『王都潜入』
王都の城門が見えたとき、近衛兵たちは誰一人として口を開かなかった。
列は乱れていない。
疲労も、動揺も表に出さない。
だが――
全員が、同じものを見てきた。
剣を抜かない戦い。
人を傷つけない力。
そして、
悪魔族でありながら、民を守る姿。
アレク・レイフォードは、隊の先頭で歩きながら、背後の気配を感じ取っていた。
(……分かっているな)
誰も、討伐失敗を悔やんでいない。
それが、答えだった。
城門をくぐる直前、アレクは足を止めた。
「ここでいい」
近衛隊長が一歩前に出る。
「殿下。
我々は――」
「これ以上、俺の近衛を危険に晒すつもりはない」
はっきりとした言葉だった。
兵たちの間に、ざわめきは起きない。
代わりに、理解が広がる。
「討伐対象は確認できなかった」
アレクは続ける。
「極めて高い戦闘能力を持つ存在と接触したが、
敵意はなく、王都方面へ向かった確証もない」
それは、
兵たちが見た事実だけを切り取った報告だった。
「この件は、俺が引き受ける」
近衛隊長が、低く頭を下げる。
「……我々も、殿下と同じ判断です」
一人が言い、
二人が続き、
やがて全員が、同じように頭を垂れた。
「迅殿とルシェラ殿は、
討伐されるべき存在ではありません」
その言葉を聞いた瞬間、
アレクの胸の奥で、何かが静かに固まった。
「ならば――」
アレクは、ゆっくりと言う。
「今日のことは、忘れろ」
兵たちが顔を上げる。
「だが、いずれ思い出す日が来る」
意味は、説明しない。
それで十分だった。
「各自、通常任務に戻れ。
俺は単独で、王に報告する」
近衛兵たちは、剣を胸に当て、揃って敬礼した。
「――御意」
それは、
王ではなく、アレク個人への忠誠だった。
王の間は、変わらず静謐だった。
玉座の国王は、報告を淡々と聞く。
「悪魔族と接触した、だと?」
「はい」
アレクは跪き、視線を伏せる。
「極めて高い能力を持ちますが、
無差別殺戮の兆候は確認できませんでした」
国王の指が、わずかに止まる。
「……討伐は?」
「困難です」
それも、嘘ではない。
「追跡の途中で痕跡を見失いました。
ただし――」
アレクは、言葉を慎重に選ぶ。
「王都方面へ向かった可能性は、否定できません」
沈黙。
国王は、ゆっくりと頷いた。
「ならば、王都の警戒を強めよ」
「はっ」
「お前が確認しろ、アレク」
その命令は、
監視であり、信頼でもあり、鎖でもあった。
「王都内部に潜んだ場合、
混乱を招く前に処理せよ」
「承知しました」
アレクは頭を下げながら、理解していた。
(……これでいい)
近衛を巻き込まず、
迅たちを討伐せず、
それでいて王の疑念を逸らす。
――完全な嘘ではない。
だが、真実でもない。
翌日。
王都外縁、巡回の目が届きにくい林道。
アレクは一人、簡素な外套を纏って立っていた。
王子の装いではない。
ほどなくして、足音。
迅とルシェラ、そしてフォルが姿を現す。
「……兵はいないのね」
ルシェラが言う。
「近衛は、王都に残した」
アレクは答える。
「彼らは――
お前たちを敵だとは思っていない」
迅の視線が、わずかに和らぐ。
「王には?」
「部分的に、報告した」
アレクは隠さない。
「俺は今、王の命令で動いている」
「追跡か?」
「表向きは、な」
アレクは一歩、王都の方を振り返る。
「だが実際は――
この国を、もう一度見直す」
アレクは言う。
「この国の現状を見てほしい、表も、裏も。
王都の“本当の姿”を」
迅は短く答える。
「……分かった」
王都の通りは、朝の光に満ちていた。
白い石畳。
整えられた建物。
行き交う人々の服装も、聖王国隣接の街とは明らかに違う。
「……さすが、王都ね」
ルシェラが静かに言う。
「昨日の街とは、別の国みたい」
「実際、そう思わせるために作られている」
アレクが前を歩きながら答えた。
