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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第4章『ルシェラ過去編』

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『受け継がれる剣』


白き天空の軍港に、朝の鐘が響いていた。


雲海を切り開くように築かれた巨大な発着台には、すでに数百の兵が整列している。

銀白の鎧。研ぎ澄まされた槍。規律正しく揃えられた翼。

どこまでも清らかで、どこまでも整いすぎた光景だった。


その最前列に、エルシオンは立っていた。


幼き日に父の前で木剣を掲げた少年は、もういない。


背は伸び、翼は大きく広がり、若き天使族の将として恥じぬ姿となっている。

白銀の装甲に身を包み、腰には実戦用の剣。

その横顔には若さが残っていたが、もう子どもとは呼べなかった。


兵たちの視線が集まっている。


ただの若き将だからではない。

彼が、族長ヴァルセリオンの息子だからだ。

そして将来、天使族の族長を担う者として見られているからだ。


その重さを、エルシオンは知っていた。


知っていてなお、背筋を伸ばして立っていた。

弱く見られるわけにはいかない。

迷いを見せるわけにもいかない。


「緊張しているか」


隣から声をかけたのは、四枚翼の老将ゼファルだった。

長年ヴァルセリオンの下で戦い続けてきた実戦派の将であり、今回の遠征でもエルシオンの補佐役に据えられている。


エルシオンは正面を見たまま答える。


「していないと言えば嘘になります」

「それでいい」


ゼファルは短く言った。


「だが忘れるな。今日、お前はただの兵として出るのではない」

「分かっています」

「分かっているならいい」


老将の声には厳しさがあったが、侮りはなかった。

試されているのだとエルシオンは理解している。


今日の任務は、悪魔族領北部の前線拠点制圧。

補給線の切断と、地上部隊の進軍路確保。

単なる小競り合いではない。今後の侵攻に繋がる重要な一手だった。


その前線部隊の一翼を、エルシオンが率いる。


功績を立てるためではない。

父の名を飾るためでもない。


守るためだ。


その思いだけは、本物だった。


「ヴァルセリオン様もご覧になる」


ゼファルが空の最奥を見上げて言った。

エルシオンも視線を上げる。


高き白塔の上、天空神殿の露台に、ひとりの男が立っていた。

ヴァルセリオン。

白金の長髪をなびかせ、六枚翼を静かに背負うその姿は、遠目にも威厳に満ちている。


この国の光。

この国の秩序。

その象徴のような男だった。


エルシオンは胸の内で息を整える。


父上の教えを、違えはしない。


守るために強くあれ。

悪に迷うな。

躊躇いは、守るべき者を殺す。


あの日から、何度も繰り返してきた言葉だ。

剣を振るうたび、翼を鍛えるたび、胸の内で確かめてきた。


やがて出撃の号令が下る。


数百の白翼が一斉に空へ舞い上がった。

雲を裂き、光の尾を引きながら、天使族の軍勢は南へ進む。


その美しさは、神話の一場面のようだった。


だがその美しさが、地上にとって何を意味するのかを、エルシオンはまだ深く考えたことがなかった。


軍列は高度を落としながら、悪魔族領の外縁へ近づいていく。

眼下に見えてきたのは、深都エルグラディアへ至る前線の関所と、その周辺集落だった。


石造りの防壁。

簡素な倉庫。

物見櫓。

兵の宿舎。

だがそれだけではない。


荷車。

干された布。

小さな畑。

外に積まれた薪。


エルシオンは眉を寄せる。


軍事拠点、のはずだった。

だがその輪郭は、生活の匂いを帯びていた。


「下を見るなとは言わん」


ゼファルが横から言う。


「だが、見たものに心を奪われるな」

「……はい」

「敵は常に、守るべき何かを装うものだ」


その言葉にエルシオンは頷く。

たしかにそうだ、と頭では思った。


悪魔族は狡猾だ。

弱きものを盾にし、情けを誘い、こちらの剣を鈍らせる。

訓練でもそう教えられてきた。


だが、それでも。


見えるものすべてを“装い”と呼び切るには、眼下の景色はあまりにも生々しかった。


角笛が鳴る。


前衛が陣形を変え、光槍を構える。

一瞬で空気が張り詰めた。


「第一隊、降下!」


号令とともに、白き軍勢が地上へ落ちていく。


エルシオンも剣を抜き、先頭で風を裂いた。

顔に叩きつける空気は冷たい。

眼下からは警鐘が響き、悪魔族兵たちが防衛線へ走り出すのが見えた。


地上へ着地した瞬間、轟音が走る。


第一波の衝撃で物見櫓が砕け、石壁の一部が弾け飛ぶ。

悲鳴と怒号が入り混じり、戦場は一気に現実の重さを持った。


「前へ!」


エルシオンは剣を掲げ、部隊を押し出した。


兵たちがそれに応じる。

彼の声は若いが、臆してはいなかった。

その姿に、周囲の兵も従う。


悪魔族の兵が前へ出てくる。

黒鉄の槍と斧。赤い瞳。傷だらけの鎧。

教えられてきた“敵”の姿だった。


エルシオンは先頭の槍兵とぶつかる。


金属が激しく鳴り、火花が散る。

相手の一撃は重かった。荒いが、ただの激情ではない。

押し返すため、守るための力だった。


二度、三度と刃を交わし、エルシオンは踏み込む。

剣が相手の脇を裂き、悪魔族兵がよろめいた。


その背後に、影が見えた。


年若い女が、子どもの手を引いて走っている。

槍兵は彼女たちの前に立ち、こちらを食い止めていたのだ。


