『闇の底』
地下六階層へ降りた瞬間、空気は重く沈み込んだ。
ひんやりとした湿気に魔力の匂いが混じり、胸の奥が鈍く軋む。
「……敵の気配が濃いな」
ガルドが鼻を鳴らす。
その直後、上方から黒い影が落下してきた。
「来るぞッ!」
迅は剣で受け止める。振りおろされた爪の衝撃が腕を痺れさせた。
「《ファイアランス》!」
リリィの炎槍が黒影を貫き、ルーナの風刃が側面から切り裂く。
続けざまにガルドが敵を押しつぶすように拳を叩き込んだ。
「ふう、上層と比べてまるで別物ね……」
ルーナが息をつく。
「悪くない動きだ。お前ら、頼もしくなったな」
振り返ったグレンが笑った。
剣を収めた迅は汗をぬぐい、呼吸を整える。
「よし、奥へ進むぞ。ここから先が中枢フロアだ」
一行は奥の広間へ足を踏み入れた。
そこは、奇妙な静けさを宿した円形の部屋だった。
床には細かな文様が刻まれ、中央に向けて放射状に広がっている。
「なんか……落ち着かない場所だね」
リリィが袖を握る。
「魔力が濃いだけさ。気にするな」
グレンは軽く笑い、前に進んでいく。
迅と仲間たちも後に続く。
その途中――。
「……」
ルーナが一瞬だけ足を止めた。
風の流れが、さっきからわずかに乱れている。
まるで“この部屋だけ”風が避けているような奇妙な感覚。
(……嫌な気配)
そう思ったが、根拠はなかった。
自分の感覚が敏感になりすぎているだけ、とルーナは思い直す。
「ルーナ?」
「ううん、なんでもない。進みましょう」
「迅、この辺り気をつけて歩けよ」
ガルドが前方を確認しながら声をかける。
「うん、ありがとう」
迅が一歩踏み出したその瞬間だった。
パキン、と小さな音が響く。
(……え?)
文様の線が淡く光を帯び――
まるで長い眠りから覚めたように、空間が震えはじめた。
「迅、止まって!!」
ルーナの叫びが反射的に響く。
だが――早すぎた。
ドンッ!!
床が爆ぜるように砕け、中心が大穴を空ける。
「わっ――!!」
迅の体は吸い込まれるように落下した。
「迅!!!」
リリィが手を伸ばす。
「捕まれッ!!」
ガルドも腕を伸ばした。
グレンも驚愕の表情で飛びつく。
しかし――。
穴はあまりにも深かった。
風が迅の体をさらっていき、仲間の指先は届かない。
「迅!!!」
リリィの叫びは届かない。
あまりにも深すぎる暗闇が迅を呑み込んだ。
――落下の衝撃。
――息を奪う冷たさ。
迅は叫ぶ間もなく、何かに叩きつけられた。
ドボォン!!
水だった。
(っ……助かった!?)
頭を上げると、そこは広い地下湖のような泉の中心。
天井は遥か上、もはや地上の光は見えない。
迅は必死に泳いで岸へとたどり着き、身体を震わせながら立ち上がった。
「……ここは……どこだ……?」
足元は黒い岩盤。
息をするたび冷気が肺に入り、全身が震える。
見渡しても光がなく、ただ暗闇だけが広がる。
(……戻れない)
喉が鳴る。
恐怖が胸を締め付けた。
その頃、崩落した階層――。
「…………迅……!」
リリィの声は震えていた。
穴の縁まで身を乗り出し、何度も呼ぶ。
「迅!! 聞こえる!? ねえ!!」
しかし、返答は一切ない。
「……深すぎるな」
ラードが光の魔法を穴へ落としたが、光はすぐに吸い込まれて消えた。
「ロープも梯子も意味ねぇ深さだ……」
ガルドの声は苦渋に満ちていた。
その横で、グレンは拳を握りしめる。
「……救助隊を呼ぶしかねぇ。
このまま突っ込むのは全員死ぬだけだ」
「でも……でも……!」
リリィが振り返る。
「リリィ」
グレンは静かに彼女の肩に手を置いた。
怒りも嘲りもない、ただ必死な仲間を励ますような眼差し。
「迅はきっと生きてる。
だったら、生きてるうちに助けられればいいだろ?」
「……っ」
「まずギルドに報告だ。
それが一番迅を助ける近道だ」
リリィは唇を噛み、悔しさと不安の涙を堪えた。
ルーナは穴をじっと見つめたまま、小さく呟く。
(……風が、下に吸い込まれてる。
生きてる……はず)
「行くぞ」
グレンは仲間全員を率いて背を向けた。
――その歩みは堂々としていて、
誰にも“悪意”を感じさせないものだった。
最下層・迅。
しばらく歩くと、奥の闇が揺れた。
――ギギャアア……
――ガサガサ……
黒い影が蠢いている。
数十……いや、数百の魔物。
その奥で、地響きのような唸りが響く。
(……囲まれてる)
迅は震える足を無理やり止め、剣を握り直した。
「……来いよ」
声は震えている。
それでも、逃げる気はなかった。
絶望の最下層で、魔物の軍勢を迎え撃つ。




