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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第3章『エルフ王国編』

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『民の視線』


広場には、まだ戦いの痕が残っていた。


砕けた石畳。

焼け焦げた木柵。

精霊術の残滓が、薄い光となって宙を漂っている。


その中心で、ルシェラはまだ迅を抱きしめていた。


腕の中の体温が消えてしまわないように。

呼吸が止まってしまわないように。

まるで祈るように、必死に。


「……じん」


小さな声。

震えた声。

それはもう、誰にも隠せない“失いたくない”という本音そのものだった。


リリィが、涙を拭いながら近づいてくる。


「大丈夫……たぶん、気を失ってるだけ」


そう言いながらも、声は少し震えていた。

本当は自分だって怖い。

けれど、今ここで取り乱してはいけないと分かっている。


ルーナがしゃがみ込み、迅の脈と呼吸を確かめる。


「……生きています。消耗と負傷、それから無理に力を引き出した反動よ」


ガルドが低く息を吐いた。


「ったく……無茶しやがって」


ヴァロスは静かに頷く。


「命を削ったな」


その言葉に、ルシェラの肩がびくりと震える。


命を削った。


その言葉が、何より深く刺さる。


セリウスの背中が、一瞬で脳裏に蘇る。

“生きろ”と言って、自分を置いていった背中。

守ろうとして、消えた背中。


ルシェラは息を詰まらせた。


「……やだ」


掠れた声で呟く。


「やだ……もう……」


その声が、広場に静かに落ちた。


族長エルディアは、その光景を黙って見ていた。

先ほどまでの長としての威厳はそのままに、しかしその瞳には明らかな変化があった。


断罪の視線ではない。


理解しきれぬまでも、何かを見誤っていたと認める者の目だった。

そして、老エルフがゆっくりと前へ進み出た。

広場の民が、道を開ける。


小さな身体。

震える足。

それでも一歩ずつ、確かにルシェラの前へ向かっていく。


ルシェラは顔を上げた。

老エルフと目が合う。


その瞬間、二人の間を三百年分の時間が通り過ぎたようだった。


燃える街。

崩れる塔。


「ごめんなさい」という声。


老エルフはルシェラの前で止まると、深く頭を下げた。


「……ありがとう」


その一言に、ルシェラの瞳が揺れる。

老エルフは顔を上げずに続けた。


「三百年前、私はあなたに救われました」

「あなたは……あの焼ける街の中で、私を庇ってくれた」


声が震える。


「なのに私は……何も返せなかった」

「真実を守れなかった」

「あなたが守ろうとした事実も、あなたの涙も、“ごめんなさい”も……全部、恐怖に飲み込まれるのを止められなかった」


老エルフの肩が小さく震える。


「三百年、ずっと後悔してきました」

「あなたを悪魔として語る声を聞くたび、私は黙ってしまった」

「今日まで、言えなかった」


老エルフは、そこで初めてルシェラの顔を見る。


涙に濡れた、深い皺の刻まれた目。

けれどその中にあるのは恐怖ではなかった。


感謝と、謝罪と、祈るような悔い。


「ありがとう」


もう一度、老エルフは言った。


「そして……ごめんなさい」


広場は静まり返っている。


民衆も、兵も、族長も。

誰も言葉を挟まない。


ルシェラはしばらく動かなかった。


腕の中の迅を抱いたまま、唇をきつく噛んでいる。

胸の奥で何かがせり上がる。

けれど、どう言葉にしていいか分からない。


長い沈黙の後、ルシェラはようやく口を開いた。


「……違う」


小さな声。


「謝らないで」


老エルフの目が揺れる。


ルシェラは、ゆっくりと立ち上がる。

迅をリリィたちに預けて、一歩前へ出る。


足元はふらついている。

それでも、逃げない。


「謝るのは……私の方」


広場の全員が、ルシェラを見る。

ルシェラは、怯えながらも言葉を続けた。


「三百年前、私は街を救えなかった」

「守ろうとした。でも……全部守れなかった」


その言葉には、三百年分の痛みが滲んでいた。


「たくさん死んだ」

「燃えて、壊れて、泣いて……」

「私がもっと強ければ、もっと早く気づけていれば……」


ルシェラの声が震える。


「もっと救えたかもしれないのに」


老エルフが首を振る。


