとする者ほど、守れなかった痛みで、深く崩れる。


「……なに、見てんだよ」


迅がふと顔を上げた。

焚き火の揺らめき越しに目が合う。


「別に」


ルシェラは視線を逸らす。

逸らした先に、フォルがいる。丸くなって眠っているが、尻尾の先がわずかに揺れた。完全には眠っていない。


ルシェラの心に、あの“言葉”が突き刺さったままだった。


――大厄災の悪魔。


エルフの討伐隊が吐き捨てるように言った呼び名。

聖王国を襲った光の矢。

民が倒れて、アレクが傷ついて、子どもが泣いて――自分は、またそこにいた。


癒した。助けた。感謝もされた。

それでも、帳尻は合わない気がした。


(私がいなければ、そもそも起きなかった)

(私が生きてるから、誰かが巻き込まれる)


胸の奥がひやりとする。

冷たい水を飲み込んだみたいに、息が細くなる。


聖王国で、あの少女が手を握って言った。


「ありがとう」と。

「きれいで強い魔法使いになる」と。


思い出すほど、心が揺れる。

あたたかい。眩しい。

そして――怖い。


憧れられるほど、自分の存在が重くなる。

期待されるほど、裏切る未来が近づく気がする。


(私は……そんなものに応えられない)

(私は……幸せのそばにいちゃいけない)


迅が火を小さく整え、寝床を作り始めた。


「早く寝よう。明日も歩くから」


「……わかってる」


ルシェラは立ち上がり、少し離れた場所に寝転ぶ。

背を向けても、迅の気配が背中に当たる。

それが、あたたかい。


夜が深まるほど、焚き火の音は小さくなり、森の気配だけが濃くなった。

梟の声が一度。葉擦れが二度。

遠くで獣が走る音。


ルシェラは目を閉じたまま、眠れない。

眠ってしまったら、この“あたたかさ”を受け入れてしまう気がした。


そして、頭の中にもう一つの声が蘇る。


――聖王国を巻き込んだ。


エルフが放った矢が、聖王国の空を裂いた。

あの矢は、自分を狙っていた。

それでも、倒れたのは人間だった。


(……まただ)


セリウスの背中が重なる。

守ると言った人が、いつも先に壊れていく。


(迅も……)

(迅も、いつか私を守って――)


喉が詰まる。

涙は出ない。出たら、きっと止まらなくなる。


“生きていたら巻き込む”という確信が、じわじわと心を侵食する。

戦う力があるからこそ、戦いを呼ぶ。


(私が消えればいい)

(私がいなければ、迅は死なない)

(フォルも、無理をしなくていい)


自分の価値を削るように考えるほど、妙に楽になる。

苦しさが、理由に変わる。

理由ができると、逃げ道になる。


夜明け前。空の色が、黒から濃い青へ変わり始めた。


焚き火は消えかけている。

迅の寝息は静かで、深い。

フォルは伏せたまま、呼吸が一定だ。


(……今なら)


ルシェラは音を殺して起き上がった。

足元の小枝を避け、土を踏む場所を選ぶ。

自分が“消える”ことに慣れている。誰にも気づかれないように生きてきた。


迅の方を一度だけ見た。


寝ている横顔は、無防備で、妙に幼く見える。

あの強さが、あの危うさが、同じ顔に宿っている。


(……ごめんなさい)


口には出さない。出したら戻ってしまう。

戻ったら、また温もりに縋ってしまう。


胸の奥が痛んだ。

それでも、足を止めない。


(私は……大厄災の悪魔)

(私がいる場所に、災いが寄ってくる)

(……なら、私がいなくなる)


ルシェラは森の影へ身を滑らせた。

夜露に濡れた葉が頬を掠める。冷たい。ちょうどいい。

あたたかさを消すには、冷たさが必要だった。


歩きながら、ふと背中が熱くなる錯覚がした。

迅が追いかけてきたのかと、心臓が跳ねる。

だが振り返っても、そこには暗い森と薄い霧しかない。


(……そうだよね)


追ってきてほしいと思ってしまった自分が、怖い。

助けてほしいと思ってしまった自分が、みじめだ。


ルシェラは前を向いた。

境界の方角へ。

エルフ領へ続く、湿った風の匂いが混じってくる。


夜が明ける。

森が少しずつ色を持ちはじめる。


それでも――ルシェラの背中には、まだあの夜明けの余韻が張り付いたままだった。


(……セリウス)

(……迅)


心の中でだけ呟いて、ルシェラはさらに歩幅を速めた。

銀の影が、森の奥へ溶けていく。


迅とフォルが眠る小さな焚き火の世界から、

彼女は、静かに姿を消した。

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