『雪原の呼び声』
掲示板の前には多くの冒険者が集まり、ざわめきが絶えない。
入口近くの窓からは、寒気を含ん翌朝のギルドは、いつもより空気が張りつめていた。
だ風が吹き込み、冬でもないのに身を縮めるほどの冷たさが漂っていた。
「……聞いたか? 北が荒れてるって話」
「氷狼の群れが出てるらしいぞ。あの辺りじゃめったに見ねえのに」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
迅たちが受付に向かうと、エマが眉をわずかに寄せていた。
「来てくれたんですね、迅さん。ひとつ、お話したい依頼があります」
「北方の……ヘルズリッジの依頼か?」
「はい。状況は深刻です」
エマは依頼票を四人に差し出した。
【長期遠征依頼:ヘルズリッジ周辺の氷狼異常出没調査】
【難易度:中級上位〜上級】
【備考:現地にて複数の犠牲者あり。吹雪・氷嵐の発生。】
「……犠牲者、十数名……」
リリィが蒼ざめる。
「狼の群れが、まとまって人を襲うなんて……普通じゃない」
ルーナが静かに呟いた。
「俺たちに、この依頼は受けられるのか?」
迅の問いに、メリアはゆっくり頷く。
「Dランク以上で、四人パーティー……条件は満たしています。ただし――」
「ただし?」
「戻らなかったパーティーもいます」
その言葉が重く落ちた。
しかし、迅はためらわず依頼票を受け取る。
「行こう。放ってはおけない」
リリィ、ガルド、ルーナも、迷いなく頷いた。
こうして、氷の大地への旅が始まった。
北へ向かう街道は、進むほどに空気が冷たくなっていった。
草原は白く霜をまとい、やがて視界に薄い雪が混じる。
「まだ初冬にもなってないのに……」
リリィが吐く息は白い。
「異常気象……というやつか」
ガルドが肩に積もった雪を払う。
「狼より、この寒さのほうが厄介だぞ」
「気を抜くな。……何かが近づいてる」
ルーナが風を読むように目を細めた。
その直後、遠くで狼の遠吠えがこだました。
風に混じるような、冷え切った声だった。
「……いやな声だ」
迅は思わず背筋を伸ばす。
やがて、道の脇に設けられた避難所にたどり着く。
そこには避難民の家族が集まっており、焚き火の周りで震えていた。
「大丈夫ですか?」
迅が声をかけると、父親らしき男がかすれた声で答えた。
「助かった……けど、村はもう……。氷狼が何十頭も……」
泣きそうな少年が、迅たちのほうを見つめていた。
髪が少し白く凍り、肌は寒さで赤くなっている。
「君……大丈夫か?」
「……“白い王”が怒ってる」
少年は急に早口で言った。
「白い王……?」
リリィが目を丸くする。
「氷狼の“王”ということ?」
ルーナは眉を寄せた。
「そんな存在、聞いたことないわ」
少年は頭を振る。
「ほんとだよ!
おじいちゃんも言ってた!
王が怒ると……吹雪が止まらなくなるんだ!」
父親が慌てて少年を抱き寄せる。
「すまない。怯えているんだ……すまない……」
「いや、いい。……教えてくれてありがとう」
迅は少年の目をじっと見た。
その奥に宿る恐怖と、“何かを知っている”ような光。
胸の奥が、不自然にざわついた。
(……伝承、ただの作り話じゃない)
迅はそう感じていた。
森で聞いた“声”。
黒樹の根が見せた“苦しみ”。
そして今、少年が語った“怒り”。
まるで、何かが世界の奥底でうごめいているような――。
「迅、大丈夫?」
リリィが心配そうに覗き込む。
「ああ……。ただ、嫌な予感がする」
「予感?」
「……氷狼たちが暴れている理由。たぶん、ただの飢えや凶暴化じゃない」
リリィは不安そうに唇を噛む。
風が吹き抜け、焚き火の炎が揺れた。
「行くぞ。……ヘルズリッジはもうすぐだ」
さらに北へ歩くほど、雪は激しさを増した。
視界は真っ白に染まり、風は肌を裂くように冷たい。
「こりゃあ……ひどいな……!」
ガルドが腕で顔を覆う。
「氷嵐……こんなの、自然に起こるとは思えない」
ルーナが風を抑えながら叫ぶ。
吹雪の向こうから、突然影が走った。
四つ足の獣――氷狼が、雪を跳ね上げながら駆けていく。
その毛は青白く光り、瞳はまるで氷のように澄んでいた。
「……美しい……」
リリィが思わず呟く。
しかし狼はこちらを見ず、遥か向こうへ消えていく。
その直後――
空に、低く響く咆哮が轟いた。
震えるほど深く、重く、遠い。
「……なんだ、今の……」
迅は胸に手を当てた。
鼓動がひとつ、強く鳴る。
少年の言葉が脳裏をよぎった。
――白い王が、怒っている。
雪原の向こうで、何かが目を覚ましていた。
迅はゆっくりと顔を上げる。
「……急ごう。ヘルズリッジで何が起きているのか、自分の目で確かめたい」
リリィも、ガルドも、ルーナも頷いた。
氷の風が吹き抜ける。
夕暮れの光の中、四人の影が雪原に伸びた。
凍てつく大地は、静かに彼らを迎えていた。
――“白い王”の眠る、凍土へ。




