『迷いの森の聖獣』
迷いの森──
昼でも薄暗く、木々が絡むように伸び、
生き物たちの気配が囁き声のように漂う場所。
迅とルシェラは、森の入口で足を止めた。
「この森……普通じゃないわね」
ルシェラが眉をひそめる。
風が生き物のように逆巻き、空気そのものが震えている。
「うん。
“何か大きな力”が動いてる……そんな感じがする」
迅は森の奥に視線を向けた。
その先から、微かに“うめき声”が聞こえた。
──ぐるる……ッ……!
「魔物の声じゃないわね」
「助けを求めてる……?」
二人は慎重に森の奥へ進む。
枝葉がざわつき、影が揺れ、
何かが導くように彼らの足を進ませた。
やがて視界が開き、
大木の根元に“それ”はいた。
大きな白い狼。
しかしただの狼ではない。
毛並みは淡い光を帯び、
額には月のような紋様。
背には傷が走り、深くえぐれていた。
「……聖獣ね」
ルシェラの声に、迅も驚いたように息を飲む。
「どう見ても“高位の聖獣”……
けれど、どうしてこんな森に?」
その瞬間、聖獣が薄く目を開いた。
──ガアァ……ッ!
怒りと警戒が混ざった声。
視線はルシェラに向いている。
(……魔族の気配を感じてる?)
迅はすぐに前に出た。
「待って! 敵じゃない!」
聖獣は苦しそうに息を吐いた。
体から魔力が漏れ、傷口が黒く腐食している。
「……呪いね。
この傷、“神殿の術式”に似ているわ」
「誰かに狙われたのかもしれない」
迅は聖獣に近づこうとする──
その瞬間、聖獣が怒りで牙を剝いた。
──グルルルッ!!
「迅、危ない!」
だが迅は腕を上げ、静かに言った。
「大丈夫。
怒ってるのは……痛いからだ」
そして、そっと聖獣と目を合わせる。
「……怖かったよな。
痛くて、苦しくて、誰にも助けを求められなくて──
でも、俺たちは敵じゃない」
聖獣がわずかに吠えた。
まるで返事のように。
ルシェラは目を細める。
「……本当に、不思議な人間ね。
聖獣に気持ちが通じるなんて」
迅はにっこり笑った。
「どうしたら治せるのだろう」
傷から黒い瘴気が溢れ、
迅を拒むように暴れ出す。
「これは……古代の呪法の残滓ね」
ルシェラが片手を前に出す。
「私がやるわ」
瞬間、黒い瘴気が彼女を敵と認識したように逆流する。
──ギャアアアッ!!
聖獣が苦しみ、森全体が揺れる。
迅が叫ぶ。
「ルシェラ! これ以上は──!」
「平気よ。
私は“呪い”になら慣れているもの」
声は淡々としていたが、
瞳は深く沈んでいた。
迅は胸の奥が痛くなる。
ルシェラが指先を振ると、
黒い瘴気が一気に霧散した。
風の音が止み、
森が静寂を取り戻す。
聖獣は力尽きたように地面へ伏したが、
苦しみは完全に消えていた。
そして──
ゆっくり、ゆっくりと頭を上げ、
ルシェラの前に歩み寄る。
「……え?」
白い狼はルシェラの手に鼻先を寄せ、
その黒い瞳を細めた。
迅が驚く。
「……懐いてる?」
ルシェラは戸惑いを隠せない。
「な、なによ……
私は別にあなたを助けたわけじゃ──
呪いが目障りだったから消しただけよ……!」
しかし聖獣はぴたりと彼女の横から離れない。
迅が吹き出しそうになる。
「気に入られたみたいだな」
「……知らない!
勝手にしなさい!!」
言いながらも、
ルシェラはそっと手を差し出した。
聖獣はその手に静かに額を寄せる。
(……あったかい)
そのぬくもりが、
凍りついていた心に触れた。
迅はふと、空を見上げる。
「よし。
しばらく一緒に旅をしよう。
この子にも、行き場が必要だ」
「名前は、そうだな……
フォルにしよう!!」
聖獣が嬉しそうに尾を振った。
ルシェラはわずかに頬を赤らめながら、
そっぽを向いて言った。
「勘違いしないで。
ついてくるって言うなら止めないだけよ」
迅はにっこり笑った。
「うん、それで十分だよ」
こうして──
聖獣フォルは、
迅とルシェラの旅の仲間となった。




