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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第4章『ルシェラ過去編』

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『光と闇の手』


 最初に聞こえたのは、白い羽が風を裂く音だった。


 湖畔を囲む林の向こうで枝葉が揺れ、三つの影が低空を滑るように近づいてくる。


 天使族。


 さらに反対側からも、草を踏む複数の足音が聞こえていた。


「……挟まれたわね」


 ネメシアが小さく息を吐く。


 片側は湖。


 背後には岩場。


 広く動き回れる地形ではないが、逆に少人数なら正面を絞れる。


 エルシオンは脇腹を押さえながら剣を構えた。


 三人の天使兵が林から姿を現し、二人は軽装の兵。


 中央に立つのは、四枚翼を持つ指揮官だった。


「エルシオン様」


 呼び方にはまだ形式上の敬意が残っている。


 だが、その目は冷たい。


「族長命令です。武装を解除し、天空神殿へお戻りください」


「……連れ戻しに来たのか」


「まずは」


 指揮官の視線がネメシアへ移る。


「そちらの悪魔族から離れていただきます」


「断ったら?」


「拘束します」


 ネメシアが僅かに眉を上げる。


「思ってたより穏当ね」


「黙れ、悪魔」


 天使兵の一人が剣へ手をかける。


 エルシオンの表情が僅かに険しくなった。


「待て」


「エルシオン様?」


「俺は戻るつもりだ」


 ネメシアが横目で彼を見る。


 指揮官も一瞬だけ目を細めた。


「ならば剣を捨て、こちらへ」


「だが」


 エルシオンは動かなかった。


「彼女に剣を向ける理由はない」


「敵国の王です」


「今ここで俺たちを襲ったか?」


「敵であることに変わりはありません」


「それだけで斬るのか」


 指揮官の顔が硬くなる。


「また同じことを……」


 その時。


 反対側の林から黒い矢が飛び、木の幹へ突き刺さった。


 全員が視線を向ける。


「ネメシア様!」


 三人の悪魔族兵が現れた。


 戦場から離脱していた斥候らしく、軽装ではあるが武器を構えている。


 彼らはネメシアを見つけて一瞬安堵し。


 その隣にいるエルシオンを見て、すぐに顔色を変えた。


「白翼……!」


「下がってください! そいつは天使族の将です!」


「分かってるわ」


「なら――」


「今は斬らないで」


 悪魔族兵たちが固まる。


「……は?」


「説明はあとよ」


 ネメシアが剣を抜いた。


「先に、こっちをどうにかする」


 天使族も。


 悪魔族も。


 誰もすぐには動かなかった。


 本来なら。


 この場でもっともあり得ない位置に。


 ネメシアとエルシオンが並んでいる。


「……やはり」


 天使族の指揮官が低く呟く。


「敵と通じたのですね」


「違う」


 エルシオンが即答する。


「なら、こちらへ来てください」


「だから戻ると言っている」


「ではなぜ、その女を庇う!」


「今ここで殺す理由がないからだ!」


 声が湖畔へ響いた。


 ほんの一瞬。


 指揮官の表情が揺れる。


 だが。


「……確保しろ」


 命令が下った。


◇ ◇ ◇


 二人の天使兵が動く。


 一人はエルシオンへ。


 もう一人はネメシアへ。


「面倒ね!」


 ネメシアが踏み込んだ。


 相手の槍を剣で外へ流し、肩を押して湖岸の泥へ転がす。


 殺さない。


 エルシオンはその動きを見た。


 やはり。


 戦場で見たものと同じだった。


 一方。


 エルシオンへ迫った剣を受けた瞬間。


「ぐっ……!」


 傷へ激痛が走る。


 力が入らない。


「抵抗しないでください!」


「その剣を向けられて言われてもな!」


 刃を逸らす。


 だが足がふらつく。


 そこへ悪魔族兵の一人が横から飛び込んだ。


「白翼!」


 斧が天使兵へ向かう。


 エルシオンは反射的に剣を出した。


 斧の柄を押し上げる。


「何を――!」


「殺すな!」


 悪魔族兵が目を見開く。


 その一瞬。


 天使兵の剣が彼へ向かった。


 今度はエルシオンが受ける。


 金属音。


「……なんで」


 悪魔族兵が呆然とする。


「今は説明してる暇ないって言ったでしょう!」


 ネメシアの声が飛んだ。


「死にたくなければ前を見なさい!」


 その声で。


 全員が戦いへ戻った。


 奇妙な乱戦だった。


 天使族の追手。


 悪魔族の斥候。


 その間で。


 紅き悪魔王と、天使族の後継が互いの死角を守っている。


「右!」


 ネメシアの声。


 エルシオンは振り返らず剣を上げた。


 光矢を弾く。


 直後。


 傷のせいで反応が遅れたエルシオンの背後へ天使兵が回る。


 ネメシアの剣が割り込んだ。


「遅い!」


「重傷者に求めるな!」


「だったら下がりなさい!」


「それは断る!」


「面倒!」


 言い合いながら。


 不思議なくらい。


 動きは噛み合っていた。


 エルシオンは前へ出すぎるネメシアの死角を塞ぎ。


 ネメシアは傷で動きの鈍ったエルシオンへ届く攻撃を弾く。


 悪魔族兵たちも。


 最初は戸惑っていたが。


 次第に、天使族であるか悪魔族であるかではなく。


 今。


 誰が誰を守っているかを見て動き始めた。


「……何なんだ、これは」


 一人が思わず漏らす。


 答えられる者はいなかった。


