『守る者の背中』
朝の王都は、いつも通りに動いていた。
市場では商人が声を張り上げ、
巡回兵は規則正しく歩き、
人々は目を伏せながら、それぞれの場所へ向かう。
――何も、起きていないように見える。
だが、中央広場に設けられた簡易の処刑台だけが、
その“日常”から浮いていた。
縄。
柱。
立ち並ぶ兵。
そして、その前に並ばされている数人の市民。
「……公開処刑」
アレクは、群衆の端から処刑台を見つめていた。
罪状は読み上げられていない。
ただ、「反逆の疑い」とだけ告げられた者たち。
ルシェラは黙って、処刑台の周囲を見渡す。
子どもはいない。
だが、家族はいる。
母親が、歯を食いしばり、
老人が、祈るように手を握っている。
守られていない。
誰も。
「……行く」
アレクが言った。
迅が一瞬だけ視線を向ける。
処刑台の前。
執行官が、冷たい声で宣言する。
「王の名の下に――」
「待て」
その声が、広場に響いた。
ざわめき。
兵たちが、一斉に振り向く。
アレクが、群衆を割って前に出る。
外套を脱ぎ、王子の印章を示す。
「その執行を、止めろ」
執行官の顔が引きつる。
「な……殿下?」
兵たちの動きが、止まる。
「これは、正式な命令です」
「王の名において――」
「王の名を出すな」
アレクは、強く言った。
「その言葉で、人を殺すな」
沈黙。
執行官は、声を荒げる。
「殿下、これは王命です!」
「反逆者を見逃せば、秩序が――」
「秩序?」
アレクは一歩、前に出た。
「この国の秩序とは、声を上げた者を縛り首にすることか」
兵たちの視線が揺れる。
その時、執行官が叫んだ。
「王の名に背くのですか!」
その言葉は、刃だった。
兵の一人が、無意識に槍を構える。
だが、次の瞬間――
「動くな」
低く、だがよく通る声。
迅だった。
一歩前に出る。
剣は抜かない。
ただ、存在だけで圧をかける。
「一歩でも前に出れば、全員倒れる」
それは脅しではない。
事実だった。
兵たちが、息を呑む。
ルシェラは、処刑台と市民の間に立つ。
魔力も見せない。
ただ、静かに。
「……この先に行かせない」
その一言で、空気が変わる。
兵たちは理解した。
ここから先は、“民間人を巻き込めない”。
執行官が、震える声で言う。
「殿下……これは、命令違反です」
「違う」
アレクは、処刑台の前に立つ。
「これは、確認だ」
「この者たちは、本当に罪を犯したのか」
「判定は――」
「神殿の判定だろう」
アレクは遮る。
「だが、俺は聞いていない」
「証拠も、理由も」
執行官は言葉を失う。
兵たちの間に、ざわめきが走る。
アレクは、縄を掴み、
一人目の市民の拘束を解いた。
息を呑む音。
「……殿下!?」
「責任は、俺が取る」
その一言が、広場に落ちる。
二人目。
三人目。
兵の一人が、ついに声を上げた。
「……王に、どう説明するのですか」
アレクは、その兵をまっすぐ見た。
「俺が行く」
「俺の名で、説明する」
それは、
人として前に立つ宣言だった。
兵は、視線を伏せた。
誰も、止めなかった。
解放された市民たちは、
しばらく、状況を理解できずにいた。
やがて、一人が震える声で言う。
「……助かった、のか」
ルシェラが、静かに頷く。
「ええ」
「もう、ここにはいない方がいい」
迅が、素早く周囲を確認する。
「逃げ道は確保した」
「今なら、まだ間に合う」
市民たちは、互いに支え合いながら、
群衆の中へ消えていく。
その背中を、アレクは見送った。
(……これが、最初の一歩)
執行官は、歯を食いしばりながら言う。
「殿下……覚悟は、おありですね」
「ある」
短く、はっきりと。
「この国が間違っているなら」
「正すのは、王家の役目だ」
執行官は、何も言えなかった。
広場を離れた後。
細い路地で、三人は足を止める。
アレクは、深く息を吐いた。
「……震えた」
「当然だ」
迅が言う。
「初めてだ」
「“守るために、前に立つ”のは」
ルシェラが、静かに続ける。
「でも、逃げなかった」
アレクは、小さく笑った。
「逃げたら……誰も、守れないからな」
フォルが、尻尾を揺らす。
その仕草が、奇妙に温かかった。
「……見ていたと思う」
迅が言う。
「兵も」
「市民も」
アレクは、王都の方を振り返る。
「なら、いい」
たった一度の行動。
だが、それは確実に残る。
“王の名”よりも強いものがあると、
誰かが、初めて示したのだから。
守られなかった人々は、
今日、初めて守られた。
それは、反乱ではない。
選択の始まりだった。




