『里の英雄』
翌朝、里の空は深い雪雲に覆われていた。
夜通し降り続いた雪はさらに積もり、あたり一面が白銀に染まっている。
それでも、里にはいつになく張りつめた空気が漂っていた。
「……北の山脈から、雪狼の親玉が出た」
長老の低い声が、広場に集まった獣人たちの耳に響く。
その一言に、ざわめきが走った。
雪狼のボス――通称《白き咆哮王》は、里を襲う災厄として長年恐れられてきた存在だ。
「群れの数は三十を超える。……人間の冒険者では対処できん。
だが――」
長老の目が、ある一人に向けられた。
「――ガルド。お前がいる」
里の視線が一斉にガルドに集まる。
昔、この里を“弱虫”と呼ばれた少年。
今、仲間を連れ、剣を持つ戦士として立つ。
ガルドは一瞬、俯いた。
雪を踏みしめる足音が、自分の心音のように響く。
しかし、後ろにいる仲間たちの存在が、その肩を静かに押していた。
「……わかった。俺が行く」
低く、しかし力強い声が、雪空に響いた。
討伐隊は、迅・リリィ・ルーナ、そして十数名の獣人戦士たちで編成された。
目的地は北の雪山――雪狼たちの巣穴がある峡谷。
強風が吹き荒れるなか、雪を踏みしめて進む一行の先頭に、ガルドが立っていた。
吹雪の中で、迅は横に並び、小さく声をかける。
「……怖いか?」
「当たり前だ。昔、この山でボスの咆哮聞いて、震えて逃げたんだよ」
「でも、今は逃げない」
迅の言葉に、ガルドはわずかに笑った。
それは少年時代の弱さを乗り越える者の、静かな笑みだった。
雪狼の群れが姿を現したのは、峡谷の中腹だった。
白銀の毛並みが吹雪に紛れ、まるで雪そのものが牙を剥いてくるような錯覚。
「囲まれる!」
リリィが叫ぶ。
すぐさまガルドと迅が前衛に立ち、ルーナが風の障壁を張った。
獣人戦士たちが横から群れを叩き、リリィの炎が雪を焦がす。
雪狼は一体一体が小回りがきき、群れの連携も素早い。
それでも4人は迷わなかった。何度も戦ってきた連携――
「リリィ、右! ルーナ、風で押せ!」
「了解っ!」
「……《風刃》!」
連携が決まり、群れの半数が崩れた。
そのとき――
吹雪の奥から、地響きがした。
巨大な影が、咆哮とともに雪を割って現れる。
「――来たな、《白き咆哮王》」
高さは三メートルを超える。
真っ白な体毛と、氷のような牙。
瞳は血のような赤。群れの王が、静かに姿を現した。
ボスの一撃は、風そのものだった。
前衛の獣人戦士が一瞬で吹き飛ばされ、雪に叩きつけられる。
迅も防御に回るのが精一杯だった。
「ちくしょう……でけぇ……!」
「ガルド!」
リリィが叫ぶ。
ガルドは、震える拳を握りしめていた。
(逃げた……昔の俺は、ここで……)
――でも、今は違う。
彼の中に、あの日の夜、仲間がくれた言葉が甦る。
リリィのまっすぐな笑顔。
ルーナのやさしい風。
迅の背中。
「――俺は、もう逃げねぇッ!!」
獣の咆哮とともに、ガルドの全身が爆発的な衝撃に包まれた。
ガルドのスキル――
【獣人解放】
抑えていた血が覚醒する。
身体が一回り大きくなり、獣の耳と牙が露わになる。
背中から吹き上がる熱気と闘気が吹雪を切り裂いた。
その姿に、里の戦士たちが息を呑む。
「……獣人解放だと……!?」
「ガルドッ!!」
「任せろ、前は俺が行く!!」
白き咆哮王が牙を剥き、雪原を割って突進してくる。
ガルドは正面から受け止めた。
衝撃で足元の雪が爆ぜる。
腕が軋む。それでも――下がらない。
「……行くぞォッ!!」
ガルドの拳が王の顎にめり込んだ。
吠えるような一撃。
吹雪が割れ、空気が震える。
その瞬間を逃さず、迅が横から斬り込み、リリィの炎が咆哮王の腹を焼いた。
ルーナの風が血流を逆流させるように切り裂く。
「今だ――ガルドッ!!」
「うおおおおおおおおッッッ!!」
ガルドが跳躍し、獣の咆哮とともに斧を振り下ろした。
白い巨体が轟音とともに崩れ落ち、雪煙が舞い上がる。
静寂。
雪の中で、風の音だけが響いていた。
「……終わった」
【経験値ボーナス獲得】
【レベル:9→ 12】
迅の肩がふっと緩む。
リリィはその場にへたり込み、ルーナは冷たい空気の中に小さく微笑んでいた。
そして――
獣人たちの歓声が、山を揺らした。
「やったぞおおお!!」
「王を倒した!! ガルドだ! ガルドがやった!!」
ガルドは荒い息を吐きながら、血まみれの拳を見つめていた。
昔、この地で逃げた自分とは、もう違う。
夜。
里の広場では、再び焚き火が燃えていた。
今度は勝利の宴。
子どもたちがガルドを囲み、口々に「すごい!」と声を上げる。
「昔は弱虫だったのになぁ……」
門番の男が笑いながら肩を叩いた。
長老が近づき、厳かに言った。
「今日この日、我らの里は救われた。
――ガルド。お前こそ、我が里の英雄だ」
焚き火の光が、ガルドの瞳に映える。
頬を赤くしながら、彼は照れくさそうに頭をかいた。
「……やめろよ、そんなの。……俺は、仲間がいたから勝てたんだ」
「……うん。私たちも、ガルドがいたから勝てたんだよ」
リリィの言葉に、迅もルーナも静かに頷く。
その夜、雪の里の空には、吹雪ではなく、星が顔を出していた。
弱虫と呼ばれた少年は、もういない。
雪の夜を照らす焚き火の中に立つのは、
――里の“英雄”ガルドだった。




