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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第3章『エルフ王国編』

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『死にたい悪魔』


広場には、まだ謝罪の余韻が残っていた。


神樹の葉が風に揺れ、淡い光が処刑台へ降り注いでいる。

処刑は中止された。

族長は頭を下げた。

三百年の誤解は、ようやく言葉にされた。


それなのに――誰も安堵していなかった。


民衆はまだ揺れている。

恐怖が消えたわけではない。

受け入れきれない者もいれば、泣きながら俯く者もいる。

怒りのやり場を失って立ち尽くす者もいた。


そして、その中心にいるルシェラは。


何も言えずに立っていた。


鎖は外された。

だが、肩や手首に残る傷は癒えてない。

泥と血に汚れた衣服も、そのままだ。

銀髪は風に揺れるたびに、乾いた血の跡を覗かせる。


頭を下げられた。

謝罪された。

処刑は止まった。


それでも彼女の表情は、救われた者の顔ではなかった。


迅は、その横顔を見ていた。


言葉をかけられない。

何を言っても軽くなる気がした。

ここまで傷ついた心に、今すぐ届く言葉など自分は持っていないと分かっていた。


だからただ、そばに立つ。


戦いの熱が引いた今、全身が鉛のように重い。

腕も肩も傷だらけで、呼吸のたびに肋が軋む。


それでも、ルシェラのほうが苦しいことくらい分かっていた。


族長が一歩下がる。

精鋭部隊も、誰も処刑台へ近づかない。

広場全体が、「次に何が起こるのか」を見守っていた。


その沈黙を破ったのは、ルシェラだった。


小さな声だった。


けれど、不思議なほど広場に響いた。


「……私は」


風が止まる。


「私は、死んだ方がいい」


ざわめきが走った。


リリィが顔を上げる。

迅の表情がわずかに固まる。

族長も目を細めた。


ルシェラは俯いたまま、続ける。


「謝られたって……何も変わらない」

「私が生きている限り、また誰かが傷つく」

「三百年前もそうだった。今もそう」

「私がいるから、街が燃える。戦いが起きる」

「私がいるから……誰かが守ろうとして、傷つく」


その声は震えていない。

泣いているわけでもない。


あまりにも、静かだった。

静かすぎて、それが本気なのだと分かってしまう声だった。


「だから……私は」


ルシェラは、自分の胸元を握る。


「消えた方がいい」


その一言が、迅の胸を深く抉った。

リリィが、強く唇を噛み、静かに処刑台に向かって歩き出す。


ルシェラは続けた。


「今だってそうよ」

「私のせいで、迅が傷ついた」

「みんなが傷ついた」

「結局、何も変わってない」

「私は……」


そこで、ようやく声が揺れた。


「私は、いてはいけないのよ……!」


叫びではない。

押し殺し続けたものが、ひび割れたような音だった。


次の瞬間。


パァン――ッ!!


乾いた音が、広場に響いた。

ルシェラの顔が横へ弾かれる。

頬に、赤い跡が浮かぶ。


叩いたのは、リリィだった。

広場が凍りつく。


リリィの肩が震えている。

涙でぐしゃぐしゃの顔。

それでも彼女は、真正面からルシェラを睨んでいた。


「ふざけないで……!」


声が震える。

怒りと、悲しみと、悔しさで。


「死んだ方がいいとか、勝手に決めないでよ……!」


ルシェラが頬を押さえ、目を見開く。


「……あなた」

「うるさい!!」


リリィが泣き叫ぶ。


「迅がどれだけ心配して、どれだけ探して、どれだけ傷ついてここまで来たと思ってるの!?」

「置いていかれて、何も分からないまま、必死で追いかけて……!」

「それなのに、助けた相手が“死んだ方がいい”なんて言ったら、どう思うの!?」


リリィの言葉は、刃みたいに真っ直ぐだった。


飾らない。

優しく包まない。

ただ、ぶつける。


「私だって怖かった!」

「悪魔って聞いて、ちょっと怖かったよ!

