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レベル1の冒険者が世界の調停者になる  作者: pacifian
第3章『エルフ王国編』

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『公開処刑の知らせ』

 森は、昨夜までの雨が嘘だったかのように静かだった。


 雲の切れ間から差し込んだ朝日が、濡れた葉の上で淡く輝いている。鳥の声も戻り始め、一見すれば穏やかな朝だった。


 けれど、老エルフの家の中には、その景色とは正反対の重い空気が残っていた。


 三百年前の出来事を語り終えた老エルフは、しばらく炉の火を見つめたまま動かなかった。


 リリィの目はまだ赤い。ガルドは腕を組んだまま険しい顔をし、ルーナも先ほど聞いた話を整理するように考え込んでいる。ヴァロスは何も言わず、窓の外へ視線を向けていた。


 迅も椅子へ腰掛けたまま、膝の上に置いた黒剣を見つめていた。


 三百年前。

 街を守ろうとしたルシェラ。

 彼女と共に戦ったセリウス。


 それでも後世へ残ったのは、「銀髪の悪魔が街を滅ぼした」という話だけだった。


「…………」


 迅が何かを言おうとした、その時だった。


 ドン、ドン、と扉を強く叩く音が響いた。


 規則的で、遠慮のない叩き方だった。

 家の中にいた全員が一斉に扉を見る。


「……誰?」


 ミュリエが立ち上がって尋ねると、すぐに外から硬い声が返ってきた。


「エルフ王国巡察隊だ。開けてもらいたい」


 老エルフの目が細くなる。

 ミュリエは一瞬ためらったものの、そのまま扉へ向かった。


 扉を開けると、外には二人のエルフ兵が立っていた。緑と銀を基調とした装備を身につけ、手には整えられた槍を持っている。


 二人は家の中を確認すると、迅たちを見てすぐに眉を寄せた。


「……人間がいるな」


 その視線が、迅たちへ向けられる。

 ガルドが僅かに前へ出かけたが、迅が手を上げて制した。


「この方たちには助けてもらったんです」


 ミュリエが説明する。


「昨日、森で魔狼に襲われた私と息子を助けてくれました」

「恩義があることは理解する」


 兵士は感情を見せずに答えた。


「だが、今は非常時だ。外部の者を不用意に大樹宮へ近づけないよう、周辺の住民にも警告している」

「非常時?」


 ミュリエが尋ねる。

 兵士は淡々と告げた。


「本日、大樹宮で公開処刑が行われる」

「…………」


 部屋の空気が、一瞬で張り詰めた。

 リリィが息を呑む。


「……処刑?」

「対象は、昨日捕らえられた『銀髪の悪魔』だ」

「――っ」


 迅の表情が変わった。

 兵士はその反応に気づかないまま続ける。


「正午より、裁きの広場にて執行される。王国の民に秩序が戻ったことを示すための裁きだ」

「そんな……」


 リリィが椅子から立ち上がった。


「待ってよ! 何も確かめないまま殺すの!?」

「悪魔を生かしておけば、再び災厄が起きる」


 兵士の声に迷いはない。


「民は恐怖から解放されなければならない。そのために、悪魔は滅ぼされる」

「…………」


 迅がゆっくりと顔を上げた。


 それまで俯いていた黒い瞳が、兵士たちを捉える。

 声を荒らげたわけではない。

 黒剣を抜いたわけでもない。


 それでも、向けられた視線だけで兵士の一人が僅かに身体を強張らせた。


「……正午なんだな」

「あ、ああ」


 兵士は一瞬言葉を詰まらせたものの、すぐに表情を戻した。


「正午だ。これは王国が正式に決めた裁きだ」

「分かった」


 迅はそれ以上何も言わなかった。

 兵士たちは不審そうに迅を見る。


「外部の者が大樹宮へ近づけば拘束される。余計なことは考えず、この森から出ることだ」


 最後にそう警告し、二人は家を離れていった。

 扉が閉じる。

 遠ざかっていく足音が聞こえなくなっても、しばらく誰も口を開かなかった。


◇ ◇ ◇


「迅……」


 最初に声を出したのはリリィだった。

 迅は返事をせず、膝の上にあった黒剣を手に取った。

 その動きはゆっくりとしていたが、迷いはない。


「大樹宮は、この森の中心にある」


 老エルフが静かに言った。


「巨大な神樹を囲むように築かれた都市だ。その中心にある裁きの広場で、昔から王国にとって重大な罪を裁いてきた」

「ここからなら?」


 迅が尋ねる。


「急げば、まだ間に合う」

「…………」


 迅が頷く。


 ルーナも外の空を確認しながら口を開いた。


「処刑が正午なら、まだ時間はあります。公開処刑ということは、すぐに殺すのではなく、民衆を集める時間も必要なはずです」

