『新しい秩序の始まり』
王都の広場には、ざわめきが渦巻いていた。
誰もが何かを聞いている。
だが、誰もが確信を持っていない。
――王が失脚した。
――王子が、王になる。
――国が変わる。
噂は形を持たず、ただ不安だけが膨らんでいく。
その中心に、簡素な演壇が設けられていた。
豪奢な装飾はない。
王城の威厳も、神殿の権威もない。
そこに立ったのは、鎧を脱いだアレクだった。
「……聞いてくれ」
声は大きくない。
だが、不思議と広場の隅々まで届いた。
ざわめきが、少しずつ静まっていく。
「今日、この国の王は失脚した」
どよめきが走る。
怒号、疑念、恐怖。
混ざり合い、渦になる。
だがアレクは、逃げない。
「恐怖で支配する王は、終わった」
民の顔が揺れる。
恐怖で縛られていた者ほど、自由は怖い。
次に来るのが救いなのか、地獄なのか分からない。
「これから先、この国はすぐに良くならない」
アレクは正直に言った。
「混乱も起きる」
「争いも残る」
「飢えも、怒りも……簡単には消えない」
誰かが叫ぶ。
「じゃあ、どうすればいい!」
アレクは、その声を正面から受け止める。
「選ぶんだ」
一言。
「恐怖に従うか」
「自分で考えるか」
広場が静まる。
「俺は、完璧な王じゃない」
「答えも、全部は持っていない」
それでも――。
「民の声を奪わない王にはなる」
空気が変わる。
「神殿の判定は見直す」
「軍は、民を守るために使う」
「王一人で正義を決めない」
人々の中に、戸惑いが広がる。
「怖いだろう」
アレクは言った。
「俺も怖い」
その告白が、少しだけ人々を救った。
「でも、恐怖で作った秩序は……もう秩序じゃない」
「俺は、恐怖で黙らせない」
「間違いを、声にさせる」
広場の奥で、誰かが小さく拍手をした。
その音は消えたが、確かに残った。
アレクは、深く息を吸う。
そして――その瞬間。
王都の外周。
高い石壁の上。
一人の男が、街を見下ろしていた。
長い金髪。
白銀の軽装鎧。
背には、光を纏う長弓。
その耳は尖り、瞳は冷たい碧。
人間の王都を見下ろす姿に、迷いはなかった。
「……聖王国に侵入したか」
男は呟く。
背後には、数十の影。
全員が同じ耳を持ち、同じ沈黙を纏っている。
エルフ族の討伐隊。
討伐隊隊長の男セイル=リュミナス・フェンリオス
「悪魔族ルシェラ」
「そして同行している人間族」
冷たい風が、マントを揺らす。
「お前たちは討伐対象だ」
セイルは弓を構えた。
光が集まる。
まるで空そのものが、彼の武器になったようだった。
「……討伐開始」
広場。
アレクはまだ、演壇の上に立っている。
「この国を――」
声が、広場に響きかけた、その瞬間。
迅の背筋が凍る。
(……殺気?)
空気が変わった。
あまりにも鋭い。
ルシェラも同時に顔を上げた。
「上……!」
次の瞬間――
空が裂けた。
無数の光の矢が、雨のように降り注ぐ。
「――《天光槍雨》」
どこからともなく、冷たい声が響く。
光の矢は一直線に落ち、
広場を、街を、民を――狙っていた。
「伏せろ!!」
迅が叫ぶ。
剣を抜き、矢を切り落とす。
だが、数が多すぎる。
一本切っても、十が来る。
十を切っても、百が来る。
「くっ……!」
迅の剣が火花を散らし、光を弾く。
だが、落としきれない。
矢が地面に突き刺さり、爆ぜ、
衝撃波が民を吹き飛ばす。
悲鳴。
血。
混乱。
アレクは演壇から飛び降り、民を庇おうとするが――
間に合わない。
ルシェラが動いた。
近くにいた子ども。
呆然と立ち尽くし、逃げられない小さな背中。
「……っ!」
ルシェラは躊躇しない。
子どもを抱き寄せ、身体で覆う。
「——《黒障壁》!!」
闇の障壁が広がる。
だが、光の矢はその上から叩きつけられた。
轟音。
障壁がきしみ、砕け、
一瞬の隙間から光が貫く。
「……っ!!」
ルシェラの肩が裂け、血が散った。
それでも、子どもを離さない。
「大丈夫……動くな……!」
声が震える。
迅は歯を噛みしめ、矢を斬り続ける。
「やめろ……!!」
しかし、光の雨は止まらない。
矢が民を貫き、兵を倒し、
アレクの腕にも傷が走る。
「……くっ!」
アレクが膝をつく。
誰もが倒れる。
誰もが、声を上げる。
そして――
光の雨が止んだ。
広場に残ったのは、血と煙と、悲鳴だけ。
ルシェラは肩を押さえながら立ち上がる。
子どもは生きている。
迅は剣を握ったまま、動かない。
彼の視線は、街の外周――
高い壁の上を捉えていた。
そこに立つ、金髪の影。
セイルは弓を下ろし、静かに言った。
「……確認した」
「悪魔族は生存」
「人間族も健在」
迅の拳が震える。
怒りが、胸の奥から這い上がってくる。
いつもの迅ではない。
冷静で、選ぶ者で、裁く者。
だが今は――違う。
無差別に降り注いだ光。
倒れた民。
血を流す子ども。
傷を負ったルシェラ。
迅の目が、はっきりと“色”を変えた。
「……お前」
低い声。
アレクが息を呑む。
ルシェラが、迅を見上げる。
フォルが唸り、毛を逆立てる。
迅は一歩踏み出した。
剣を握る手に、力がこもる。
「……俺の前で」
声が震える。
「……傷つけたな」
その瞬間、風が止まった。
王都の空気が、凍りつく。
迅の怒りが、初めて“剣”になる。
セイルは微笑まない。
ただ冷たく、次の矢を番える。
「討伐は、まだ終わらない」
迅の目が細くなる。
絶対に許さない、という確信だった。




