『夜明けの余韻』
夜が明ける頃、王都の空気はまだ重かった。
昨日の戦いの跡が、街のあちこちに残っている。
崩れた石壁。焦げた地面。
矢が突き刺さったままの屋根。
そして、包帯を巻いた人々。
それでも、朝日は平等に差し込んでいた。
王城の一室。簡素な寝台の上で、アレクは静かに目を開けた。
「……生きてる、か」
身体は痛む。背中に残る鈍い痺れ。
だが呼吸はできる。視界も澄んでいる。
隣の椅子には、近衛師団団長が腕を組んで座っていた。
「殿下。無茶をなさる」
アレクは苦笑し、少しだけ上体を起こす。
「無茶をしたのは、俺じゃない。……あの二人だ」
昨夜の光景が脳裏をよぎる。
エルフの光の矢。
崩れ落ちる民。
そして──悪魔族が放った、神聖な癒しの光。
「……ルシェラ」
アレクが呟いたその時、扉が開いた。
「殿下、起きたのですね」
近衛兵が告げる。
「広場に……民が集まっています。殿下に、礼を言いたいと」
アレクは一瞬、目を伏せた。
そして、決意を固めるように息を吐く。
「……行こう」
王都の広場には、人が集まっていた。
昨日の混乱が嘘のように整えられ、瓦礫は片付けられ、負傷者は手当を受けている。
その中心に、迅とルシェラとフォルがいた。
フォルは地面に伏せ、穏やかに尻尾を揺らしている。
子どもたちは恐る恐る近づき、毛並みに触れては笑った。
迅はその様子を眺めながら、静かに空を見上げていた。
昨日、怒りで剣を振るった自分を思い出す。
(……危なかった)
あのまま、セイルを殺していたら。
それは“裁き”ではなく、ただの“憎しみ”だった。
背後から足音がした。
「迅」
アレクだった。
顔色はまだ青白いが、立っている。
迅は軽く頷く。
「動いて大丈夫なのか」
「……大丈夫じゃない。だが、立つ必要がある」
アレクはそう言い、民の前へ歩み出た。
広場の空気が変わる。
ざわめきが止み、民が一斉にアレクを見る。
民の中から声が上がる。
「殿下……!」
「俺たちを守ってくれた!」
「王子様……!」
その声は、恐怖ではなく信頼だった。
アレクはルシェラの方を見た。
「……ルシェラ」
ルシェラは露骨に顔をしかめる。
「……なによ。礼ならいらないわ」
いつものつんとした声。
だが、民はそれを恐れない。
昨日、彼女が人々を癒した光を見たからだ。
アレクは静かに言った。
「昨日、命を救ってくれたこと……感謝する」
「あなたがいなければ、俺は死んでいた」
ルシェラは視線を逸らす。
「……だから、なに」
「だから、感謝している」
その言葉に、ルシェラの頬が少し赤くなる。
「……勝手にしなさい」
迅が小さく笑った。
アレクは続ける。
「この国は、まだ不安定だ。これから混乱も起きる」
民の顔が引き締まる。
「だが……俺は逃げない」
アレクは宣言した。
「昨日、皆が見た通り、外の敵も来る。俺たちはこれから、もっと試される」
そして、彼は迅に向き直った。
「迅。君たちは……ここを去るのだろう」
迅は頷いた。
「俺たちがここにいれば、また敵を呼ぶ」
アレクは苦く笑う。
「それでも、君たちがいてくれたら心強い」
「……悪いな」
迅の声は静かだった。
「俺たちは旅を続ける」
その言葉に、民の中から惜しむ声が上がった。
「行かないでくれ!」
「ここにいてくれよ!」
迅は困ったように頭を掻く。
「俺は、英雄じゃない」
ルシェラがぼそりと呟く。
「……そうね。愚かで、面倒な男」
「それ、褒めてる?」
「褒めてない」
いつものやりとり。
広場に、少し笑いが戻る。
その時、小さな足音が近づいた。
昨日、ルシェラに庇われた少女だった。
包帯を巻いているが、目は真っ直ぐだ。
少女はルシェラの前に立つと、ぎゅっと拳を握りしめた。
「おねえちゃん」
ルシェラの肩がぴくりと震える。
「……またそれ」
少女は笑った。
「昨日ね、おねえちゃんの魔法、すごくきれいだった」
「……綺麗?」
「うん!」
少女は胸を張る。
「わたしもね! おねえちゃんみたいに、きれいで強い魔法使いになる!」
その言葉は、純粋だった。
憧れそのものだった。
ルシェラは固まった。
(……私に、憧れる?)
