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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第4章『ルシェラ過去編』

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『激しい戦場』

深都エルグラディアが見えた時、セリウスはすでに間に合わない可能性を感じていた。


谷の奥、黒曜石と赤銅の都は、いつもの静かな灯ではなく、いくつもの火の筋に裂かれていた。

夜明けの薄明かりと炎の赤が混じり合い、街の輪郭そのものが揺らいで見える。

鐘の音はもう秩序を告げるものではなく、壊れた呼吸のように乱れていた。


遅い。


その二文字が、馬を走らせるより先に胸の奥へ突き刺さる。


セリウスは手綱を強く引き、谷道を一気に駆け下りた。

山肌を打つ風が外套を鳴らす。

耳に入るのは、遠くの怒号と、金属が砕ける乾いた音。

そのどれもが、ただの戦況悪化ではないことを告げていた。


これは侵攻だ。

しかも都を落とすためだけのものじゃない。


誰かを狙っている。


城門近くへ着いた時には、もう隠す意味もなかった。

天使族の白翼が低空を掠め、地上では悪魔族同士が刃を向け合っている。

一瞬、セリウスは目を細める。


外と内。

両方から崩している。


そこまで見えた瞬間、この戦が偶然の連鎖ではないと確信した。

誰かが、最初から深都の中心を割るつもりで火を入れている。


セリウスは馬を飛び降り、正門脇で負傷兵を庇っていた近衛兵へ駆け寄った。


「生きているな」


その兵は肩口から血を流しながらも剣を構え、セリウスを見て一瞬だけ警戒を浮かべる。

だが、すぐにその顔が変わる。


「……調停者」


「説明は後だ。ネメシアとエルシオン、それにルシェラはどこだ」


兵は息を荒げながら答える。


「中央居館から地下水路へ向かったはずです……ですが、途中で敵が回り込んで……」


「どこで止められている」


「裏庭から西回廊へ抜ける石門の先……! 近衛の半数がそちらへ向かいましたが、天使族と裏切り派が合流して……!」


それで十分だった。


セリウスは兵の肩を一度だけ押さえる。


「生き延びろ」


そして次の瞬間には、もう走り出していた。


石畳の上を、火の粉を踏み越えながら進む。

途中、白翼の兵が二人、回廊の上から降りてくる。

片方は光槍を構え、片方は短剣で足を狙うつもりだと一目で分かった。


セリウスは減速しない。


最初の一歩で槍の軌道を外し、二歩目で剣の腹を使って手首を打つ。

槍が落ちる。

振り下ろした返しで二人目の短剣を弾き、そのまま膝を払う。

悲鳴すら上がる前に、二人とも床へ沈んだ。


走りながら、セリウスは自分の呼吸が荒くなるのを感じていた。


もしこの戦場の中心に、あの家族がいるのなら。


ネメシア。

王として前に立つ女。

エルシオン。

どちらの秩序からもはみ出しながら、なお守ることを選んだ男。

そしてルシェラ。

光と闇のあいだに生まれた、小さな希望。


――間に合え。


それは祈りに近かった。

調停者である自分が、誰よりも祈るべきでないと分かっていながら、それでも心の奥ではそう願っていた。


西回廊へ差しかかると、空気が変わった。


血の匂いが濃い。

火薬と焦げた布と、焼けた羽の匂いまで混じっている。

そして、ここだけ明らかに戦いが一点へ集中していた。


曲がり角の向こうから、怒声が響く。


「押せ!」


「子を逃がすな!」


「王を通すな!」


セリウスの背筋に冷たいものが走った。

その叫びだけで、この戦の本質がすべて剥き出しになる。


都のためではない。

勝利のためでもない。

狙っているのは、あの家族そのものだ。


角を曲がった瞬間、視界が開ける。


石門前の広場。

崩れた壁。

倒れた兵。

その中心に、ネメシアとエルシオンがいた。


ネメシアはルシェラを背後の石壁際へ下がらせ、自ら前へ出ていた。

肩と脇腹に血が滲み、呼吸は明らかに浅い。

それでも剣を下ろさない。

エルシオンもまた、肩口と頬を裂かれ、袖口には乾ききらない血がこびりついていた。

二人とも、すでに限界に近い。


それでも立っている。


セリウスはその姿を見た瞬間、胸の奥が痛むのを感じた。


遅かった。


