『セイル、再び』
セイルが広場へ降り立つと、精鋭部隊が静かに道を開けた。
それだけで、この男が兵たちからどれほど信頼されているのかが分かる。
セイルは迅の前まで進み、剣を抜いた。
「話?」
その声音には、僅かな苛立ちが混じっていた。
「聖王国で十分聞いた。お前は悪魔を庇い、我らの任務を妨害した」
「だから今度は、別の話だ」
迅は黒剣を下げたまま答える。
「三百年前のことだ」
セイルの目が僅かに細くなり、周囲の民衆にもざわめきが走った。
「俺は、この国で三百年前の災厄を生き残ったエルフに会った」
「…………」
「その人はルシェラを見てる。黒い剣を持った男と一緒に、燃える街を守ろうとしていたところを」
処刑台の上で、ルシェラが驚いたように顔を上げる。
だが、セイルの表情は変わらなかった。
「一人の証言で、三百年の歴史を覆すつもりか」
「覆すなんて言ってない」
迅はすぐに否定した。
「もう一度、ちゃんと調べろって言ってる」
「必要ない。我らには失われた街と、多くの死者が残っている。それが事実だ」
「街が滅びたことは否定してない」
迅は一歩前へ出る。
「誰が滅ぼしたのかを、本当に確かめたのかって聞いてるんだ」
「……黙れ」
セイルの声が低くなる。
「銀髪の悪魔が現れ、その後に災厄が起きた。それだけで十分だ」
「十分じゃない」
迅は即答した。
「ルシェラがいたから災厄が起きたのか。それとも、災厄が起きた場所にルシェラがいただけなのか。そこすら確かめてないだろ」
広場が静まり返る。
「その違いを確かめないまま殺したら、もう二度と本人から話を聞くこともできない」
セイルの剣先が迅へ向けられた。
「ならば、悪魔の言葉を信じろと?」
「違う」
迅は首を横に振る。
「誰か一人の言葉を全部信じろって話じゃない。疑うなら、全部疑えばいい。伝承も、ルシェラも、俺が聞いた証言も」
そこで黒剣を構える。
「その上で確かめろ。それまでは殺すな」
セイルの瞳に、初めて明確な怒りが浮かんだ。
「その猶予の間に、再び民が死んだらどうする」
「…………」
「お前は、その責任を取れるのか?」
迅はすぐには答えなかった。
簡単に否定できる問いではない。
「全部を守れるなんて言わない
「なら――」
「だからって」
迅が言葉を遮る。
「何もしていない今のルシェラを、過去の伝承だけで殺していい理由にはならない」
「ならば――力で通してみろ!」
セイルが踏み込む。
白い光が弾けた次の瞬間には、すでに迅の目前まで迫っていた。
迅も即座に黒剣を上げる。
ガギィンッ!
二本の剣が激突し、重い金属音が広場へ響いた。
◇ ◇ ◇
最初の一撃を受けた瞬間、迅はセイルの速さを思い出した。
聖王国で戦った時と変わらない。
いや、あの時よりも動きが研ぎ澄まされている。
斬撃と同時に光の矢が生まれ、剣を受ければ死角から矢が飛び、矢を避ければ次の斬撃が迫る。
「迅!」
リリィが杖を上げた。
「来なくていい!」
「でも!」
「こいつは俺が止める!」
リリィは悔しそうに足を止める。
その間にもセイルの剣が迅の頬を浅く裂いた。
「……っ」
「聖王国の時とは違うな」
セイルが言う。
「怒りに任せて向かってこない」
「あの時は俺が間違えた」
「認めるのか」
「ああ。だから、同じことはしない」
迅は斬撃を受け流し、そのまま一歩踏み込んだ。
肩から余計な力を抜き、相手の力を真正面から受けずに外へ流す。
ヴァロスから何度も叩き込まれた剣だった。
「――!」
セイルの刃が僅かに逸れる。
迅は空いた懐へ入り、黒剣の柄を胸へ叩き込んだ。
「ぐっ!」
セイルが数歩後退する。
だが、すぐに体勢を立て直した。
「侮るな!」
無数の光の矢が一斉に放たれる。
迅はすべてを弾こうとはしなかった。身体をずらして避け、必要な一本だけを斬り、もう一本を剣の腹で逸らしながら距離を詰める。
再び二人の剣がぶつかった。
「なぜだ!」
セイルが力を込める。
「なぜそこまで悪魔を信じる!」
「信じてるからじゃない!」
迅も黒剣を押し返した。
「俺は見たからだ!」
セイルの目が僅かに揺れる。
「人を守ったルシェラを見た。子供を庇ったところも、傷ついた人間を治したところも!」
迅の剣がセイルの斬撃を弾く。
「それが、俺の知ってる今のルシェラだ!」
「――っ!」
次の一撃で、セイルの剣が手を離れた。
金属音を立てながら、数歩先の石畳へ転がっていく。
迅の黒剣は、そのままセイルの喉元で止まっていた。
「…………」
広場が静まり返る。
「殺さないのか」
セイルが低く尋ねる。
「殺す理由がない」
「私はお前を二度も殺そうとした」
「それと、俺がお前を殺すかどうかは別だ」
「…………」
セイルの表情に、理解できないものを見るような色が浮かんだ。
迅は黒剣を下ろす。
「もう一度だけ言う。三百年前のことを調べろ」
セイルを真っ直ぐ見る。
「ルシェラが何をしたのか、本当に確かめてくれ」
しばらくの沈黙のあと、セイルが低く答えた。
「……無理だ」
「なぜ」
「もう、私だけの判断ではない」
迅の眉が僅かに動く。
セイルはゆっくりと立ち上がった。
「族長がお出になる」
その言葉に、周囲の兵たちが一斉に姿勢を正した。
「この処刑は、王国そのものが決めたことだ」
「…………」
「お前がそれでも止めると言うなら、次に向き合う相手は私ではない」
風が広場を抜け、神樹の葉が一斉に揺れた。
ルーナが上空へ顔を向ける。
「……何、この気配」
ヴァロスも静かに剣を握り直した。
迅は処刑台のさらに奥を見る。
そこから、一人の人物がゆっくりと近づいてきていた。
セイルが静かに告げる。
「エルフ王国族長――エルディア=ヴァル=アシュレイン」
その名と共に、大樹宮を包んでいた空気がゆっくりと変わり始めた。