でも、そんなの関係ないって思った!」

「だって迅が助けたかった相手なんだもん!」

「なのに、あなたは何!?

自分だけで全部決めて、自分だけで終わろうとして!」


リリィの涙がぽろぽろ落ちる。


「そんなの、ずるいよ……!」


ルシェラの瞳が揺れる。

怒りか、悲しみか、自分でも分からない色だった。


「……分かったようなこと言わないで」


掠れた声。

リリィが息を呑む。

ルシェラは顔を上げる。


赤の瞳が、初めて剥き出しの感情を宿した。


「あなたに何が分かるのよ」


その声は、細い。

けれど、その奥に溜め込まれていたものは重い。


「失う怖さを知らないくせに!!」


その叫びに、広場の空気が震える。


「守るって言った人が死ぬのを見たことある!?」

「目の前で、自分のために誰かがいなくなるのを知ってる!?」

「何も残らないのよ!

謝っても、泣いても、戻ってこないの!」


ルシェラの声が、崩れ始める。


「セリウスは……!」


その名が落ちた瞬間、迅の胸が大きく打った。

ルシェラは止まれなかった。


「セリウスは、私を守って死んだのよ!!」


広場にいる誰もが、その痛みの深さを理解できなかった。

だが、理解できないままでも、どれほど重い傷かは分かった。


ルシェラの肩が震える。


「生きろって言った!」

「私を置いて、勝手に……勝手にいなくなった……!」

「私は、またあんなふうに誰かを失うくらいなら……」


声が割れる。


「最初からひとりの方がいいのよ!!」


リリィも泣きながら叫び返す。


「それで迅を置いていったの!?」

「傷つく前に、自分から切ったの!?」

「それが優しさのつもり!?」


ルシェラの感情が、そこで爆発した。


「優しさじゃない!!」

「怖かったのよ!!」


涙が零れる。

今まで耐えていたものが、堰を切ったように溢れる。


「怖かった!!

迅が、セリウスと同じみたいに……!」

「また私のために傷ついて、また私のせいで……いなくなるんじゃないかって!!」

「聖王国で見たのよ!

