『星と焚き火』
討伐隊を退けたその夜。
森の奥で、迅は小さな焚き火を起こした。
ぱち、ぱち、と薪が弾ける音が静寂に溶けていく。
空には無数の星が瞬き、
まるで世界が一度だけ呼吸を止めたようだった。
ルシェラは焚き火から少し離れた場所に座り、
赤の瞳で揺れる火を見つめていた。
「……どうして剣を抜かなかったの?」
不意にルシェラが問う。
淡々とした声なのに、わずかに震えがある。
迅は薪をくべながら静かに答えた。
「抜きたくなかったからだよ」
「バカね。
あなたはあの人数に囲まれて……それで傷まで負って……」
「でも、誰も死なせなかった」
焚き火の光が迅の横顔を照らす。
その瞳は揺れていなかった。
「俺の剣は“奪うため”じゃなくて、
“守るため”に使いたいんだ」
ルシェラが息を呑む。
「守る……?」
迅はうなずいた。
「剣は間違えば、簡単に人を傷つける。
けど……使い方次第では、人を守る力にもなる。
俺はその“守る剣”を目指したいんだ」
焚き火のはぜる音が、空気を切り裂くように響く。
「……だから剣を抜かなかったの?」
「うん。
あの人たちは敵じゃない。
ただ……誤解してるだけだ。
向こうにも守りたいものがあるんだよ」
ルシェラはゆっくりと迅の横顔を見る。
(……どうして?
どうしてこの人はこんなにも……)
胸が痛むように締めつけられた。
迅は続ける。
「これからは……一つでも多くの“救われる命”を作りたい。
誤解で苦しむ人も、罪を押し付けられた人も、
……そして──」
一拍おいて、言った。
「君のことも守りたい」
ルシェラの心臓が跳ねた。
焚き火の赤に照らされた迅の横顔は、
嘘をついていない。
偽善でもない。
見返りを求めた言葉でもない。
ただ、真っ直ぐで、痛いほど優しい。
「……どうして、私を?」
ようやく絞り出した問い。
迅は空を見上げた。
星が静かに瞬いている。
「君は……ずっと一人で戦ってきたんだろ?」
ルシェラの肩がわずかに震えた。
迅は続ける。
「人に憎まれて、人に追われて……
それでも、誰も殺さず耐えてきた。
あれだけの力があるのに……自分を押さえ続けてる」
ルシェラは視線を落とす。
(……やめて。それ以上言わないで)
胸の奥が、苦しい。
何百年の重みが、今にも溢れそうだった。
「……慣れてるわ。それだけよ」
「慣れてるなら、余計に守らなきゃだろ」
ルシェラは息を呑んだ。
その言葉は、
かつてセリウスに言われた言葉と酷似していた。
──“お前は生きていいんだよ。
誰に否定されようと、私はお前を守る”
焚き火の光が揺れ、
ルシェラの影が細く伸びる。
胸の奥で、長く閉ざした扉が軋む音がした。
(……やめてよ、迅。
そんなふうに言われたら……
私……また……失ってしまう)
怖かった。
けれどもう一つ、
小さな淡い光が胸の中でゆらりと灯る。
「迅……あなた、セリウスに似てるわ」
思わず零れた言葉に、迅が振り返る。
「セリウスに?……」
「ええ。
あなたと同じ目をしていた」
ルシェラは星空を見上げた。
世界のどこかで失われた記憶の欠片を拾うように。
「私の力を怖がらず……
周りと同じように見てくれた。
あなたと同じように」
そして小さく、息を吸った。
「……だから怖いのよ。
また……壊れてしまうんじゃないかって」
迅は少し微笑んだ。
「大丈夫。
俺は簡単には死なないよ」
ルシェラは思わず睨む。
「軽いわよ」
「でも本気だ」
迅は手を伸ばし、焚き火をひとつつついた。
火花が舞い上がり、星と混ざる。
「俺は君を守る。
君が何を背負っていようと、どんな過去でも。
……それでも一緒に進みたい」
焚き火がぱち、と弾け、
静寂の森に二人の息遣いだけが残る。
ルシェラは胸にそっと手を当てた。
(……どうして?
胸が……こんなに苦しくて、温かいの?)
そして、ほんの少しだけ
唇が震えながら言った。
「……変な人間ね、本当に」
その声は、
今までで一番“柔らかい”ものだった。
夜空には、
静かに星が降り続けていた。