大厄災の悪魔に。
恐怖の象徴に。
なのに、目の前の少女は笑っている。
ルシェラは顔を背けた。
「……やめなさい。そんなの、ろくなことにならない」
少女は首を傾げる。
「でも、おねえちゃん、みんなを助けたよ?」
ルシェラの喉が詰まる。
「……それは」
言葉が続かない。
迅が、少しだけ優しい声で言った。
「ルシェラ。嬉しいんだろ」
「うるさい」
即答。
だが、声の棘は弱い。
少女はルシェラの手を握った。
「ありがとう。おねえちゃん」
ルシェラは反射的に手を引きかけて──止めた。
「……勝手にしなさい」
小さく、そう言った。
少女は嬉しそうに笑い、走って戻っていく。
民たちも、ルシェラに頭を下げる。
「女神さま……」
「ありがとう……!」
「女神じゃない!」
ルシェラが怒鳴る。
だがその怒鳴り声は、昨日までの冷たさではなく、照れ隠しにしか聞こえなかった。
迅はその光景を見て、思わず笑みをこぼした。
(……変わったな)
ルシェラが、確かに変わっている。
フォルが立ち上がり、迅の横へ来た。
そして鼻先で、迅の手を軽く押す。
行こう
そう言っているようだった。
迅は頷き、アレクへ向き直る。
「アレク。お前の国だ。守れ」
アレクは力強く頷く。
「守る。……そして必ず、立て直す」
二人の視線が交差する。
迅は最後に言った。
「次に会う時、胸を張って立っていろ」
アレクは笑った。
「もちろんだ」
王都の門を出る。
振り返れば、民が見送っている。
兵は旗を掲げ、民は大歓声。
多くの人たちが感謝し、確かな敬意だった。
ルシェラは歩きながら、胸元を押さえた。
昨日の傷は塞がっている。
だが、心に残ったものは消えない。
少女の言葉。
憧れ。
感謝。
「……変な国ね」
ぽつりと漏れた。
迅が笑う。
「人間の国なんて、だいたい変だよ」
「……あなたが一番変よ」
「ありがとう」
「褒めてない」
いつもの会話。
けれど、そこに確かに温度があった。
王都を離れ、森道へ入る。
フォルが先を歩き、風が草を揺らす。
ルシェラがふと、迅に言った。
「……ねぇ、迅」
「ん?」
「昨日のあなた……少し怖かった」
迅は足を止めた。
「……俺もそう思う」
沈黙。
ルシェラは続ける。
「でも……止めたのがフォルでよかった」
フォルが振り返り、尻尾を揺らす。
迅は息を吐き、空を見上げた。
「……俺はまだ、未熟だな」
ルシェラは少しだけ目を細める。
「そうね。愚かで未熟」
「ひどいな」
「事実よ」
そう言いながら、ルシェラの口元は少しだけ柔らかい。
迅は笑った。
「……エルフ族」
ルシェラの表情がわずかに曇る。
セイルの言葉が、まだ胸に刺さっている。
大厄災。
過去。
封印。
迅は歩き出しながら言った。
「ルシェラ。」
「……なによ」
迅の声は静かだった。
「君が何者でも、俺は君を守る」
ルシェラは目を伏せる。
だが、胸元に指を添え、小さく息を吐いた。
(……この温もりがこわい)
(……セリウスに似てる)
昨日の夜明けが残した余韻だけが、静かに二人を包んでいた。




