『真実の告白』
「やめておくれ――!」
掠れた叫びが、広場を横切った。
迅とエルディアの剣が、ぶつかる寸前で止まる。
「……?」
エルディアが声のした方へ顔を向けた。
民衆も兵士たちも、一斉に広場の入口を見る。
そこに、一人の老エルフが立っていた。
肩で息をし、髪は乱れ、足も小さく震えている。
それでも、その目だけは真っ直ぐエルディアを見ていた。
「あなたは……」
迅が息を呑む。
森の家で、三百年前の出来事を語ってくれた老エルフだった。
彼女はゆっくりと広場の中央へ向かって歩き出す。
一人の兵士が止めようとしたが、エルディアが静かに命じた。
「通せ」
兵士たちが左右へ分かれる。
老エルフは迅とエルディアの近くまで来ると、処刑台を見上げた。
「…………」
ルシェラと目が合う。
赤い瞳。
銀白色の髪。
三百年前に見た時よりも、ずっと疲れた顔をしている。
それでも、見間違えるはずはなかった。
「……やっぱり、あなたなのね」
老エルフの目に涙が浮かぶ。
ルシェラの眉が僅かに動いた。
「覚えていなくていいの」
老エルフは静かに首を横へ振る。
「でも私は、あなたを忘れたことなんて一日もなかった」
民衆の間にざわめきが広がった。
エルディアが老エルフを見つめる。
「何を知っている」
老エルフは今度こそ目を逸らさず、族長と向き合った。
「私は、三百年前に滅びた街の生き残りです」
広場の空気が変わった。
「三百年前……?」
「生き残りだって?」
民衆の声が重なる。
「私は、あの夜をこの目で見ました」
老エルフはゆっくりと話し始めた。
燃える街。
逃げ惑う人々。
空を覆うほどの強大な魔力。
「確かに、あの夜には銀髪の悪魔がいました」
その一言に、群衆が大きくざわめく。
だが、老エルフはすぐに続けた。
「でも、今ここにいるこの娘ではありません」
「……何?」
エルディアの目が鋭くなる。
「銀髪の悪魔は、一人ではなかったんです」
老エルフは、はっきりと言い切った。
「街を焼いていた者と、この少女は別の存在でした」
「そんな……」
「どういうことだ?」
「銀髪の者が二人いたのか?」
ざわめきが一気に広がる。
「静まれ!」
エルディアの声が響き、広場が再び静かになった。
先ほどまでの落ち着いた表情から、僅かに余裕が消えている。
「詳しく話せ」
「あの日、私たちの街はすでに襲われていました」
老エルフは目を閉じ、三百年前の光景を思い返す。
「空を焼く炎と、家々を壊すほどの魔力。私たちは、銀髪の悪魔に襲われたと思っていました」
声を震わせながら続ける。
「実際に、街を攻撃していた者は銀白色の髪を持っていました」
「ならば――」
セイルが口を挟む。
「最後まで聞きなさい」
老エルフが初めて強い目で睨むと、セイルは言葉を止めた。
「その後、別の者たちが現れました」
彼女の視線が迅の黒剣へ向く。
「黒い鎧を着た男。その剣と同じ黒い剣を持った騎士です」
「…………」
迅の胸が僅かにざわついた。
セリウス。
そして老エルフの視線が、今度はルシェラへ向けられる。
「その騎士を追うように、もう一人の銀白色の髪をした少女が現れました」
エルディアの瞳が揺れた。
「……二人目の銀髪」
「はい」
「その少女が、ルシェラだと?」
「間違いありません」
老エルフの声に迷いはなかった。
「私はあの子の顔を見ました。私を抱いてくれた腕も、その声も、今でも覚えています」
「…………」
ルシェラが僅かに目を見開く。
「黒い騎士は街を襲っていた者と戦いました。そして、この少女も私たちを襲ったのではありません」
老エルフの頬を涙が伝った。
「守ろうとしていたんです」
再び民衆がざわつく。
「そんなはず……」
「記録では……」
「でも、本当に生き残りなら……」
老エルフはその声を遮るように、強く叫んだ。
「私は見たんです!」
広場が静まり返る。
