『無駄を削ぎ落す』
夜明けとともに、木剣が空気を裂く音が静かな朝に響き渡っていた。
カッ、カッ、カッ……。
まるで時を刻む鐘のように、規則的で重い音。
「――止まるな。手を止めた瞬間に、体の芯は死ぬぞ」
ヴァロスの低い声が響く。
迅は汗で濡れた髪を払いながら、息を荒げ、木剣を振り続けていた。
構え、素振り、足運び。
昨日から何度も何度も繰り返してきた動作だ。
腕は悲鳴を上げ、足の裏はすでに感覚がない。
けれど――止まらない。
(……絶対、強くなるんだ)
グレンとの戦い。
剣を持っても、何もできなかった自分。
守りたいものがあるのに、届かなかった。
その悔しさだけが、今の身体を支えていた。
「おい、坊主」
ヴァロスが木の椅子に腰をかけ、煙草に火をつける。
灰色の煙が空に流れていった。
その視線は、ただ一心に剣を振り続ける迅に注がれている。
「力むな。お前は剣を“振ろう”としてる。それじゃあ雑魚の剣だ」
「っ……振ってるだけ、じゃない……!」
「違うな。お前の剣には“意志”が乗ってねぇ」
ヴァロスは立ち上がると、背後から迅の腕を軽く押した。
たったそれだけで、剣筋がずれる。
自分の体がふらついたのが、はっきりとわかった。
「これが“無駄”だ」
迅の肩をぐっと掴み、足の位置、腰の角度、手の力の入り方まで一瞬で正す。
その姿はまるで、職人が刃物を研ぎ澄ますようだった。
「剣ってのはな……削るんだよ」
「削る……?」
「そうだ。足の力、腕の力、手首の力、肩の力――いらねぇもん全部削ぎ落とす。
残るのは、“芯”と“斬る意思”だけ。それが本物の剣士だ」
ヴァロスは腰の剣を抜き、ふわりと一度だけ振った。
風が鳴った。
斬撃の跡もないのに、空気そのものが切り裂かれたような感覚が走る。
迅は思わず息を呑んだ。
それは力強くも派手でもない。
静かで、ただ“通る”剣。
――自分が目指すべき剣だった。
昼を越えても修行は止まらなかった。
素振り1000回。
足さばき1000往復。
立ち方修正100回。
日が傾き、夕陽が差し込み始める。
足は棒のようになり、手のひらには血がにじんでいた。
「――あと100回」
「……っ!」
「口開くな、振れ。体で覚えろ」
木剣を握る指が震える。
肩が上がらない。腰も限界だ。
それでも、迅は歯を食いしばった。
(俺は……あの時……倒れなかった。だから――今も倒れねぇ)
息を吐くたびに、肺が焼ける。
だけど、その痛みすら“生きている”と感じられるほど、鮮明だった。
「よし、そこまでだ」
夕陽が沈む頃、ヴァロスの一言が響いた。
迅は膝をつき、木剣を地面に突き立てた。
息が荒い。視界が揺れる。
でも、不思議と“やりきった”という感覚があった。
「……いい目だ」
「……はぁ、はぁ……」
「なかなか折れねぇじゃねぇか。骨はある」
ヴァロスはしゃがみ込み、迅の手のひらをちらりと見た。
豆が潰れ、血が滲んでいる。
それでも迅は一度も泣き言を言わなかった。
「覚えとけ。剣は、力でもスキルでもねぇ」
「……“意思”と“芯”だろ」
「そうだ」
ヴァロスはにやりと笑った。
「初日に比べりゃ、もう剣士の顔になってきたな」
夜。
小屋の前で火が焚かれ、迅はぼんやりと空を見上げていた。
腕は痛みで上がらず、足も動かない。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
あの日グレンに見せた“倒れない目”が、今も心の奥で燃え続けている。
その炎を、ヴァロスは見逃していなかった。
「坊主」
「……ん?」
「今はまだ、グレンには勝てねぇ。だけど――お前は“戦える剣士”にはなれる」
「……本当に、なれるかな」
「あぁ。俺が保証してやる。……このヴァロス様がな」
夜空の下、ふたりの笑い声が響いた。
小さな焚き火がパチパチと音を立て、冷たい風が通り抜ける。
迅は小さく拳を握った。
仲間と並んで戦える日――必ず来る。




