『雪原の守り手』
氷狼王フェルドランが光となって消えてから、
凍土の聖域には、ただ白い静寂だけが広がっていた。
吹雪は完全に止み、空気は驚くほど澄んでいた。
戦いで荒れ狂っていた氷晶の洞窟は、嘘のように静まり返っている。
『ここ……こんなに静かだったんだ』
迅は胸の奥が締めつけられるような気持ちで、足元の雪を見つめた。
自分たちが踏み荒らした跡も、フェルドランの巨大な爪痕も、
すでに薄い雪で覆われつつあった。
「……戻る?」
リリィが小さく尋ねる。その声も震えていた。
「いや、もう少しだけ……確認したい」
迅は微笑み、皆を振り返った。
ガルド、リリィ、ルーナの三人も静かに頷いた。
誰も、ただ“勝った”などとは思っていない。
守護者の最期を見届けた以上、
この地が何を守ってきたのか
それを確かめずにはいられなかった。
四人が歩みを進めると、氷晶の奥に小さな空洞が現れた。
風の流れを読むルーナが指をさす。
「……こっちに、まだ風が呼んでる」
進んだ先にあったのは――
古い碑文だった。
氷に閉ざされていた石碑。
フェルドランが守ってきた“中心”とも言える場所。
ルーナが表面をそっと触れると、氷がひとりでに砕け落ちた。
まるで、王が四人に触れてほしいと願っているように。
「……読める?」
リリィがルーナに問いかける。
ルーナは目を細め、精霊語で刻まれた古い文字をなぞった。
「――氷狼王フェルドラン。
この地を守りし者なり。
穢れを拒み、均衡を保つ者なり。
人と大地、魂が交わる聖域を守護する者なり。」
読み終えた瞬間、
四人は誰も言葉を返せなかった。
碑文の意味は単純で、残酷だった。
「なあ……俺たち、本当に……」
ガルドの険しい声が、静寂に落ちた。
「守る者を、傷つけちまったんじゃねえのか……」
その問いは、誰も避けられなかった。
迅は石碑に手を置いた。
氷越しに、どこか温かいものが伝わってくる気がした。
「……倒してなんかないよ」
迅は低く、噛みしめるように言った。
「フェルドランは……最後の力で、この地を守ったんだ。
俺たちの前で消えたのは……“負けた”からじゃない。
本当はずっと……」
息を吸い、言葉を続けた。
「……ずっと、人間を……信じたかったんだと思う」
リリィが涙をこぼす。
風が吹き、小さな白い花弁のような雪片が舞い上がる。
「ねえ迅……」
リリィが震える声で呟く。
「私たち……守れるかな……」
迅は空を見上げた。
凍土の空は、さっきまで荒れ狂っていたのが嘘のように澄んでいた。
雲間から陽光が漏れ、氷晶に反射して銀色の光が揺れる。
その光の中に――
確かに、白い影が一瞬だけ見えた。
遠く、風の向こうで、巨狼が静かに首を上げる姿。
その残響のように、風が微かに吠えた。
「……守れるよ」
迅は静かに呟いた。
「フェルドランは……最後まで“守り手”だった。
その想いに応えられた。俺たちは……戦っただけじゃない。
あの王の“声”を、確かに受け取った」
ルーナが頷いた。
「うん……風もそう言ってる。
フェルドランは、怒ってなんかいなかった。
ただ、守りたかった……それだけ」
ガルドも、ゆっくり拳を解いた。
「……なら、俺たちが背負うしかねえな。
この地を……王が守ってきたものを」
リリィが涙を拭き、笑った。
「うん……私も……守りたい」
迅は深く息を吸い込み、雪原へ向き直る。
「戻ろう。町へ。
そして――“本当のこと”を伝えよう。
氷狼王が何を守ってきたか。
俺たちが見たもの、聞いたもの……全部」
「もちろん!」
「当たり前だろ!」
「……行こう」
白い息を吐きながら、四人は歩み出した。
雪原にはもう吹雪も氷嵐もなかった。
ただ、朝の光が凍土を照らし、
はるか遠くまで続く道を銀色に輝かせていた。
――その風の中で、
微かに、巨狼フェルドランの声が聞こえた気がした。
守り続けたこの大地を、
次の守り手へ託すように。