エルシオンの剣先がわずかに止まる。


その一瞬の迷いを、相手は見逃さなかった。

槍の石突きが鎧の隙間を打ち、息が詰まる。


「っ……!」


後方へ飛び退く。

悪魔族兵は追わず、振り返って叫んだ。


「西の坂を行け! 止まるな!」


女は子どもを抱えるようにして走り去る。


その声は、怪物の咆哮ではなかった。

ただ必死に誰かを逃がす者の声だった。


「エルシオン様!」


味方の兵が叫ぶ。


その声に、エルシオンは再び前へ出る。

剣を振るい、相手の槍を弾き、体勢を崩す。


だがその瞬間、横から飛び込んだ天使兵の槍が悪魔族兵の胸を貫いた。


男の体が大きく揺れ、そのまま崩れ落ちる。


別の方向から斧兵が突っ込んでくる。

部下が押される。

指揮を止めるわけにはいかない。


「右翼を前へ! 左は倉庫側を押さえろ!」


声を張り上げると、部隊が動いた。

訓練通り。想定通り。

自分はちゃんと指揮できている。


それでも、胸の奥に小さな何かが残った。


戦場は広がっていく。


補給庫が炎を上げ、路地では悪魔族兵が必死に持ちこたえていた。

撤退のための時間を稼いでいるのだと、次第に分かってくる。


彼らは勝とうとしているのではない。

守ろうとしている。


その事実が、かえってエルシオンの手を重くした。


坂道の下で、負傷した悪魔族兵を二人がかりで運ぶ若い兵がいた。

路地では老いた者を背負って退く女兵がいた。

半壊した家屋の陰では、少年が幼い弟か妹を抱いて震えていた。


どれも、一瞬だけ目に入る光景だ。

戦場においては些細なものと言われるのかもしれない。


だがエルシオンの目には、消えなかった。


「前方、重装兵!」


伝令の声が飛ぶ。


谷側から悪魔族の増援が押し寄せ、防衛線が急に厚くなる。

その先頭に立つ巨躯の戦士が、天使兵二人をまとめて弾き飛ばした。


「中央が押されます!」

「槍兵を回せ!」


エルシオンは即座に命じ、自らも中央へ踏み込む。


剣を打ち込み、敵の斧を受け流し、部下の退路を開く。

その動きに迷いはない。

指揮官として、今この場でやるべきことは分かっていた。


だが戦いの最中、再び視界の端に映ってしまう。


倒れた兵に覆いかぶさるようにして泣く子ども。

その子をかばって立つ、傷だらけの悪魔族兵。


なぜそこまでして守る。


その問いが胸に浮かんだ瞬間、自分でも驚く。

敵に向ける問いではない。

だがもう、生まれてしまっていた。


もし彼らがただの悪なら。

ただ奪い、壊し、喰らうだけの存在なら。

どうしてあんな顔をする。


どうして自分の死を覚悟した顔で、子どもの前に立てる。


「エルシオン!」


ゼファルの声が飛ぶ。


はっとして剣を振るう。

迫っていた敵の一撃を受け流し、逆に斬り返す。


「考えるな!」


老将が叱責する。


「戦場で迷いは死を呼ぶ!」

「……はい!」


答えながらも、心のどこかで思う。


では、この引っかかりは何なのだ。


迷いなのか。

未熟さなのか。

それとも、自分がまだ見たことのない何かなのか。


答えは出ない。


出るはずもなかった。

エルシオンはまだ、父の正義を深く信じている。

悪魔族が脅威であるという認識も変わらない。

現に今この場で、味方は傷つき、命のやり取りが起きている。


彼らは敵だ。

それは事実だった。

それでも同時に、敵にも守るものがある。

それもまた、目の前の事実だった。


やがて天使族側の角笛が鳴る。


第一目標達成。

補給路の破壊完了。

防衛線を崩し、所定の戦果は得た――撤収の合図だった。


「全隊、上がれ!」


エルシオンの命に応じ、部隊が順次空へ戻る。


彼自身も羽ばたき、戦場を離れる。

だが上昇しながら、思わず振り返った。


眼下の前線拠点は煙に包まれていた。

炎の上がる倉庫。砕けた櫓。崩れた石壁。

その中を、まだ動く小さな影がいくつもある。


生きている者たちだ。

逃げる者。支える者。泣く者。


それは“敵拠点”という一言では括れない景色だった。


「よくやった」


隣へ戻ってきたゼファルが言う。


「若いにしては上出来だ。部隊も乱さなかった」


エルシオンは前を向いたまま頷く。


「ありがとうございます」

「だが甘さがある」


老将の声は低い。


「守るべきものを見誤るな。敵が何を守ろうと、それは我らの民を脅かすための土台だ」


その言葉は、今までなら素直に胸へ落ちていた。


だが今回は、少しだけ残った。


本当に、それだけなのか。


問いは声にならない。

言葉にすれば、自分の中の何かを裏切る気がした。


父の教え。

天使族の正義。

光の民としての誇り。


それらを捨てたいわけではない。

むしろ逆だ。守りたいと思っている。

だからこそ、この違和感が邪魔だった。


天空の都へ戻る途中、エルシオンは高く広がる白空を見上げた。


あの日と変わらぬ、美しい空。

父が正義を語った、清らかな世界。


そのはずなのに。


今日、その白さの中に、ほんのわずかな影を見た気がした。


それはまだ、小さなひびにすぎない。

信仰を砕くほどのものではない。

正義を覆すにはあまりにも弱い。


だが確かに、若きエルシオンの胸には残った。


敵にも、守る者がいる。


その事実が、消えなかった。


そして彼はまだ知らない。


その違和感の先で、自分の目が本当に捉えることになる“紅き守護者”の姿を。

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