『王の盾』
王の間へ続く回廊は、異様な静けさに沈んでいた。
戦闘は、すでに終わっている。
近衛騎士団は退き、道は開かれている。
それでも――
誰一人として、足を進められなかった。
「……いる」
空気が、重い。
呼吸をするたび、胸の奥が押し潰されるような感覚。
何かが前方に“在る”。
姿は見えない。
音もない。
だが、そこに近づいてはいけないと、身体が理解していた。
「……剣が、重い」
兵の一人が呟き、無意識に柄を握り直す。
恐怖だ。
理由の分からない恐怖ではない。
理解できないほど強いものに直面した時の、本能的な拒絶。
回廊の奥。
影の中から、ゆっくりと一人の男が姿を現した。
黒鉄の鎧。
装飾のない直剣。
隙のない立ち姿。
ただ立っているだけで、
この場の空気が完全に支配される。
「……王国最強騎士」
誰かが、掠れた声で呟いた。
男は止まったまま、口を開く。
「ここから先は、通さない」
低く、静かな声。
怒気も、威圧もない。
だからこそ、逆らう余地がない。
「殿下」
男の視線が、アレクに向く。
「これ以上進めば、あなたは王に刃を向けることになる」
アレクは、一歩踏み出そうとして――止まった。
(……違う)
剣の問題ではない。
覚悟の問題でもない。
ここは、自分の立つ場所ではない。
「……ヴァルグリム・エル=レオニス」
アレクが言う。
その名に、王子軍が息を呑む。
建国以来、ただ一人。
王城最奥を守り続けてきた存在。
「父の命か」
アレクが問う。
「王の意思だ」
ヴァルグリムは即答した。
「王は、この国の秩序」
「秩序を守ることが、民を守ることだ」
その言葉に、揺らぎはない。
(……完全に、信じ切っている)
アレクは理解した。
この男は、疑わなかった。
疑わないことを、強さに変えてきた。
王子軍では――止められない。
アレクは、静かに息を吐いた。
「……迅」
それだけで、伝わった。
迅は、すでに前に出ている。
「ここは、俺が行く」
短い言葉。
アレクは、何も言わずに一歩下がる。
「……頼む」
迅は、剣を抜いた。
ヴァルグリムは、初めて迅を正面から見る。
「お前は、王子ではない」
「軍を率いる者でもない」
迅は答えない。
「なぜ……ここに立っている」
「お前は、この国の人間ではない」
ヴァルグリムは続ける。
「それでも――
この場所に立つ理由があるのか?」
迅は、剣を構える。
殺気はない。
「あるべき姿に戻すだけだ」
迅は言う。
ヴァルグリムは、静かに剣を抜いた。
次の瞬間――
ヴァルグリムが踏み込む。
重い。
迅の腕が、軋む。
力だけではない。
重ねてきた年月、選び続けた信念、そのすべてが剣に乗っている。
「……なるほど」
ヴァルグリムが言う。
「お前は、揺れていない」
迅は、正面から押し返さない。
力を流す。
角度を変える。
正面衝突を避ける。
数合。
まだ、決着はつかない。
ヴァルグリムは、わずかに息を整えながら言った。
「ならば来い」
「ここを越えられるかどうか――
それが、お前の“選択”だ」
迅は答えない。
だが、剣の軌道が、明確に変わる。
王の間の扉が、背後で重く軋む。
お互いの想いをかけて。