「そんなことは――」

「あるのよ!」


ルシェラが、初めて感情を露わにして叫んだ。

広場がびくりと揺れる。

ルシェラは、歯を食いしばる。


「私は……何度もそう思った!」

「どうしてもっと早く動けなかったのかって、どうして全部守れなかったのかって、ずっと……ずっと思ってきた!」


目から涙が落ちる。


「だから、あの日街が滅びたことを……私は、今でも許してない」

「自分を、許してない……!」


広場に、重い沈黙が落ちた。


それは“悪魔の告白”ではなかった。

守れなかった者の懺悔だった。


その声は、聞く者の胸を刺すほどに人間的で、痛ましかった。

老エルフは、もう一度だけ深く頭を下げた。


「それでも……あなたは守ろうとした」

「それだけは、消してはいけない」


ルシェラの唇が震える。


返す言葉が見つからない。

ただ、涙が落ちる。


その時、民衆の中から一人の女が前へ出た。


まだ若い母親だった。

腕の中には、小さな子どもを抱いている。


彼女は怯えた顔のまま、しかし確かな足取りでルシェラへ近づいた。


「……私」


声は小さい。


「ずっと怖かった」


正直な言葉だった。


「今も、全部は分からない」

「でも……」


彼女は腕の中の子を見た。


「もし、あなたが本当に三百年前に誰かを守ろうとしていたなら……」


目に涙を浮かべながら言う。


「私たちは、あなたを“悪魔”と呼んじゃいけなかった」


そして、震える声で頭を下げた。


「……ごめんなさい」


その背中を見ていた別の男が、一歩前に出る。

さらに、老いた夫婦が出る。

兵の一人が、槍を下ろして進み出る。


最初は一人。

次に二人。

やがて、その輪は少しずつ広がっていく。


「……すまなかった」

「ごめんなさい」

「ありがとう」

「守ろうとしてくれていたのか……ありがとう」


感謝と謝罪が、あちこちから零れ始める。


全員ではない。

まだ俯いている者もいる。

怯えた目を残す者もいる。


それでも確かに、“視線”が変わり始めていた。


断罪の目から、揺らぎの目へ。

揺らぎから、理解しようとする目へ。


ルシェラは、その変化に戸惑っていた。


こんな目で見られたことがない。


恐怖でも、憎悪でもなく。

“あなたを知ろうとしている”目。


どう受け止めればいいか分からない。


ただ、胸が苦しかった。


その時、処刑台の近くにいた少女が、母の手を離して前へ出た。


「おねえちゃん」


小さな声。

ルシェラが振り向く。

少女は笑っていた。


「ありがとう」


たったそれだけ。


けれどその言葉は、誰の謝罪よりも真っ直ぐにルシェラへ届いた。

ルシェラの肩が、小さく震える。


「……なんで」


掠れた声。


「なんで、そんなふうに言えるのよ……」


少女は首を傾げる。


「だって、おねえちゃん、守ってくれたんでしょ?」


その無垢な一言に、ルシェラは何も言えなくなった。

今まで何百年も、誰かを守った記憶より、守れなかった記憶ばかりを抱えていた。


ルシェラの目から、また涙が零れる。

それを見たリリィも、また泣きそうになる。


族長エルディアは広場全体を見渡し、静かに言った。


「この王国は、これから恐怖の後を生きねばならぬ」

「だが、その最初の一歩は……今ここからだ」


誰も反論しなかった。


民衆の中にはまだ迷いがある。

だが、もはや誰も処刑を望む声は上げない。


意識を戻した迅は、その光景を見ていた。


視界がまだ少し揺れている。

全身が重い。


だが、その瞳には確かな安堵があった。


(……よかった)


ルシェラは、まだ全部を受け止めきれていない。

それでも、ほんの少しだけ“居場所”に触れた。


それが分かるだけで十分だった。


処刑されるはずだった場所で、謝罪と感謝が交わされる。

それは奇跡のようで、でも本当は誰かが命を賭けて繋いだ必然だった。


風が吹く。

神樹の葉がやさしく揺れ、光が降る。

銀髪は、もうただの“厄災の象徴”ではなかった。


まだ恐れられている。

まだ完全には受け入れられていない。

だが、それでも。


ルシェラを見る民の目には、確かに新しい色が宿り始めていた。


恐怖だけではない。

謝罪だけでもない。


“この子は、本当は何者なのだろう”という、知ろうとする眼差し。


その変化こそが、エルフ王国にとって最初の救いだった。


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