『癒しの悪魔』
迅は踏み込む。
次の瞬間、剣がセイルの矢を切り裂き、身体を裂く。
「ぐ……!」
セイルが初めて息を乱す。
迅の速度が、さっきまでと違う。
理性が薄い。
選択がなく、ただ「殺す」だけになっている。
「お前が……」
迅の声が低く唸る。
「多くの民を殺しかけた」
剣が、セイルの胸を切り裂く。
血が散る。
セイルは後退し、光の壁を展開するが、迅は止まらない。
「……終わりだ」
剣先が、セイルの喉へ向かう。
セイルの目が見開かれる。
(……このまま、死ぬ)
その瞬間――
黒剣が重くなる。
「、、、、、、なっ!」
その時、、、
「ォオオッ!」
フォルが横から突進した。
体当たり。
迅の身体が弾かれ、剣筋が逸れる。
「……っ!」
迅がよろめく。
次の瞬間、世界が戻った。
自分が何をしようとしていたか、理解した。
(……俺は)
呼吸が乱れる。
手が震える。
(……殺すつもりだった)
迅は唇を噛む。
フォルが前に立ち、低く鳴く。
セイルは血を吐きながら笑った。
「……よくわからんが、」
撤退の合図を出す。
「退け!」
討伐隊は光の煙幕を撒き、壁の外へ消えていく。
セイルも最後に振り返り、ルシェラを睨む。
「大厄災の悪魔、過去は消えない」
「次は……討伐する」
そして影は消えた。
広場に残ったのは、倒れた民と、血と、静寂。
アレクが地面に横たわり、息が浅い。
顔は青白く、目が焦点を失いかけている。
「アレク……!」
迅が駆け寄るが、治療の術はない。
ルシェラが、ゆっくりと近づいた。
民が怯えた目で見る。
“悪魔”が近づく。
恐怖が、また戻りかける。
ルシェラは構わず膝をつき、アレクの胸元に手を置いた。
ルシェラの掌が淡く光る。
闇ではない。
温かい、優しい光。
「《セラフィム・グレイス》……」
光が広がり、裂けた肉がゆっくりと塞がっていく。
血が止まり、呼吸が整う。
アレクの胸が大きく上下した。
「……っ」
息を吹き返した。
広場が、凍りつく。
「……聖魔法?」
「悪魔が……?」
ルシェラは顔を背ける。
「……たまたまよ」
言い訳にもならない言い訳。
だが、その瞬間、足元に小さな影が近づいた。
さっき庇った少女だった。
少女は震えながらも、ルシェラの前に立つ。
そして、ぎゅっと拳を握りしめて言った。
「……ありがとう」
ルシェラの肩が僅かに揺れる。
「……」
返し方が分からない。
少女は続けた。
「おねえちゃん、こわかったけど……」
「でも、守ってくれた」
その言葉が、広場の空気を変えた。
怯えていた民の視線が揺らぎ、恐怖が少しずつ溶ける。
民は見ていた。
ルシェラが、傷を負っても子どもを庇ったことを。
ルシェラは立ち上がり、ふらつきながら周囲を見た。
倒れた民がいる。
泣き叫ぶ者がいる。
血を流す者がいる。
彼女は、短く息を吐き、手をかざした。
「……仕方ない」
ひどく不器用な言葉。
だが次の瞬間、光が広がる。
「《ルミナ・ヒール》」
負傷者の傷が塞がり、痛みが薄れる。
民が息を呑み、そして……膝をついた。
「……女神だ」
「女神が……ここに……」
誰かが呟き、次々と同じ言葉が広がっていく。
ルシェラの顔が真っ赤になる。
「ちょ、ちょっと……やめなさい」
「……私は、そんな……!」
恥ずかしさで視線を逸らし、耳まで赤い。
だが民は笑い始めていた。
恐怖ではなく、安堵の笑い。
その光景を、迅は少し離れた場所から見ていた。
剣を握る手が、ようやく落ち着いていく。
(……守ったな)
ルシェラが。
アレクが。
そして自分も──守ろうとして、危うく壊すところだった。
迅の口元が、少しだけ緩む。
だが、その笑みはすぐに消える。
胸の奥に、疑問が刺さった。
(……なぜ)
悪魔族が、聖魔法を使える?
迅はルシェラへ歩み寄り、静かに言った。
「ルシェラ」
ルシェラは、まだ恥ずかしそうに顔を背けたまま。
「……なによ」
迅は、真剣な目で続けた。
「君はいったい……」
言葉が途切れる。
答えが怖いわけじゃない。
だが、この先の旅が変わると直感していた。
ルシェラは、何も答えない。
ただ胸元を押さえ、目を伏せた。
そこにあるのは、かつての憎悪だけじゃない。
守った重み。
救った光。
そして、まだ言えない真実。
広場の空気が静まり、遠くで風が鳴る。




