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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第4章『ルシェラ過去編』

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『守る者たち』

地下水路へ続く石扉の前で、ついに足が止まった。


左右から迫る裏切り者たち。

上空を旋回する白翼の兵。

崩れた壁の向こうからは、さらに新手の気配が流れ込んでくる。


ネメシアはルシェラを抱いたまま、荒い息を整えた。


エルシオンが剣を構えたまま低く言う。


「数が多すぎる」


「ええ」


ネメシアの声は短い。


彼女も分かっていた。

庇いながらでは、躱せる攻撃に限界がある。

今までは突破のために動けた。

だがここで包囲されれば、それも終わる。


ルシェラは母へしがみついたまま、かすれた声を出す。


「おかあさま……」


ネメシアは一瞬だけ目を閉じた。


次の瞬間、決める。


「ルシェラ、聞いて」


その声に、ルシェラの体が強張る。


「ここにいて」


ネメシアは石扉脇のくぼみに娘をそっと降ろした。

崩れた石壁が半分だけ盾になっている場所。

完全ではない。


「いや……!」


ルシェラが思わず母の手を掴む。


ネメシアはその小さな手を強く握り返した。


「大丈夫。すぐ戻る」


嘘だと分かっていた。

すぐ戻れる保証なんて、どこにもない。

けれど母は、こういう時にしかつけない嘘をつく。


エルシオンも屈み、ルシェラの肩へ手を置いた。


「前だけ見ていろ」


その言葉に、ルシェラは泣きそうになりながら頷いた。


次の瞬間、二人は同時に前へ出た。


エルシオンが上から降る光槍を弾き、ネメシアが地を這う刃を払う。

白と紅の軌跡が炎の中で交差し、敵の動きを一瞬ごとに断ち切っていく。


だが数が減らない。


倒しても倒しても、背後から別の影が現れる。

天使族と悪魔族裏切り派が、互いを敵とも思わぬまま押し寄せてくる異様な戦場だった。


ネメシアは剣を返しながら、ちらりとルシェラを見る。

まだそこにいる。

怯えながらも、目を逸らさずに。


その一瞬が、隙になった。


横合いから伸びた黒い刃が、一直線にネメシアの脇腹を狙う。

深い。

まともに入れば致命になる。


エルシオンが叫ぶ。


「ネメシア!」


だが間に合わない。


その瞬間、別の影が割って入った。


鈍い音。


刃はネメシアではなく、その胸を深く貫いた。


「――ヴォルガ!」


ネメシアの声が裂けた。


民の避難を優先していたはずのヴォルガが、血を吐きながらそこに立っていた。

彼はネメシアを庇うように前へ出たまま、なお剣を離さなかった。


「間に……合った、か」


その声はもう掠れていた。


敵兵が刃を引き抜くと、ヴォルガの体が大きく揺れる。

それでも彼は最後の力で斧を振り抜き、相手を叩き潰した。


膝が折れる。


ネメシアがすぐに抱きとめた。


「ヴォルガ!」


「……そんな顔を、するな」


血に濡れた口元が、かすかに歪む。

それは笑おうとした顔だった。


周囲ではまだ戦いが続いている。

エルシオンが前へ出て二人の前を塞ぎ、迫る敵を押し返す。

だがその背中すら、今は遠く感じるほど、ネメシアの耳にはヴォルガの浅い呼吸しか届いていなかった。


「しゃべるな、今すぐ治療を――」


「無理だ」


ヴォルガははっきり言った。


自分の傷を、自分がいちばんよく分かっている声だった。


ネメシアの目が揺れる。

王ではなく、部下を失いたくないひとりの女の目だった。


ヴォルガはその目を見て、静かに言う。


「ネメシア様……あんたは、前を向け」


「民を……ルシェラ様を……守れ」


ルシェラの名が出た瞬間、ネメシアの喉が詰まる。


ヴォルガは血を吐きながら、それでも続けた。


「俺たちは……あんたが、守るものを守るために……ついてきた」


「だから……最後まで、そうしろ」


その言葉は遺言だった。

命令ではなく、願いだった。


ネメシアは唇を噛む。

涙が出そうになる。

けれど今ここで泣けば、この男の最期を弱くしてしまう気がした。


ヴォルガの視線が、ネメシアの肩越しにルシェラへ向く。


石壁の陰で震えながら、それでもこちらを見ている小さな姿。


「……よかった」


ヴォルガは小さく息を吐いた。


「未来が……まだ、そこにいる」


その一言とともに、彼の肩から力が抜ける。


ネメシアははっとして名を呼ぶ。


「ヴォルガ!」


返事はない。


血に濡れた顔は、苦痛の中にありながら不思議と穏やかだった。

守るべきものを守れた者の顔だった。


ネメシアは一瞬だけ目を閉じた。


その短い沈黙のあいだに、何かが確かに折れ、同時に何かがさらに強く結び直された。


ヴォルガの死を無駄にはできない。


エルシオンが背後から叫ぶ。


「ネメシア!」


ネメシアはゆっくり立ち上がる。

ヴォルガの血が手に残る。

温かいままのその重みを、彼女は振り払わなかった。


「……ええ」


低く答える。


その目には、さっきまでとは別の炎が宿っていた。


ルシェラは石壁の陰で、息もできずにその一部始終を見ていた。

ヴォルガが母を庇ったこと。

自分の名を呼んだこと。

そして、静かに動かなくなったこと。


これが死なのだと、まだ完全には理解できない。

けれど、もう戻らないのだということだけは分かった。


火の粉が舞う。


血の匂いが濃くなる。


そしてその中で、ヴォルガの最期の言葉だけが、ネメシアにもルシェラにも深く残った。


未来が、まだそこにいる。


その未来を守るために、戦いはまだ終われなかった。

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