「わざわざ人前でやる以上、見せることそのものに意味があるんだろうな」


 ヴァロスが続ける。


「自分たちが災厄を討ったと、民に示したいわけか」


 ガルドが苦々しそうに鼻を鳴らした。


「つまり、ルシェラを殺して『これで安全になった』って見せつける気か」

「おそらくは」


 ルーナが答える。


「…………」


 迅は黒剣の柄を握った。

 三百年前、恐怖の中で生まれた噂が事実として残った。


 そして今、その恐怖を終わらせるという名目で、同じ少女が再び裁かれようとしている。


 胸の奥に怒りが湧く。

 だが、迅はそれに任せて動こうとはしなかった。

 怒りだけで剣を振れば、また聖王国での自分に戻ってしまう。


 今やるべきなのは、誰かを憎むことではない。

 ルシェラを助けることだ。


「俺は行く」


 迅が静かに言った。


「もちろん私も行くよ」


 リリィは目元を拭い、杖を握った。


「ルシェラが三百年前に何をしたのか、私はまだ全部知らない。でも……何も確かめないまま殺されるのを見てるなんて絶対に嫌」


 ガルドも斧を背負い直す。


「俺も行く。ここまで来て、放っておけるかよ」


 ルーナも頷いた。


「私もです。恐怖だけを理由に結論を決めるなら、それは裁きとは呼べません」

「師匠は?」


 迅がヴァロスを見る。

 ヴァロスは腰の剣を確かめながら、小さく息を吐いた。


「ここで帰ると思うか?」

「……思いません」

「なら聞くな」


 迅の口元に、ほんの僅かに笑みが浮かんだ。


「ワウ!」


 フォルも迅の足元へ歩み寄る。

 迅はその白い頭へ軽く手を置いたあと、仲間たちを見回した。


「……全員で行こう」


 誰も迷わなかった。


◇ ◇ ◇


「私も行くよ」


 背後から聞こえた声に、迅たちが振り返る。

 老エルフだった。


「お祖母様!?」


 ミュリエが驚いて駆け寄る。


「何を言ってるの。大樹宮までどれだけあると思ってるの?」

「分かっているよ」

「だったら――」

「三百年前、私は黙った」


 その一言で、ミュリエの声が止まった。

 老エルフは杖へ手を伸ばし、ゆっくりと立ち上がる。


「何度話しても誰にも信じてもらえず、最後には怖くなって口を閉ざした。その結果、あの子は三百年もの間、『街を滅ぼした悪魔』として語られ続けた」


 老エルフの身体は老いている。

 それでも、その目に迷いはなかった。


「今度も黙っていれば、私はあの時と同じことを繰り返す」

「…………」

「だから行くよ。今度は私自身の口で、私が見たことを話す」


 迅はしばらく老エルフを見つめた。


「無理はしないでください」

「分かっているさ」


 老エルフは小さく笑った。


「三百年も背負ってきたんだ。これくらいで倒れてはいられない」


 だが、迅たちと同じ速度で森を走れる状態ではない。

 そのことは本人も理解しているらしく、老エルフは続けた。


「お前たちは先に行きなさい。処刑を止める方が先だ。私はミュリエと後から向かう」


「お祖母様、私も?」

「当たり前だろう。私一人で大樹宮まで歩けというのかい」

「もう……」


 ミュリエは困ったような顔をしたが、止めることはしなかった。

 迅は老エルフへ頷く。


「分かりました。先に行きます」

「ああ」


 老エルフは黒剣へ一度だけ目を向けた。


「あの子を……今度こそ一人にしないでやっておくれ」

「はい」


 迅は迷わず答えた。


◇ ◇ ◇


 家を出ると、朝の森には眩しいほどの光が差し込んでいた。

 雨に洗われた木々は美しく、濡れた葉からいくつもの雫が落ちている。

 そんな穏やかな景色の向こうから、低い鐘の音が響いてきた。


 ゴォン――。


 少し間を置き、もう一度。


 ゴォン――。


 リリィが森の奥を見る。


「……鐘?」

「大樹宮の方角です」


 ルーナが答えた。

 老エルフも家の入口からその音を聞いていた。


「裁きを知らせる鐘だよ」

「…………」


 迅は森の奥へ目を向けた。

 木々の遥か先。

 大樹宮がある方角だ。


「急ごう」


 その一言で全員が動いた。


 フォルが先頭へ飛び出し、迅がその後を追う。リリィ、ガルド、ルーナ、ヴァロスも一斉に駆け出した。


「待ってろ、ルシェラ」


 迅は走りながら、小さくその名を呼んだ。


 処刑が始まる前に追いつく。

 そして今度こそ、何も言わずに一人で消えた理由を本人の口から聞く。


 迅たちは速度を上げ、神樹の都――大樹宮へと続く森を駆け抜けていった。

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