『剣の稽古』
早朝の街は、まだ霧に包まれていた。
石畳を踏みしめる音だけが、静かな路地に響いている。
迅は背中に旅装を背負い、ギルドの前に立っていた。
あの日――グレンとの模擬戦。
全身がボロボロになっても倒れなかった自分。
けれど“強さ”の差は、あまりに明確だった。
(あのままじゃ、みんなを守れない)
ギルドの扉が開き、眠そうな顔のリリィが顔を出した。
「……もう行っちゃうの?」
続いて、ガルドとルーナも外へ出てくる。
早朝にもかかわらず、3人とも迅を見送りに来てくれていた。
「修行、なんだろ?」
ガルドが腕を組み、いつもより少しだけ真剣な顔をしている。
「ああ。俺……もっと強くなりたい」
迅の声は低く、静かだった。
その言葉には、負けた悔しさと、揺るがない意志が込められていた。
「迅……」
リリィの声は小さく震えていた。
「でも、置いていかれるのは……ちょっと、やだよ」
「置いていくわけじゃない。――必ず戻る」
迅はまっすぐ彼女の目を見た。
「次に会うときは、きっと今より強い俺でいる。……だから、信じててくれ」
リリィは唇を噛み、目を伏せたあと、小さく頷いた。
その手をぎゅっと握る。
冷たい朝の空気の中で、その温もりがやけに強く感じられた。
「……じゃあ、絶対だよ」
「ああ」
ガルドが小さく鼻を鳴らす。
「ま、置いてかれるのは気に入らねぇけどよ……強くなって帰ってこい」
ルーナは静かに風を感じながら、優しく微笑んだ。
「……あなたは、風の流れを変える人。大丈夫、きっと帰ってくる」
それだけで、迅の胸の奥が熱くなる。
この仲間たちのために――もっと強くなる。
その思いを胸に刻み、迅は歩き出した。
◇ ◇ ◇
町の外れ、一つの小屋が建っていた。
その小屋の前でヴァロスは既に立っていた。
外套を脱ぎ、上半身は鍛え上げられた筋肉。
腰に下げた古びた剣が、静かに光を反射している。
「おせぇぞ、坊主」
「……早すぎるんだよ、あんたが」
ヴァロスは口元だけで笑った。
「さぁ、修行の始まりだ。今日から地獄を見るぞ」
「……わかってる」
「いい顔だ。まず――剣を構えろ」
迅は腰の剣を抜き、構えを取る。
だがその姿を一目見るなり、ヴァロスは鼻で笑った。
「……ひでぇな」
「なっ……」
「構えってのはな、“力”じゃねぇ。“芯”だ」
ヴァロスは迅の手元を軽く指で弾いた。
その一瞬で、迅の剣は簡単に弾き飛ばされる。
「っ!? なんだ今の!」
「お前の構えには芯がねぇ。ただ振り回してるだけだ」
ヴァロスはゆっくりと腰を落とし、剣を片手で構えた。
まるで一本の柱が立ったような、揺るぎない静けさ。
風も砂も、その周囲だけ止まって見えるほどだった。
「……これが、“構え”だ」
迅は思わず息を呑む。
剣を構えただけで、まるで別世界のような存在感。
これが“本物”の剣士。
「剣ってのはな、力じゃねぇ。芯を通した奴が、勝つ」
その日から何日も、迅は一日中構えだけを叩き込まれた。
剣を振ることすら許されない。
何度も何度も、芯を崩され、膝をついた。
「おい、腰が浮いてる。脚が死んでる。手に力入りすぎ」
「くっ……!」
「全ッ然ダメだ! そんなもんじゃ戦えねぇ!!」
ヴァロスの罵声が飛ぶたびに、迅の体から力が抜けていく。
だが、心だけは――一度も折れなかった。
(俺は……強くなるって、決めたんだ)
夕暮れ。
剣を支えに立ち上がる迅を、ヴァロスはじっと見つめていた。
ほとんど一言も弱音を吐かなかった少年に、ほんの少しだけ口元が緩む。
「……悪くねぇな、坊主」
「なにが……だよ……」
「芯ってのはな、技じゃねぇ。立ち上がる“意思”から始まるんだ」
ヴァロスは背を向けながら言った。
「明日は剣を“振る”日だ。今日より、もっと地獄を見るぞ」
「……上等だ」
夜空に、ひとつ星が瞬いた。
その小さな光のように、迅の心にも――確かな火が灯っていた。