怒って、傷ついて、血を流して……!」

「このまま一緒にいたら、絶対にダメだって思った!」

「だから消えたのに……!」

「なのに……なんで追ってくるのよ……!」


最後の言葉は、怒鳴りではなく悲鳴だった。


リリィの目が揺れる。


そこにあるのは拒絶じゃない。

嫌悪でもない。


恐怖だった。

ルシェラは、迅を嫌っていたわけではない。


むしろ逆だ。

大事になってしまったから、怖くなった。


失いたくないから、遠ざけた。

そのことが、ようやく剥き出しになった。


迅は、その場で立ち尽くした。

胸の奥で、何かが静かに崩れる。

今までずっと分からなかった。


なぜルシェラが消えたのか。

なぜ何も言わなかったのか。


答えは単純で、残酷だった。

嫌われていたんじゃない。

怖かっただけだ。


自分を失う未来が、怖くてたまらなかった。

その事実が、迅の胸を締めつける。


リリィは涙を拭いもせず、ルシェラへ一歩近づく。


「……それでも!」


声はまだ震えていた。


「それでも、勝手に決めるな!!」

「怖いなら言えばよかったじゃん!」

「ひとりで抱えないでよ!」


ルシェラも前へ出る。


「言えるわけないでしょ!!」

「そんなの、弱いだけじゃない!」

「弱くたっていいじゃん!!」

「よくない!!」


二人の額がぶつかりそうな距離まで近づく。


怒鳴り合い。

泣きながら。

もう理屈ではない。


感情と感情の殴り合いだった。


リリィがルシェラの肩を押す。

ルシェラも押し返す。


「馬鹿!!」

「あなたの方が馬鹿よ!!」

「死んだ方がいいとか言うな!!」

「うるさい!!」


ルシェラの拳がリリィの肩に当たる。

リリィも遠慮なく押し返す。


本当に子どもの喧嘩みたいだった。

だがそこには、偽りが何もない。


リリィは、自分の想いをぶつけている。

ルシェラは、今まで閉じ込めていた恐怖をぶつけている。


それを見て、迅はようやく分かった。


ルシェラはずっと、あの日から止まったままだったのだ。


三百年前。

セリウスを失ったあの日から。


愛情は、死の予兆になった。

温かさは、奪われる前触れになった。

だから、信じたくない。

だから、突き放す。

だから、先に消える。


全部、怖かったからだ。

その時だった。


迅の視界が、ぐらりと揺れた。


(……あれ)


遅れて、痛みが押し寄せてくる。


怒りに飲まれかけた反動。

精鋭部隊との乱戦。

族長との激突。


無理やり立っていただけの身体が、限界を迎える。

膝が折れる。


「迅!?」


リリィが振り向く。


ルシェラの顔色が変わる。

迅は何か言おうとしたが、声にならなかった。


視界が傾く。


そのまま倒れかけた身体を、誰かが受け止めた。


細い腕。

震える体温。


ルシェラだった。


「……じん」


その声は、壊れそうだった。


迅の頭が、ルシェラの胸元へ落ちる。

ルシェラは必死に抱きとめる。


「嘘……」

「ちょっと……嘘でしょ……!」


ルシェラの声が震える。


「起きて……」


返事はない。


迅の呼吸はある。

だが浅い。

意識は落ちている。


「迅!!」


ルシェラが叫ぶ。


その声には、さっきまでの怒りも、拒絶もない。

ただ、純粋な恐怖だけがあった。


「やだ……」


涙が落ちる。


「やだ……やだ、お願い……!」

「起きてよ……!」

「こんなの……こんなの嫌……!」


ルシェラは、迅を抱きしめる腕に力を込めた。

まるで、離したら本当にいなくなってしまうかのように。


「お願いだから……!」

「置いていかないで……!」


その言葉に、広場の誰もが息を止めた。


リリィは、その光景を見つめていた。


胸が痛い。

苦しい。


自分も迅が好きだ。

たぶん、ずっと前から。


だから、本当は今すぐ迅に駆け寄りたい。

自分が抱き起こしたい。

泣きたい。

縋りたい。


でも、できない。


今、迅を抱いて泣いているのはルシェラだ。

その姿を見れば、もう分かってしまう。


この二人のあいだには、自分が知らない痛みと、積み重なったものがある。


リリィは涙を拭った。

そして、泣きながらも笑った。


「……ほんと、馬鹿だなぁ」


その笑顔は、切なかった。


悔しい。

苦しい。

でも、嫌いにはなれない。


ルシェラは泣きながら、迅の頬に触れる。


「ごめん……」

「ごめんなさい……」

「だから起きて……」


その謝罪は、三百年前に言えなかったものの続きみたいだった。


セリウスに向けたまま終わっていた痛み。

守ろうとして傷つけてしまう恐怖。

誰かがいなくなる未来への絶望。


その全部を抱えたまま、ルシェラは今、迅を抱きしめて泣いている。


風が吹く。

神樹の葉が、静かに揺れる。

広場にいた民衆は、もう誰も罵声を上げなかった。


ただ、その光景を見ていた。


悪魔と呼ばれた少女が、

ひとりの少年を失うことを、あれほどまでに恐れて泣いている。


その姿は、もう“災厄”には見えなかった。

ただの、ひどく傷ついた少女だった。


そしてその中心で――

ルシェラは、ようやく自分の本当の恐怖を声にしていた。


誰かを嫌ったからではない。


失いたくなかったから。

大切になってしまったから。

だから、怖かった。


その真実が、涙と一緒に広場へ落ちていく。

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