『討伐隊』
湖を離れ、森道を歩いていた迅とルシェラ。
静かだった風が、ふとざわりと揺れた。
気配が……変わる。
「……迅」
ルシェラの紫の瞳が細められる。
その先、森の影から数十人の兵が姿を現した。
銀色の甲冑をまとい、統率の取れた動き。
胸には聖王国の紋章──王直属の討伐部隊。
中央に立つのは、威厳ある近衛騎士団長の男だった。
「……ようやく見つけた。
銀髪の悪魔よ」
兵たちが一斉に剣を構え、空気が張り詰める。
迅は即座に一歩前に出て、両手を広げた。
「待ってくれ!
彼女は悪い悪魔なんかじゃない!」
近衛団長は表情一つ変えない。
「問答は不要。
悪魔と行動する者は、悪魔と同罪とみなす。
包囲を狭めよ」
「聞く気がないのか!」
怒鳴る迅の前で、兵たちの靴音が地を踏み鳴らした。
冷たい規律と殺意が迫ってくる。
ルシェラは無言で迅の背にいる。
ただその瞳は、深い闇と怒りの前兆を湛えていた。
「やめろ!彼女を傷つけるつもりなら──
俺が相手をする!」
迅が叫ぶが、剣を抜く気配はない。
近衛団長が冷たく言う。
「ならば悪魔もろとも処罰する。
かかれ!!」
その一声で、兵たちが一斉に襲いかかった。
「くっ!」
迅は剣の柄に手をかけ……
しかし抜かない。
代わりに地を蹴った。
身体が風のように動く。
兵の剣をすり抜け、腕を払えば骨の軋む音と共に落馬。
蹴りで別の兵の盾を弾き飛ばす。
「な、なんだこの動きは……!?」
「剣を抜いていないだと!?」
迅は叫ぶ。
「俺は、人を傷つけたくないんだ!!」
拳が兵の鳩尾に入り、
別の兵を軽く投げ飛ばす。
だが迅の表情は苦しげだった。
(やめてくれ……
本当は戦いたくないんだ……!)
しかし、圧倒的な動きにも限界がある。
一人の兵が背後から回り込み、
迅の腕を掠めた。
血が地に落ちる。
「ッ……!」
その瞬間だった。
空気が変わり、森の風が止まった。
ルシェラの髪がふわりと逆立つ。
赤の瞳が、深淵のように冷たく光った。
「……迅に触れたのは誰?」
声は氷の刃のように鋭く、
ただの一言なのに兵たちの膝が震えた。
威圧が“ほんの少し”だけ解き放たれた。
大地がびり、と震える。
兵の鎧がひび割れ、
空気が押しつぶされるように重くなる。
「……なんだ、この圧……!!」
「足が……動かない……!」
近衛団長だけが辛うじて耐えていたが、
額には汗が滲んでいる。
迅は慌ててルシェラの腕を掴んだ。
「ルシェラ!
いい、もうやめてくれ!!」
ルシェラは迅の傷口を見つめ、
怒りに染まった瞳をゆっくり閉じた。
「……あなたが言うなら、従うわ」
威圧が収まり、兵たちが一斉にその場に崩れ落ちる。
近衛団長は震える声で指示を飛ばした。
「全隊──撤退!
この悪魔……規格外だ!
一度城へ戻り、体勢を立て直せ!」
兵たちは武器を拾う余裕もなく撤退していく。
その背を見て、迅は静かに息を吐いた。
「……最悪の誤解をされてるな」
ルシェラは迅の傷に触れようとして、
しかし途中で手を止めた。
「……あなたは本当に、愚かね」
「え?」
「人間相手に剣も抜かず……
そんなだから、傷つくのよ」
怒ったような、悲しんだような声だった。
迅は少しだけ笑った。
「守りたいからさ。
そのために剣を抜くべき相手なんて……そう多くない」
ルシェラは何も言わなかった。
ただ、その横顔はどこか苦しげだった。
(どうして……
この人間は、こんなにも……)
風が吹き、森がざわりと揺れる。
討伐隊は去った。
だが──
聖王国との対立は、もう避けられない。




