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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第3章『エルフ王国編』

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『老エルフの覚悟』

 大樹宮の奥から轟音が響き、遠く離れた回廊の床まで小さく震えた。


「……まだ戦っている」


 老エルフは足を止め、荒い呼吸を整えようとした。


「お祖母様、大丈夫?」


 隣にいたミュリエが、すぐにその身体を支える。


「ああ……大丈夫だよ」


 そう答えたものの、年老いた身体には大樹宮までの道のりだけでも十分に堪えていた。足は震え、呼吸をするたびに胸が苦しい。


「少し休もう。ここまで来たんだから、ほんの少しくらい――」

「いや」


 老エルフは静かに首を振った。


「今は止まれないよ」


 迅たちが家を出てから、胸の中ではずっと同じ言葉が繰り返されている。


(また黙るのか)


 三百年前と同じように、今度も誰かが真実を語ってくれるのを待つのか。

 その問いに、もう目を背けることはできなかった。


◇ ◇ ◇


 老エルフの記憶に最も強く残っているのは、炎だった。


 空を染める赤。

 崩れていく家々。

 泣き叫びながら逃げる人々。


 逃げ遅れた自分も、あの時はもう助からないと思っていた。


 そんな炎の向こうから、一人の男が現れた。

 黒い剣を持った騎士。

 男は逃げるのではなく、自分たちを襲う災厄へ向かっていった。


 そして、もう一人。

 銀白色の髪をした少女――ルシェラ。


 初めてその姿を見た時は恐ろしかった。噂に聞いていた銀髪の悪魔だと思い、逃げなければとさえ思った。


 だが、少女は逃げ惑う人々を追わなかった。

 誰かを襲うこともしなかった。


 泣き出しそうな顔で炎の中へ飛び込み、見ず知らずのエルフたちを必死に守ろうとしていた。


 そして最後には、自分まで。


『……ごめんなさい』

「…………」


 老エルフの足が止まる。


「お祖母様?」


 ミュリエが心配そうに顔を覗き込んだ。

 三百年経った今も、あの声だけは消えていない。


「謝るのは……私の方だった」

「……え?」


 ミュリエには聞こえるかどうかという小さな声だった。


 あの少女は自分を助けてくれた。

 それなのに、自分は何も返さなかった。


 意識を取り戻した時、街はすでに崩れ、多くの者が命を失っていた。

 誰もが泣き、怒り、何かを憎まずにはいられなかった。


 そして、誰かが言った。


『銀髪の悪魔がやった』


 違う。


 自分はそう言った。

 一度ではない。

 何度か、本当に否定したのだ。


 だが、そのたびに返ってきた。


『お前は混乱していたんだ』

『あの場には銀髪の悪魔がいたんだろう?』

『なら、そいつが災厄だ』


 周囲の誰もが同じことを信じていた。


 その中で自分一人だけが「違う」と言い続けることが、少しずつ怖くなった。

 家族を失った者たちを前に、自分の記憶だけが正しいと言い張ることもできなくなった。


 そして、いつしか口を閉ざした。


「……私は、怖かっただけだ」


 証拠がなかったからではない。

 誰かに言い負かされたからでもない。

 ただ、一人になることが怖かった。


 その結果、三百年が過ぎた。


 噂は歴史となり、歴史はいつしか誰も疑わない常識へ変わった。


 銀髪の悪魔。

 大厄災。


 何が本当に起きたのかを確かめようとする者さえ、ほとんどいなくなった。


 そして今、その少女が再び殺されようとしている。


「……もう嫌だ」


 老エルフが再び歩き出す。

 ミュリエは何も言わず、その腕を支えた。


◇ ◇ ◇


 大樹宮の奥から、再び大きな衝撃音が響いた。

 剣と剣が激しくぶつかったような音だった。


(あの若者が……)


 迅。


 三百年前の黒い騎士と同じ剣を持つ青年。

 あの時と同じように、今もまたルシェラの前に立っている。


「守る者ばかりが……傷つく」

「お祖母様……」

「私が黙ったからだよ」


 その思いが胸へ突き刺さる。

 老エルフは足を速めようとした。


「無理しないで!」


 身体がよろめき、ミュリエが慌てて支える。


「大丈夫。まだ歩ける」

「でも……」

「頼むよ、ミュリエ。もう少しだけ力を貸しておくれ」

「……分かった」


 ミュリエは老エルフの腕を自分の肩へ回し、再び歩き始めた。


 処刑を止めなければならない。

 族長へ伝えなければならない。

 そして、ここに集まった民にも。


 三百年前、銀髪の少女は災厄を起こした存在ではなく、自分たちを守ろうとしていたのだと。


 少なくとも自分は、その姿をこの目で見た。

 それなのに、三百年間も口を閉ざしてきた。


「今度こそ……」


 曲がり角を抜けると、その先に広場を覆う緑の光が見えた。


 神樹の力。

 族長エルディアのものだ。


「お祖母様……あれ」

「ああ」


 近づくほどに、怒号や剣戟、精霊の力が唸る音が鮮明になっていく。

 そして、その先に見えた。

 処刑台へ繋がれた、銀白色の髪。


「…………」


 三百年前と同じだった。

 あの日と変わらない少女が、まるで何もかも自分のせいだと言うような顔で立っている。


 老エルフの胸が締めつけられた。


「違う……」

「お祖母様?」

「違うんだよ……!」


 老エルフがミュリエの肩から腕を外した。


「ちょっと、何を――」

「ここからは自分で行く」

「無理よ!」

「無理でも行くんだ」


 老エルフは震える足で立った。


「三百年前、私はあの子のために声を上げ続けることができなかった。だから今度だけは……自分の足で前へ出たい」

「…………」


 ミュリエは何か言おうとしたが、老エルフの表情を見て口を閉じた。


「分かった。でも、私はここにいるから」

「ああ。ありがとう、ミュリエ」


 老エルフは一人で広場へ向かって歩き始めた。

 その先では、エルディアと迅が向き合っている。


 二人の周囲には強大な力が集まり、このままぶつかれば本人たちだけではなく、周囲まで無事では済まない。


「やめて……」


 最初は声にならなかった。


 老エルフは大きく息を吸う。

 三百年間、出し続けることのできなかった声。

 今度こそ、届かせなければならない。


 喉が裂けても構わない。


「やめておくれ――!」


 老エルフは広場へ踏み込んだ。

 恐怖が消えたわけではない。


 それでも今度は、その恐怖に黙らされるつもりはなかった。

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