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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第1章 『レベルドロップ編』

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『黒淵の奈落』

黒淵の奈落――

 その名が示す通り、光すら呑み込む深淵の迷宮。


 入口を抜けた瞬間、冷気ではなく“重さ”が押し寄せてくる。

 魔力の濃度が高い。息を吸うたび、肺が圧迫されるようだった。


「空気が……重いわね」


 リリィが肩をすくめる。


「上級ダンジョンはこういうもんさ。油断するなよ」


 グレンが振り返り、迅たちに声をかけた。


 その表情は落ち着いていて、頼りになる冒険者そのもの。

 あの粗暴で短絡的だった男とはまるで別人だった。


 迅は思わず目を細める。



 上層は広大な洞窟構造だった。


 天井は高く、 stalactite(鍾乳石) が斜めに伸び、

 壁には淡い赤光を放つ魔石が脈動するように輝いている。


「ここ、敵の奇襲が多いはずだが……」


「妙に静かね」


 バルドとルーナが周囲を警戒しながら進んでいく。


 だが――敵が出ても、どれも上級としては弱い。


 リザードマン数体、巨大コウモリ、魔力の濃い毒虫。

 どれも、グレンとガルドの前衛が瞬時に片づけていく。


「迅、後衛を頼む!」


「了解!」


 迅は滑らかに仲間の背を守り、必要な時には剣で牽制を入れる。

 戦いは淀みなく、スムーズだった。


 それほど――群れも、連携も、敵の質も低い。


「おい、気づいたか?」


 グレンが戦いの後、迅の隣で小声を漏らした。


「何が?」


「敵が弱い。ここは上級のはずだが……出方が変だ。

 本来なら、もっと『空気の変化』がある場所だ」


 確かに、氷狼の凍土の方が圧倒的に恐ろしく、危険だった。


「簡単ってこと?」


 リリィが首をかしげる。


「いや――逆だ」


 グレンは空気を読むように目を細める。


「“何か”が敵を押しとどめている気がする。

 本来あるはずの、ダンジョンの“意思”が表に出てこない」


 ルーナの風が、ふわりと周囲を撫でる。


「……たしかに。

 風の流れがダンジョンの深い方へ吸い込まれていく」


 迅は一瞬だけ、氷狼王の咆哮を思い出した。

 あの時も、自然の“意思”があった。


(ここも……何かを秘めているのか?)


 ただ、グレンはその後すぐに軽い調子で笑った。


「ま、考えすぎかもな。

 さあ、進もうぜ。今日の俺はやる気が違うからな!」

 


 しばらく進むと、通路は三叉に分かれていた。


 中腹にある上層の広場で、一旦休憩を取ることになる。


 岩肌に腰を下ろしながら、迅は水筒を開けた。


「はぁ……上級にしては楽だな」


「調子に乗るなよ迅。上層は“招待状”みたいなもんだ。

 本番はこれからだ」


 ガルドが言う。


 リリィは魔力の高い空気の中で、炎の精霊の声を確かめるように掌を光らせていた。


「魔法の通りはいい。

 でも……どこか“閉じ込められてる”感じもするわね」


「封印の兆候、かもしれんな」


 ラードが淡々と言った。

 詠唱士らしい冷静な分析だ。


「封印……?」


 迅が思わず聞き返したその瞬間、


「おーい、そろそろ出発するぞ!」


 グレンが先頭で手を振る。

 その声には、迷いも邪念も、何もない。


 ――だから、迅が信じてしまうのも当然だった。


「行こう、みんな」


 迅が立ち上がり、四人が続く。


 ルーナだけが、ほんのわずかに後ろを振り返った。


(……何かがおかしい。

 でも、それが何なのか……風が教えてくれない)



 その後も探索は驚くほど順調だった。


 敵の出現は少なく、

 罠も避けられるレベルの古いものばかり。


 むしろグレンが積極的に前に立ち、


「ここだ、古い機構が残ってる。触るなよ!」

「迅、こっちを照らしてくれ」

「ルーナ、風で毒霧を散らせるか?」


 と完璧に連携をとる。


 誰もが、


「これは本当に改心したんじゃないか?」


 と思いはじめていた。


 迅も、胸の奥でその思いを抑えきれなくなる。


(グレン……変わったんだ。

 仲間のために戦う男になったんだ)


 ほんの少し、嬉しかった。



 そして、上層最後の広間に到達した時。


 天井から落ちる魔石の光が、

 巨大な螺旋状の階段を照らしていた。


「ここが……下層への入口か」


 迅が呟く。


「そうだ。ここから先は本当の戦いになる。

 心して進もう」


 グレンはそう言って、迅に優しく微笑んだ。


 その笑みは――

 本当に、何の曇りもないように見えた。


 誰一人、この時点では気づいていなかった。


 ここまでの“順調すぎる静けさ”こそが――

 最悪の前兆だったことに。


 静かに螺旋階段を降りていく一行。

 影が深くなるたび、ほんの僅かにルーナの風が震えた。


 祈りにも似た風が、暗闇へと消えていく。

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