『森の魔物と少女』
山あいの街を後にした翌日。
迅とルシェラは、森へ向かう細道をゆっくり進んでいた。
木漏れ日が差し込み、鳥のさえずりが響く──
だが、森の奥にはわずかな“濁り”が混ざっている。
迅は耳を澄ませながら言った。
「やっぱり……最近、この辺りで魔物が増えてるみたいだ」
「どうでもいいわ。魔物は魔物。
人間よりは……まだまし」
ルシェラの銀髪が、機嫌の悪さを示すようにふわり揺れた。
(だいぶ荒れてるな……)
昨日、少年に泣きながら謝罪されたときのこと。
ルシェラは言葉では「どうでもいい」と言っていたが──
その銀のまつ毛が微かに震えていたのを、迅は見逃していなかった。
そんな彼女の変化を、どう扱えばいいのか。
迅は迷いながらも、歩みを進める。
森の奥へ入った時──
「きゃあああああ!!」
甲高い少女の悲鳴が響いた。
迅は即座に走り出し、
ルシェラも無言で後を追う。
木々の開けた場所で、
小さな少女が魔物に追われていた。
魔物は狼に似ているが、
黒い霧のような瘴気をまとい、赤い目を光らせている。
迅が叫ぶ。
「君! こっちに!」
少女は泣きじゃくりながらも、必死に迅の方へ走る。
しかし──魔物の爪が、少女の背に触れようとした瞬間。
「……うるさいわね」
冷たい声とともに、
銀色の影が少女の横を通り抜けた。
ルシェラだ。
彼女の周囲に黒い空気が揺れ、
赤の瞳が薄く光る。
次の瞬間──
魔物の体が“音もなく”消し飛んだ。
まるで風が吹き抜けただけのように、
灰すら残らず霧散したのだ。
少女は立ち尽くし、
ルシェラを見上げた。
「……え?」
ルシェラは不機嫌そうに銀髪を払う。
少女は震えながら尋ねる。
「あ、あの……助けてくれたの……?」
「違う。
私はあなたを助けたわけじゃない。
魔物が進路にいたから、邪魔だっただけ」
少女はぽかんと口を開いた。
「怪我はない? よかった……」
少女は迅に抱きついて泣き出した。
「ひぐっ……こわかった……」
迅は少女の背を優しく撫で、
涙を拭ってあげながら言う。
「もう大丈夫だよ。怖かったね」
ルシェラはその光景に、どこか居心地悪そうにそっぽを向いた。
(また……人間の“涙”)
昨日見た少年の涙。
今目の前で泣いている少女の涙。
そのたびに胸がズキッと痛む理由が分からない。
少女は泣きながら、ルシェラの方を振り返った。
「おねえちゃん……ありがとう……!」
ルシェラの体が一瞬だけ硬直する。
まるでその一言が、
心の奥深くに投げ込まれた石のように響いた。
「……私は……別に……」
少女は涙を拭きながら笑った。
「でも……助けてくれたのは本当だよ?
おねえちゃん、すごかった……!」
ルシェラの紫の瞳がゆっくり揺れる。
迅は静かに彼女を見つめる。
(ルシェラ……)
ルシェラは深く息を吐き、
少女から目をそらした。
「……勝手に感謝するのは自由よ」
けれどその声は、
いつもの冷たさとは少し違った。
少女は迅に抱きついたまま震える。
「パパとママを探してたら……迷っちゃって……
魔物が出てきて……」
迅は少女を安心させるように笑った。
「じゃあ一緒に探そう。
家族が心配してるはずだからね」
少女は大きく頷いた。
ルシェラはその様子を見ながら、
胸の奥が温かくなるのを感じていた。
(……私は、何をしてるの?
どうして……こんなことを何度も……)
自分でも理由がわからない。
ただ──
少女が泣きながら言った「ありがとう」という一言。
その言葉だけが、
胸の奥にいつまでも残り続けていた。
少女を送り届けた後、
再び森の道を歩き始めた二人。
迅はルシェラの横顔を盗み見た。
「……さっきの、ありがとうな」
「……何のこと?」
「少女を助けてくれたこと」
ルシェラは少しだけ歩幅を速め、
表情を隠すように前を向いた。
「勘違いしないで。
私は……ただ自分の道を塞がれたくなかっただけ」
その声はいつもより少し、弱かった。
迅は優しく笑う。
(それでいい。
理由なんてどうでもいい。
ルシェラが“人を助けた”という事実が大事なんだ)
そして──
ルシェラの銀髪は、
これまでより少しだけ柔らかく揺れていた。