「炎の中で、この娘は逃げ遅れた私の前に立った。そして、私を抱き寄せて、自分の身体で守ってくれた」
胸元へ腕を抱くようにしながら、老エルフはルシェラを見る。
「そして、あなたは言った」
「…………」
ルシェラの表情が僅かに強張った。
「『ごめんなさい』と」
老エルフの涙が止まらなくなる。
「どうして、あなたが謝るのです」
声が震えた。
「あなたは私を守ってくれたのに……!」
「…………」
ルシェラは目を伏せた。
何も答えられない。
老エルフは今度は民衆の方へ向き直った。
「私はあの日、違うと伝えました。銀髪の少女は私を助けてくれた。街を襲った者とは別人だと」
拳を強く握る。
「でも……誰も聞いてくれなかった」
「…………」
そこで老エルフは、自分の言葉を否定するように首を振った。
「いいえ。違います」
唇を噛む。
「聞いてくれなかったんじゃない。私が最後まで言い続けなかったんです」
広場からざわめきが消えた。
「皆が怖がっていた。家族を失い、怒り、悲しんでいた。その中で私一人だけが『違う』と言い続けることが……怖くなった」
老エルフは一度俯く。
「だから私は黙りました」
そして再び顔を上げた。
「そのまま三百年が過ぎた」
「…………」
「私が黙ったことで、この娘はずっと悪魔として語られてきた」
誰もすぐには言葉を出せなかった。
◇ ◇ ◇
エルディアは何も言わず、老エルフを見ていた。
しばらくして、低い声で問いかける。
「……確認する。街を襲った銀髪の者と、ルシェラは別なのだな」
「はい」
老エルフは即答した。
「黒剣の騎士は?」
「街を守るために戦っていました」
「ルシェラも?」
「はい」
老エルフは涙を拭わないまま答える。
「少なくとも、私が見たあの子は私たちの敵ではありませんでした」
「…………」
エルディアの剣先が僅かに下がる。
迅は何も言わなかった。
今は、自分が言葉を重ねるべき時ではない。
エルディアは長い間沈黙していた。
「……銀髪の悪魔」
小さく呟く。
王国に残された記録に、その言葉は確かにあった。
だが、すべての記録にルシェラの名が明確に残されているわけではない。
黒剣を持った騎士が、なぜ災厄の場にいたのか。
そして、なぜ銀髪の少女と行動していたのか。
そこまで深く確かめようとはしてこなかった。
「私は……知ろうとしなかったのか」
「族長」
セイルが顔を上げる。
「黙っていろ」
エルディアの声に怒りはなかった。
それは、自分自身へ向けられた言葉だった。
「記録があり、民が恐れていた。三百年前に街が滅んだことも事実だった」
エルディアは処刑台のルシェラを見る。
「だから、それ以上を調べなくてもいいと思った」
「…………」
「いや」
自ら否定するように首を振る。
「そう思いたかったのだろう」
迅の目が僅かに動いた。
「その方が、迷わずに済むからだ」
国を守る。
民を守る。
危険とされる存在を排除する。
そう決めてしまえば、迷う必要はない。
「……恐怖に、私も寄りかかっていたのか」
エルディアはそう呟くと、翠の剣を完全に下ろした。
「処刑を中止する」
広場に大きなどよめきが走った。
「族長!?」
セイルが立ち上がる。
「しかし――」
「このまま続けることはできない」
エルディアの声には、再び族長としての強さが戻っていた。
「我らが信じていた前提そのものに、誤りがある可能性が出た」
「ならば……」
「まず調べる」
エルディアはセイルを見る。
「それが本来、先にすべきことだった」
「…………」
処刑台の上で、ルシェラは信じられないような顔をしていた。
迅もゆっくりと黒剣を下ろす。
三百年間動かなかったものが、ようやく僅かに動き始めた。
一人の老エルフが、今度こそ恐怖に負けず、自分の見たものを語ったことで。
そしてエルディアもまた、その言葉を聞き、自分たちの歴史をもう一度確かめることを選んだ。