声は抑えられているが、迷いはない。
「ここは“見せる都”だ」
迅は何も言わず、周囲を見渡す。
兵の配置。
巡回の間隔。
人の流れを邪魔しない立ち位置。
(……効率がいい)
威圧はしない。
だが、目に入る。
意識させる。
「兵が多いな」
迅が言うと、アレクは頷いた。
「治安維持、という名目だ。
だが実際は……」
一瞬、言葉を選ぶ。
「“抑止”だ」
「抑止?」
ルシェラが首を傾げる。
「悪いことをしないように、見張ってる?」
「違う」
アレクは足を止めずに言う。
「悪いことを“考えないように”だ」
ルシェラの眉が、わずかに動く。
通りの中央で、神殿の使徒らしき者が演説をしていた。
内容は祝詞に近い。
神の加護。
王の恩寵。
秩序への感謝。
人々は足を止め、黙って聞いている。
拍手も、野次もない。
「……静かすぎるわね」
ルシェラの言葉に、アレクは小さく笑った。
「声を上げる必要がない国――
そう思わせることが、理想だからな」
迅は演説を聞く人々の表情を見た。
信仰している顔ではない。
怒ってもいない。
(……考えていない顔だ)
「神殿は、ここでは“答え”を与える場所だ」
アレクが続ける。
「善悪の判定。
正しい行い。
間違った思想」
「……思想まで?」
ルシェラが低く言う。
「神殿の言葉は、王の言葉と同じだ。
逆らえば――」
アレクは、そこで一度言葉を切った。
「“悪”になる」
迅の視線が、アレクに向く。
「罪じゃないのか」
「罪じゃない」
アレクは、はっきりと言った。
「罪なら、裁ける。
だが“悪”は、裁かれる前に消える」
三人は、表通りから少し外れた場所に入った。
そこは整っているが、どこか色が薄い。
掲示板があり、布告が貼られている。
《不穏な言動に注意せよ》
《神殿への協力は義務である》
「……これも、見せるためか?」
迅が聞く。
「そうだ」
アレクは言う。
「王都では、罰よりも“前例”が使われる」
「前例?」
「一人、消えればいい」
ルシェラが足を止めた。
「……消える?」
アレクは振り返らない。
「記録には残らない。
噂にもならない。
家族は理由を聞かされない」
「それで、皆が黙る?」
「黙るんじゃない」
アレクの声が、少しだけ低くなる。
「“考えなくなる”」
迅は、先日見た街を思い出す。
声を出さない人々。
諦めた目。
(……あれは、外側)
(ここは、中心だ)
フォルが突然、足を止めた。
低く唸り、耳を伏せる。
「フォル?」
ルシェラが声をかける。
フォルは、王城の方向を見ている。
敵意ではない。
重さだ。
「……近い」
迅が呟く。
「何かが、ここを覆ってる」
アレクは、王城を見上げた。
高く、揺るがず、圧倒的な存在感。
「……王は、狂ってはいない」
独り言のように言う。
「恐怖で縛れば、国は壊れない。
そう信じているだけだ」
「それが、正しいと思ってる?」
ルシェラが問う。
アレクは、少し黙ってから答えた。
「……思っていた」
迅は、そこで初めて口を挟む。
「今は?」
アレクは、拳を握りしめた。
「今は……分からない」
正直な答えだった。
「だが、一つだけ確かなことがある」
アレクは足を止め、二人を見る。
「この国は、声を失っている」
「それを、取り戻すには?」
迅の問いに、アレクはすぐ答えなかった。
代わりに、静かに言った。
「……だから、ここから先は」
王子としてではない。
案内人としてでもない。
「俺自身が、確かめる」
ルシェラは、その横顔を見つめる。
自分の国を疑い、
自分の父を疑い、
それでも歩く覚悟。
(……これは、外から壊す話じゃない)
迅は、王城へと続く道を見た。
(ここから先は)
(誰かを守る戦いじゃない)
選択の話だ。
フォルが、静かに一歩前へ出る。
危険は増している。
だが、逃げるべきではない。
王都は、変わらず美しかった。
その美しさが、
これほど歪んで見えたことはない。




