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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第3章『エルフ王国編』

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『謝罪』


広場には、まだ誰も息をすることを忘れたような静寂が残っていた。


老エルフの告白が終わっても、すぐに何かが変わるわけではない。

三百年分の恐怖は、たった一言で消えるほど軽くはない。


民衆はざわめいていた。

怒り、困惑、涙、否定。

どの感情も中途半端なまま、ただ行き場を失って揺れている。


「そんな……」

「でも、記録は……」

「じゃあ、あの悪魔は……」

「本当に……守ろうと……?」


誰も結論を出せない。


処刑台の上、ルシェラは鎖に繋がれたまま立っていた。

血と泥に塗れた銀髪が風に揺れる。

顔は俯いたまま。

表情は見えない。


迅は黒剣を下ろしたまま、処刑台を見上げていた。

全身が痛む。

決闘で削られた体力は、もう底に近い。


それでも、まだ倒れない。


今、倒れるわけにはいかなかった。


族長エルディア=ヴァル=アシュレインは、老エルフの前に立ったまま動かなかった。


神樹の幻影はすでに消えている。

剣は下がり、精霊たちの唸りも収まっていた。


だが、その沈黙の重さは、戦闘の時よりもはるかに大きかった。


族長は、ゆっくりと目を閉じた。


三百年前の記録。

銀髪の悪魔という言葉。

燃えた街。

守れなかった民。

そして今、老エルフの口から語られた真実。


それらが一つ一つ、胸の内側で噛み合っていく。


“銀髪の悪魔”とは呼ばれていた。

だが、“銀髪の悪魔の少女”とまでは記されていなかった。

最上位の悪魔の中に、銀髪の個体が存在することも、自分は知っていた。

そして何より――


黒剣の騎士が、その銀髪の少女の存在を守るように戦っていた。


それは、あまりにも不自然だった。


もし本当に、目の前の少女が街を滅ぼした“大厄災の悪魔”そのものなら。

なぜ調停者が守る。

なぜ老エルフは命を賭してまで間に入る。

なぜ少女は“ごめんなさい”と謝る。


考えれば考えるほど、自分が「見ないこと」を選んできたのだと分かる。


族長は、ゆっくりと目を開けた。


そして処刑台の上のルシェラを見た。


小さかった。


あまりにも。


三百年の憎悪を受け止めるには、あまりに細く、あまりに傷だらけで、あまりに――ひとりだった。


その姿を見た瞬間、族長の胸に刺さるものがあった。


これは“災厄”ではない。

少なくとも、今のこの少女に向けるべき眼差しではない。


族長は、処刑台へ向かって歩き出した。


精鋭部隊がざわめく。


「族長……?」


民衆もまた、道を開く。


誰も声を出せない。


族長が処刑台の下へ立つ。

護衛兵たちは戸惑いながらも、道を空けるしかなかった。


ルシェラは、顔を上げなかった。


見られたくなかったのか。

見たくなかったのか。

それとも、もう何を言われても心が動かないのか。


族長はその前で止まり、低い声で告げた。


「拘束を解け」


兵たちが凍りつく。


「……しかし、族長」

「命令だ」


一言で、兵たちは膝を折るように動いた。


術式が解除される。

鎖が外れる。

重たい鉄の音が処刑台に響く。


ルシェラの身体がわずかに揺れた。

長時間の拘束で、立っているだけでも限界に近い。


それでも、彼女は倒れない。


族長は、数歩だけ下がった。


そして――


深く、頭を下げた。


広場全体が、息を止めた。


エルフ王国の長。

神樹の意志を背負う者。

その族長が、たった一人の悪魔族に向かって頭を下げている。


それは、王国そのものが頭を下げるに等しい光景だった。


族長の声が、広場に響く。


「ルシェラ」


初めて、名前で呼んだ。


「エルフ王国を代表し……謝罪する」


その言葉は重かった。


飾りではない。

儀式でもない。

誤魔化しでもない。


長として、背負う者の謝罪。


「我らは三百年、恐怖に囚われた」


「記録を疑わず、噂を疑わず、真実を見ようとしなかった」


「そして今、お前に裁きを下そうとした」


「……それは、我らの過ちだ」


ルシェラの指先が、ほんのわずかに震える。


だが彼女は何も言えない。


俯いたまま、唇をきつく噛んでいる。


族長は続ける。


「謝罪で消える痛みではないと分かっている」


「だが、それでも言わねばならぬ」


「すまなかった」


沈黙。


風が、銀髪を揺らす。


民衆の中から、すすり泣くような声が漏れる。

誰かが泣いているのかもしれない。

誰かが怒りに震えているのかもしれない。

誰かが、まだ受け入れられずにいるのかもしれない。


それでも、処刑は止まった。


それだけは、確かだった。


リリィは、口元を押さえていた。

涙が止まらない。


ガルドは目を閉じ、長く息を吐く。

ルーナも、張り詰めていた肩の力を僅かに抜いた。

ヴァロスは何も言わない。だが、その目は穏やかだった。


迅は、処刑台を見つめ続けていた。


ルシェラはまだ何も言わない。

謝罪を受け入れたわけでもない。

許したわけでもない。


ただ、立ち尽くしている。


その背中は、小さく見えた。


迅の胸が痛む。


ここまで来て、ようやく処刑を止めた。

だがそれは、ルシェラが受けた痛みを帳消しにするものではない。


三百年、恐れられ、憎まれ、否定されてきたものが、頭を下げられたからといって消えるわけがない。


族長はゆっくりと顔を上げ、民衆へ向き直った。


「処刑は中止する」


その言葉に、広場は再びざわめく。


「そんな……」

「でも、まだ……」

「怖い……」

「本当に、信じていいのか……」


そうだ。


恐怖は、謝罪だけでは消えない。


民衆の目にはまだ怯えがある。

ルシェラを見つめる目は揺れたままだ。


完全な和解など、まだどこにもない。


だが、族長はその揺れごと受け止めるように言った。


「恐れることを、咎めはしない」


「だが、恐怖のまま裁くことは……もう許さん」


その言葉は、民衆への命令ではなく、誓いだった。


長として、自らへ課す誓い。


ルシェラはそこで初めて、ほんの少しだけ顔を上げた。


目は赤く、頬は汚れたまま。

その瞳の奥にあるものは、怒りでも憎しみでもなかった。


迅は、処刑台の階段へ向かって歩き出す。


リリィが声をかける。


「迅……」


だが迅は振り向かない。


処刑台の前で止まる。


ルシェラは視線を合わせない。


迅は何も言わなかった。


慰めの言葉も。

優しい言葉も。

今はまだ、薄すぎると思ったから。


ただ、黒剣を完全に下ろしたまま、彼女の前に立つ。


それだけで十分だった。


“もう戦わなくていい”と、そう示すように。


ルシェラの唇が、かすかに震える。


何か言おうとして、言えない。

飲み込んで、また俯く。


族長はその光景を見つめ、静かに目を伏せた。


謝罪はした。

処刑も止めた。

だが、それで終わりではない。


ここから先、王国は“恐怖の後”を生きなければならない。

民も、自分も。


そしてルシェラもまた――

“助かった後”を生きなければならない。


その重みを、誰もまだ言葉にできなかった。


広場に風が吹く。


神樹の葉が揺れ、柔らかな光が落ちる。


まるで何事もなかったかのような、美しい昼の光。

だが、その下にいる全員が悟っていた。


ここでようやく、一つの歴史が終わったのだと。

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