◇ ◇ ◇


 天使族の指揮官が翼を大きく開いた。


「もういい!」


 上空へ飛び上がる。


 手の中へ光が集まり、巨大な槍を形作っていく。


「まとめて動きを止める!」


「まずい」


 エルシオンが顔を上げる。


 殺傷を目的とした最大出力ではない。


 だが。


 今の自分がまともに受ければ耐えられない。


 周囲の悪魔族兵も巻き込まれる。


「散って!」


 ネメシアが叫ぶ。


 しかし地形が悪い。


 逃げ切れない。


 エルシオンは。


 考えるより先に動いていた。


 傷ついた翼を強引に広げる。


 空へ。


「エルシオン!」


 光槍が放たれた。


 エルシオンはその軌道へ剣を叩き込む。


「――っ!」


 腕が痺れる。


 脇腹から血が噴き出す。


 軌道が僅かにずれた。


「馬鹿!」


 ネメシアが跳ぶ。


 エルシオンの剣で逸れた光槍へ。


 紅い刃を重ねる。


 二人分の力で。


 光槍を空へ押し上げた。


 轟音。


 光は湖の向こうへ落ち。


 巨大な水柱が立ち上がった。


 エルシオンの身体が崩れる。


「……っ」


 落下する直前。


 ネメシアが腕を掴んだ。


「本当に死ぬ気!?」


 二人が湖岸へ着地する。


 悪魔族兵たちが一気に前へ出た。


 天使兵二人はすでに負傷。


 指揮官も。


 今の術で大きく力を使っている。


 ネメシアが剣先を向けた。


「ここまでよ」


 紅い瞳が。


 まっすぐ指揮官を見る。


「これ以上続けるなら、今度は手加減できない」


「…………」


 指揮官は。


 エルシオンを見る。


「本当に……我々へ剣を向けるのですね」


 その言葉に。


 エルシオンの顔が僅かに歪んだ。


「違う」


「何が違う!」


「俺は天使族を捨てていない!」


 はっきりと言った。


 湖畔の全員が。


 エルシオンを見る。


「戻る」


 息は荒い。


 それでも。


 言葉は揺れなかった。


「父上にも話す。自分が何を見たのか。なぜ剣を止めたのか」


「なら今すぐ――」


「でも」


 エルシオンの視線が鋭くなる。


「だからといって、理由もなく彼女を斬ることはできない」


「…………」


「戻ることと」


 剣を下ろす。


「自分の目で見たものを捨てることは、同じじゃない」


 指揮官は何も言わなかった。


 やがて。


「……撤退する」


 低く告げる。


「この件は、全て族長へ報告します」


「構わない」


「次は、このようには済まないかもしれません」


「それでも戻る」


 指揮官はエルシオンを長く見つめたあと。


 翼を広げた。


 二人の部下も続く。


 白い影が林の向こうへ消えていった。


◇ ◇ ◇


 静けさが戻った。


 残された悪魔族兵たちは。


 それでもエルシオンから警戒を解いてはいない。


「ネメシア様」


 一人が口を開く。


「こいつを……本当に帰すのですか?」


「あら」


 ネメシアは剣を鞘へ戻した。


「捕虜にした覚えはないわ」


「しかし……」


「今ここで私を守ったのも事実でしょう?」


「それは……」


「なら、今はそれで十分よ」


 兵は黙った。


 エルシオンは剣を地面へ突き、それを支えに立っている。


「無茶しすぎ」


 ネメシアが隣へ来る。


「お前に言われたくない」


「私はあんな傷で空に飛んだりしないわ」


「本当か?」


「……多分」


 短いやり取り。


 それを聞いた悪魔族兵が。


 なんとも言えない顔をした。


 ネメシアはエルシオンを見る。


「本当に戻るの?」


「ああ」


「捕まるかもしれない」


「分かっている」


「父親にまた拒絶されるかもしれない」


「それも分かっている」


「それでも?」


 エルシオンは。


 一度。


 遠くの空を見た。


 あの向こうに。


 自分が育った国がある。


「逃げたままでは」


 静かに言う。


「俺自身が、自分の言葉を信じられなくなる」


 ネメシアは。


 少しだけ。


 目を細めた。


「……そう」


「だから戻る」


「なら止めないわ」


 ネメシアは答えた。


 それから。


 少しだけ声を柔らかくする。


「でも、生きなさい」


「……何だ、急に」


「次に会った時」


 ネメシアが小さく笑う。


「今日の続きを聞きたいから」


「続きを?」


「あなたが戻って」


 一拍。


「何を選んだのか」


 エルシオンは。


 しばらく彼女を見つめた。


「……また会えると思っているのか」


「生きていれば」


「曖昧だな」


「戦場の約束なんて、そんなものよ」


 エルシオンは。


 小さく笑う。


「なら」


「ああ」


 剣を杖代わりにしながら。


 身体を起こす。


「生きるよ」


「ええ」


 ネメシアも頷いた。


「そうしなさい」


 やがて。


 二人は別々の方向へ歩き出した。


 ネメシアは。


 前線へ。


 エルシオンは。


 天空神殿へ戻るための道へ。


 敵同士であることは。


 まだ変わっていない。


 立っている国も。


 背負っているものも。


 違う。


 けれど。


 湖畔で互いの背を守ったという事実だけは。


 もう。


 どちらにも消せなかった。


 そして。


 数日後。


 二人は。


 どちらの旗も立たない山間の谷で。


 もう一度。


 顔を合わせることになる。

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