『怒りの剣』
王都の広場は、まだ煙っていた。
焼けた石の匂いと血の匂いが混ざり、悲鳴の余韻が空に残っている。
「……立てる者は、傷を押さえろ! 子どもを先に──!」
アレクの声が飛ぶ。腕から血が垂れていたが、構わず人々を動かす。
民は混乱し、泣き、逃げ道を探して右往左往している。
その中心に、ルシェラがいた。
肩口から血が滲む。けれど、その腕の中には、さっき庇った少女が震えながら息をしている。
「……大丈夫。生きてる」
低く、硬い声。
慰め方を知らない者の、不器用な言葉。
迅は広場の端で、壁の上を見上げていた。
そこにいる“気配”は、まだ消えていない。
高い外周壁。
その上に立つ金髪の男が、静かに人間の街を見下ろしていた。
白銀の軽装鎧。背の長弓。
尖った耳と、冷えた碧眼。
男が一歩、壁の縁へ進む。
空気が変わる。
光の雨を呼ぶ者──エルフ討伐隊の隊長。
「……ここにいたか」
男の声は、広場全体に響いた。
怒鳴り声ではない。
だが、胸を刺すほど冷たい。
セイルは目を細め、視線を一点に固定した。
ルシェラ。
「……大厄災の悪魔、ルシェラ」
その言葉が落ちた瞬間、広場の空気が凍る。
「え……?」
「いま……なんて……」
民がざわめく。
アレクも、息を呑んだ。
セイルは淡々と続ける。
「なぜ封印が解かれている」
「なぜお前が、人間の王国に立ち入っている」
彼の声には、憎しみがない。
あるのは確信だけだ。
「お前たちは知らないのか」
セイルの視線が民へ移る。
「その悪魔族が、三百年以上前に起こした“大厄災”を」
「国を焼き、森を枯らし、数え切れぬ命を奪った災いを」
どよめきが、恐怖に変わる。
「……あの大厄災の悪魔?」
「そんな……この悪魔族が……?」
視線が一斉にルシェラへ向く。
さっきまで彼女に守られていた者ですら、後ずさる。
ルシェラは、動かなかった。
肩から血が落ちる。
腕の中の少女が小さく震え、ルシェラの服を握りしめる。
ルシェラは、ゆっくりと顔を上げた。
「……それを言いに来たの?」
声は冷たい。
だが、その奥に、一瞬だけ影が差す。
過去の名前。
過去の罪。
過去の封印。
(……大厄災)
その言葉は、彼女にとっても刃だった。
セイルは弓を構えた。
「討伐する」
「やめろ」
低い声が割り込んだ。
迅が前に出ていた。
空気が、さらに冷たくなる。
迅の目は、セイルだけを見ている。
その視線には、いつもの静けさがない。
「……だまれ」
迅の声が震えた。
怒りだ。抑えても抑えきれない。
「お前は許さない」
たったそれだけ。
その一言で、広場の温度が変わった。
迅はもう会話をしない。
判定もいらない。
民を傷つけた──それだけで十分だった。
セイルが僅かに笑う。
「ならば示せ」
弓が光を帯びる。
「討伐、再開」
瞬間、世界が裂けた。
迅が地を蹴り、壁の上へ跳ぶ。
セイルが矢を放つより早く、剣閃が走る。
だがセイルは退かない。
放たれた光の矢が空で分裂し、迅の死角へ回り込む。
「……っ」
迅が斬り落とす。
一瞬遅れれば、背後の民へ落ちる矢だ。
「狙いは俺じゃないな」
迅の声が低くなる。
セイルは冷淡に答える。
「悪魔を匿う国ごと、排除する」
その瞬間、迅の怒りが燃え上がる。
「……二度と」
剣が唸る。
「民を巻き込むな!!」
迅が踏み込む。
セイルの光の矢を、正面から叩き割る。
矢が砕け、光が散る。
セイルの足元に魔法陣が展開され、彼は滑るように距離を取る。
同時に、討伐隊が広場へ雪崩れ込んだ。
「悪魔を囲め!」
ルシェラの周囲に、光の網が広がる。
拘束魔法。逃げ道を封じる。
ルシェラは少女をそっと地面に下ろした。
「……下がって」
少女が涙を溜めて首を振る。
「や……」
「下がれ」
短い命令。
だが、少女はその声に従った。
彼女は知っている。あの背中が自分を守ったことを。
ルシェラが前に出る。
傷ついた肩が疼く。
だが、表情は変わらない。
討伐隊の魔法士が光の槍を放つ。
ルシェラは腕を上げる。
「《黒障壁》」
闇の幕が展開され、光が弾かれる。
だが次の矢が、別角度から突き刺さる。
ルシェラは歯を食いしばる。
「……しつこい」
その瞬間、彼女の周囲の空気が黒く沈んだ。
民が息を呑む。
(……これが、悪魔……?)
ルシェラは、初めて“攻撃”を選ぶ。
「《冥鎖》」
闇の鎖が地面から走り、討伐隊の足を絡め取った。
逃げようとした者の影を縫い、動きを止める。
「っ……! 影が……!」
「動けない──!」
確実に自由を奪う。
ルシェラの目が細くなる。
「……これ以上、近づくな」
その声は冷たい。
だが、怒りではない。
守るための拒絶だった。
広場の中央で、アレクが剣を抜いた。
「民を後方へ! 子どもを先に!」
負傷しているのに、彼は前に出る。
王子軍の兵が追いつき、盾を展開する。
だが、討伐隊は狡猾だった。
一人のエルフが空へ跳び、光の矢を民へ放つ。
「伏せろ!」
アレクが走る。
次の瞬間、矢が降る。
逃げ遅れた老人。泣き叫ぶ子ども。
アレクは迷わない。
身体を投げ出し、盾になる。
「ぐっ──!」
光が背を貫き、アレクが膝をつく。
血が口から溢れた。
「殿下!」
民の悲鳴が重なる。
アレクは倒れながらも、腕を伸ばした。
「……守れ……民を……」
声が掠れる。
迅の視界が赤く染まる。
「……!」
セイルが壁の上で冷たく言う。
「人間は脆い」
「だからこそ、悪魔に縋る」
迅の剣が、震えた。
(……殺す)
その感情が、喉元までせり上がる。




