『アレクの覚悟』
王都の夜は、昼よりも息苦しかった。
灯りは整えられ、巡回の兵は規則正しく歩いている。
秩序は保たれている。
だが、その秩序の中で、人々は声を潜めていた。
アレクは旅人風の外套を纏い、石畳を歩く。
背後には迅とルシェラがいるが、二人は一歩引いた位置を保っていた。
最初に訪れたのは、王都の奥にある大邸宅。
かつて王家の直近で政を担い、今は表舞台から退いた一族の屋敷だった。
扉を叩くと、白髪の老人が姿を現した。
背は曲がり、年齢は隠せない。
だが、その目はまだ鋭い。
「……どなたかな」
アレクはフードを外す。
「アレク・レイフォードです」
老人の瞳が揺れた。
「……殿下、このような夜更けに」
「今夜は、お話があり来ました」
アレクは一歩前に出ると、その場で深く頭を下げた。
「力を、貸していただきたい」
老人はしばらく言葉を失い、やがて苦く笑った。
「殿下……私はもう、権力も地位も持たぬ老人だ」
「王家に仕えた過去があるだけの、過去の人間だ」
「承知しています」
アレクは顔を上げない。
「ですが、あなたは知っている」
「父が王になる前のこの国も」
「そして、王になってからの変化も」
沈黙が落ちる。
老人はゆっくりと椅子に腰を下ろし、語り始めた。
「……我々は、強い国を作ろうとした」
「混乱を嫌い、迷いを恐れ、決断を急いだ」
視線を窓に向ける。
「だがいつからか、判断の基準が“正しさ”ではなく、“従うかどうか”に変わった」
「それに気づきながら……わしは、黙った」
老人の声が、少し震える。
「王家を守るためだと、自分に言い聞かせてな」
アレクは、まっすぐに言った。
「私は、王家を壊したいわけではありません」
「この国を、未来へ渡したいだけです」
老人は、アレクを見据える。
「……殿下は、父君を止める覚悟がおありか」
「あります」
即答だった。
「殺すつもりはありません」
「ですが、今のやり方は終わらせる」
長い沈黙の後、老人は深く息を吐いた。
「……ようやく、王家の中から声が上がったか」
そして、ゆっくりと頷く。
「わしは前に立てぬ」
「だが、殿下の側に“王家を知る者”がいる意味は大きい」
「知恵と名を貸しましょう」
それは、重い了承だった。
次に向かったのは、神殿の裏手にある小礼拝堂。
煌びやかさはなく、灯りも落とされている。
そこにいたのは、神殿中枢に名を連ねる神官だった。
「……殿下」
「このような場所で会うこと自体、危険です」
「分かっています」
アレクは静かに言った。
「ですが、あなたは今の神殿に疑問を抱いている」
神官の指が、無意識に震えた。
「……判定が、変わりました」
「神の意思ではなく、“都合”で決められるようになった」
唇を噛みしめる。
「異を唱えた者は、配置換えされ、やがて消える」
「神殿は、信仰の場ではなく……恐怖の装置になりつつある」
アレクは、その場で深く頭を下げた。
「それを、止めたい」
神官は、かすれた声で言う。
「それは……神殿への反逆です」
「違います」
アレクは顔を上げる。
「神を、利用する人間への反抗です」
神官は、しばらく黙り込んだ後、問う。
「殿下は、神を信じておられますか」
「信じています」
迷いのない答えだった。
「だからこそ、今の神殿を放置できない」
長い沈黙。
やがて神官は、深く頭を下げた。
「……私にできる範囲で協力します」
「神を、嘘にしたくありません」
それは、恐れを抱えた誓いだった。
最後に訪れたのは、王都外縁の詰所。
アレク率いる近衛師団の団長が、静かに待っていた。
「殿下」
彼は膝をつこうとする。
「やめてくれ」
アレクは制し、代わりに自ら頭を下げた。
「一緒に来てほしい」
団長の目が、わずかに見開かれる。
「王に刃を向けることになる」
「国を敵に回すことになる」
「分かっています」
アレクの声は低い。
「それでも、俺は一人ではできない」
団長は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「殿下」
「私は、殿下が兵を見捨てない人間だと知っています」
一拍置いて、続ける。
「王ではありません」
「あなたに、忠義を誓った」
アレクの喉が詰まる。
「……命を賭けさせることになる」
「それを一人で背負う方が、よほど酷です」
団長は、まっすぐに言った。
「殿下が前に立つなら、我々はともに戦います」
「すまない、苦労をかける」
宿への帰路、迅が言った。
「……逃げなかったな」
アレクは頷く。
「逃げたら、誰もついてこない」
ルシェラは夜空を見上げ、呟く。
「人間は……こうやって、仲間を選ぶのね」
アレクは答えず、前を見据えた。
準備は、整った。
それは策ではない。
覚悟の連なりだった。




