『今、どこにいるの』
聖王国の王都に、夕方の光が差し込んでいた。
石造りの街並みは整っている。
広い道、白い壁、きらびやかな門。
けれどその奥には、焦げた匂いが残っていた。
瓦礫の山。
崩れた屋根。
壁に刺さったままの矢。
そして包帯を巻いた人々。
「……ここ、戦争でもあったの?」
リリィが目を丸くして言った。
旅装の外套の下、腰には杖。
瞳は燃えるように明るいのに、今は不安が混ざっている。
その後ろで、ガルドが低く唸る。
「……血の匂いがする」
声は短い。
だが、それだけで状況が伝わった。
ルーナは静かに街の空気を吸い込み、淡々と告げた。
「風が重いわ。ここで何かあったのは確実ね」
そして最後尾、ヴァロスが目を細めて街を見渡す。
「……争いの後だ。だが、怨みの匂いだけじゃない」
その言葉に、リリィは顔を上げた。
「え?」
ヴァロスは淡々と続ける。
「……救われた者の空気も混ざっている」
リリィは胸の奥がきゅっと締まるのを感じた。
(救われた……?)
それは、迅の匂いだ。
「ねえ……やっぱり迅、ここにいたんだよね?」
リリィが早足になる。
ガルドが一歩前に出て、彼女の肩を掴んだ。
「焦るな」
「焦るよ!だって!」
リリィは振り返り、頬を膨らませる。
「迅がここで何してたのか、早く知りたいじゃん!」
ルーナがため息をつく。
「リリィ。気持ちは分かるけれど、まず情報よ。突っ込んでも何も掴めないわ」
「う……分かってるけどさぁ……!」
リリィはぶつぶつ言いながらも、頷いた。
四人は広場へ向かう。
「こっちの瓦礫を撤去しよう!」
「誰か手伝える者はいないか!」
慌ただしさの中、人々の目には絶望よりも“踏ん張る力”があった。
リリィは近くの男に声をかける。
「あのっ、すみません!ここで何があったんですか?」
男は包帯を巻いた腕を押さえながら、リリィたちを見た。
「旅の人か……エルフ族の襲撃だ」
「襲撃……?」
男は唾を飲み込み、視線を落とす。
「……討伐隊が来た」
その言葉に、ルーナが眉を僅かに動かした。
「エルフ族が?なぜ聖王国へ」
男は苦々しく答える。
「悪魔族がこの国に入ったからだとさ」
リリィの心臓が跳ねる。
「悪魔族……?」
男は頷き、言葉を続ける。
「銀髪の子だ。恐ろしく綺麗な子でな……最初は俺たちも震えた。けど」
男は拳を握りしめる。
「……あの子は、俺の娘を庇った」
リリィが息を呑む。
ガルドが短く言った。
「庇った?」
男は力強く頷く。
「光の矢が降ってきた時だ。あの子が娘を抱きしめて、肩を裂かれても離さなかった」
その言葉に、リリィの胸が熱くなる。
(庇った……?悪魔が?)
ルーナは冷静に尋ねた。
「その悪魔族の名は?」
男は少し迷い、それから言った。
「……ルシェラ」
その名が落ちた瞬間、空気が変わった。
ヴァロスの目が鋭く細まる。
ガルドの肩がぴくりと動く。
ルーナの表情も、僅かに硬くなった。
リリィだけが、言葉を失っていた。
「ルシェラ……?」
それは、聞いたことのある名だ。
伝承。
古い戦争。
封印された悪魔。
(まさか……同じ?)
リリィの喉が乾く。
男は続ける。
「それだけじゃない。王子が倒れた時……あの子が回復魔法を使った」
「回復魔法……?」
リリィが聞き返すと、男は頷いた。
「神殿の聖職者みたいな光だった。」
悪魔族が?
そんな回復魔法を?
ルーナが小さく息を吐いた。
「あり得ないわね……普通なら」
男はさらに続けた。
「それで終わりじゃない。民の傷まで治してくれた。あれは……《ルミナ・ヒール》って」
リリィは震える声で言った。
「……その場に、黒髪の男性はいませんでした?」
男の目が見開かれる。
「いた。あの人がいなければ、この国は滅んでた」
「名前は……!」
男は迷わず答えた。
「迅だ。迅って呼ばれてた。民を守るために、光の矢を切り落とし続けてた」
リリィの胸が熱くなり、目の奥がじんと痛む。
(やっぱり……迅だ)
迅は、どこへ行っても変わらない。
誰かを救って、傷ついて、怒って、それでも殺さずに進む。
それが迅だ。
「……でもな」
男が声を落とした。
「エルフの隊長が叫んだんだ。あの子は“大厄災の悪魔”だって」
空気が凍る。
広場にいた周囲の民も、その言葉を思い出したように黙り込む。
「大厄災……」
リリィが呟くと、男は頷いた。
「三百年前、国を焼いた悪魔だって……俺は知らん。でも、確かにそう言われてた」
リリィは一歩後ずさった。
(大厄災の悪魔……ルシェラ)
その名は、子どもの頃から怖い話として聞かされてきた。
夜に泣き止まない子どもを黙らせるための、伝説の怪物。
なのに。
その悪魔が、子どもを守り、民を癒した?
リリィは混乱しながらも、強く思った。
(迅が、そんな悪魔と旅をしてる)
ルーナが静かに言った。
「……つまり、迅は“悪魔を連れている”んじゃない」
「え?」
ルーナは淡々と続ける。
「迅は、ルシェラを“守っている”」
その言葉が、リリィの胸に落ちる。
守っている。
迅が誰かを守る理由は一つしかない。
その相手が、誰かに傷つけられる存在だからだ。
ヴァロスが低く言った。
「迅は、見ている」
リリィが振り向く。
ヴァロスは、いつも通り短く、重い言葉を落とす。
「過去じゃない。今を見ている」
ガルドが拳を握った。
「……なら、俺たちも信じよう」
リリィは俯き、ぎゅっと杖を握りしめた。
怖い。
大厄災の悪魔と聞いて、恐怖が湧いた。
でも、それ以上に。
迅が選んだ道を信じたい。
リリィは顔を上げた。
「……追いかけよう」
声は震えていた。
だが、瞳は燃えていた。
「迅は、間違ったことしてない。私はそう思う」
ルーナが静かに頷く。
「ええ。迅は自分の正義を押し付けない。だからこそ、何を見ているのか確かめたい」
ガルドが短く言う。
「行くか」
ヴァロスは最後に、空を見上げた。
「……迅は、また孤独になりかけている」
リリィの胸がきゅっと痛んだ。
(迅……)
(あなたは、どうしてそんな危ない道を選ぶの)
でも答えは、追いかけなければ分からない。
四人は王都の門へ向かった。
夕日が街を赤く染め、風が吹く。
背後では、まだ復興の声が響いている。
リリィは歩きながら呟く。
「……ねえ迅。あなた、今どこにいるの」
そして、小さく笑ってしまう。
「絶対、また無茶してるんでしょ」
ルーナが淡々と返す。
「間違いないわね」
ガルドが短く言った。
「確かめる」
リリィは頷いた。
「私は何があっても迅を信じる」
ヴァロスが小さく口を開く。
「……それでいい」
四人の影が、王都の外へ伸びていく。
迅の背中を追う旅は、まだ終わらない。
むしろ今、さらに深くなった。
大厄災の悪魔と共にいる迅。
その理由を知るために。
そして――
迅が独りで抱え込まないように。
リリィの炎は、再び灯った。