まだ生きている。

だが間に合ったとは言えない。

助けに来たというには、あまりにも遅すぎた。


その視界の隅に、さらにひとつの姿が映る。


倒れている近衛兵。

大柄な体。

血の広がり方。

ヴォルガだとすぐ分かった。


ネメシアの将。

すでに動かない。


その一瞬の認識だけで、この場に何が起きたのか、すべてを聞かずとも理解できた。


セリウスは剣を抜く。


金属音が戦場へ鋭く走った。


最初にこちらへ気づいたのは、白翼の兵だった。


「調停者だ!」


叫び声と同時に三人が向き直る。


遅い。


セリウスは一気に間合いを詰めた。

一人目の光槍を外へ逸らし、そのまま柄頭で顎を打つ。

二人目の刃は半歩引いて躱し、返しの一閃で肩口を裂く。

三人目が後ろへ跳ぼうとしたところへ踏み込み、腹へ蹴りを入れて壁へ叩きつける。


一連の動きは、もはや考えていなかった。

最短で、最少で、ネメシアたちへ届くための動きだけが体を走らせていた。


「セリウス!」


ネメシアが初めてその名を叫ぶ。


その声に、セリウスはようやく彼女の目を見る。

強い女だと思っていた。

実際そうだ。

だが今、その目の奥には、王の顔の下に押し込められた疲労と焦りが見えた。


エルシオンが荒い息のまま言う。


「遅い」


それは皮肉にも聞こえた。

だが声の底にあるのは、安堵に近いものだった。


セリウスは短く返す。


「自覚している」


そのやりとりの間にも、敵は止まらない。

悪魔族裏切り派が石門脇から回り込み、上空では白翼が再び降下の体勢を取る。


セリウスは一歩、ネメシアたちの前へ出た。


「ルシェラは」


ネメシアが顎で示す。

石壁の陰。

そこに、十歳の少女が息を殺していた。


ルシェラ。


目が合う。


その瞳を見た瞬間、セリウスは胸の奥を殴られたような気がした。

前に会った時よりも、ずっと大きくなっている。

子どもらしい丸みをまだ残しながら、それでももう、何も分からない年齢ではない目だった。


恐怖を知っている。

失われるかもしれないものの輪郭を知り始めている。

それでも泣かずに、ただ両親を見ている。


あまりにも、早く戦場を知りすぎた目だった。


セリウスは視線を戻す。


「地下水路まで通せるか」


エルシオンが低く答える。


「通すしかない」


「現状は」


「最悪だ」


「見れば分かる」


そう返しながらも、セリウスはすでに敵の数と位置を頭の中で組み直していた。


正面に六。

上に三。

死角にまだ潜んでいる気配が二つ。

そして遠くからさらに足音。


多すぎる。


三人だけなら突破できたかもしれない。


ルシェラを庇いながら動く二人に、後から加わった自分。


選べる手は少ない。


「私が前を割る」


セリウスが言う。


「お前たちはルシェラを連れて下がれ」


「断る」


ネメシアが即答する。


「あなた一人で抜けられる数じゃない」


「分かっている」


「なら――」


「それでも、今この場でいちばん戦えるのは私だ」


その言葉に、ネメシアもエルシオンも黙る。


事実だった。


二人はすでに傷だらけだ。

動けているのが奇跡に近い。

セリウスが来たことで、ようやく“形”だけは立て直せる。

だが戦局そのものをひっくり返すほどの余力はない。


それが、あまりにも重かった。


セリウスはそこでようやく痛感する。


自分は遅れたのだ。


来た。

戦っている。

加勢もできる。

だが、覆せない。


遅れてきた者にできるのは、勝つことではない。

崩れきる前に、何かをひとつでも先へ繋ぐことだけだ。


その時、上空から光が集まり始める。

白翼の兵たちが一斉に投槍の構えを取った。


地上でも裏切り者たちが半円状に広がっていく。

逃げ道を消す陣形だ。


ネメシアが低く吐き捨てた。


「本当に、都ごと焼く気ね」


エルシオンの声は冷たかった。


「最初からそのつもりだ」


セリウスは剣を構え直す。


光が落ちる前の、ほんのわずかな静止。

その一瞬に、彼は自分の中で何かを決めた。


この戦場はもう救えない。

だが、あの子だけは違う。


ルシェラだけは、ここで失ってはいけない。


次の瞬間、夜明け前の空気を裂いて、無数の光が降り始める。


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