『守るべきもの』
剣が交わった瞬間、空気が裂けた。
乾いた金属音が、王城の回廊に幾重にも反響する。
迅の剣と、ヴァルグリム・エル=レオニスの剣。
どちらも一切の迷いなく、相手を捉えていた。
重い。
最初にそれを感じたのは、迅だった。
(……やっぱり、強い)
力だけではない。
踏み込みの速さでもない。
揺るがない姿勢そのものが、重さになっている。
ヴァルグリムは一歩も引かない。
正面から打ち合い、受け止め、押し返す。
「どうした」
低い声が、合間に落ちる。
「それが、お前の力か」
迅は答えない。
一歩引き、半身になり、斬撃を流す。
反撃は浅く、だが確実に。
「……っ」
ヴァルグリムが初めて、わずかに息を吐いた。
速さでは、迅が上。
力では、ヴァルグリムが上。
互角ではない。
だが、崩れない。
剣がぶつかり、火花が散る。
迅は攻めすぎない。
正面衝突を避け、軌道を変え、相手の重さをいなす。
ヴァルグリムは、それを真正面からねじ伏せようとする。
「逃げるな」
「逃げてない」
迅は短く返す。
ヴァルグリムの剣が、唸りを上げる。
一撃が、床を抉る。
迅はそれをかわし、即座に間合いへ戻る。
(……まだだ)
まずは、剣士として向き合う必要がある。
数合。
いや、数十合。
王子軍も、ルシェラも、誰も言葉を挟めない。
ただ、二人の剣を見つめる。
ヴァルグリムの動きは、乱れない。
だが――
(……僅かに、遅れ始めている)
迅は気づく。
力が衰えたわけじゃない。
技が鈍ったわけでもない。
受け止め続けることで、削られている。
「……不思議だな」
迅が、剣を合わせたまま言う。
「お前は、強い」
「でも……守っているはずなのに、前に進んでいない」
ヴァルグリムは、剣を押し返す。
「王を守ることが、秩序だ」
「秩序を守ることが、民を守ることだ」
即答。
何度も口にしてきた言葉。
迅は一歩引き、構え直す。
「本当に、そうか?」
その瞬間――
迅の剣が、わずかに重くなった。
ヴァルグリムは、違和感を覚える。
(……何だ?)
力が増したわけじゃない。
なのに、受け止めた瞬間、腕に負荷がかかる。
「王を守っている間に」
迅は続ける。
「その秩序の下で、声を失った民を見たか?」
剣が交わる。
重い。
ヴァルグリムの足が、半歩沈む。
「……関係ない」
「ある」
迅は踏み込む。
「お前が守った秩序の中で、消えた人間がいる」
ヴァルグリムは歯を噛みしめ、剣を振るう。
「それでも!」
「王が決めたことだ!」
剣がぶつかる。
さらに、重くなる。
「決めたのは王だ」
迅は言う。
「背負ったのは、お前だ」
ヴァルグリムの剣が、わずかに軋んだ。
「……黙れ」
ヴァルグリムが踏み込む。
渾身の一撃。
迅は正面から受ける。
だが、押し返さない。
流す。
剣を絡め、角度を変え、力を逃がす。
「なら聞く」
迅は間合いを詰めながら言う。
「民を守るために、何人切った?」
ヴァルグリムの動きが、一瞬止まる。
「……数えたことはない」
「だろうな」
迅の剣が、再び重くなる。
「数えないと、守ってるって言えるのか?」
剣がぶつかった瞬間――
ヴァルグリムの腕が、震えた。
「……っ!」
初めて、完全に押し負ける。
後退。
半歩。
その事実が、王子軍を震わせる。
(……下がった?)
ヴァルグリムは即座に体勢を立て直す。
「俺は、疑わなかった」
低い声。
「疑えば、秩序は崩れる」
「だから、疑わなかった」
迅は構えを崩さない。
「疑わなかった結果が、今だ」
踏み込む。
「王を守ることと」
「民を守ることは、同じじゃない」
ドン、という鈍い音。
剣と剣がぶつかり合った瞬間、
ヴァルグリムの剣に、亀裂が走る。
「……!」
ヴァルグリムの目が見開かれる。
「なぜ……!」
迅は、静かに答える。
「お前が、重さを一人で抱えてきたからだ」
最後の一撃。
迅は力を込めない。
ただ、問いを乗せる。
「誰を守るべきかを、選ばなかった」
「だから、剣が折れる」
乾いた音。
パキン。
ヴァルグリムの剣が、完全に折れた。
破片が、床に散る。
静寂。
ヴァルグリムは、剣の柄だけを握りしめ、膝をついた。
迅は、剣を下ろす。
迅は一歩近づき、
剣の峰で、ヴァルグリムの武器を弾き落とす。
「お前は、強い」
「でも……」
目を見て、はっきりと言う。
「王を守ること=民を守ることではない」
ヴァルグリムは、何も言えない。
ただ、床を見つめている。
長い沈黙の後、
彼は、かすかに息を吐いた。
「……俺は」
「選ばなかった」
それが、敗北だった。
迅は背を向ける。
王の間の扉が、ゆっくりと開き始める。




