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星空のアルカナ  作者: 綴り手のツヅ
愛された星空
8/10

あなたの傍から

 朝の空気は少しひんやりしていて、頬を撫でる風が心地いい。

 アルカナ家の庭では、木剣同士がぶつかる乾いた音が響いていた。


「そこ!」

「甘い!」


 振り下ろした木剣を父さんが軽く受け流す。

 そのまま足払いが飛んできて、俺は咄嗟に後ろへ跳んだ。


 地面を滑る。

 すぐさま風魔法で身体を加速。

 一気に距離を詰めて回転を加え、突きを放つ。


 だけど。


「焦りすぎだ」


 コン、と。

 木剣は蹴り上げられ、無防備になった俺の額が木剣で軽く叩かれた。


「いっ……!」

「はい終了」


 父さんは笑いながら木剣を肩に担ぐ。

 今更だけど、剣術も使えるのかよこの人。


 逆に父さんは何を持ち得ないんだ。

 ……なんか最近、父さん相手だと誰かの愚痴みたいになるな。


「前よりは良くなった。機転も利くようになった」

「そりゃあ父さんとずっとやってるもん」

「少なくともそこらへんの冒険者には負けないくらいには強くなってる」


 多分それはお世辞でもなく本音で言ってる。

 こういうときに父さんは冗談は言わない人だ。


「ただし、シエルが近くにいると視野が狭くなる!」

「関係ないだろ!」

「お、否定が弱いな~」

「うるさい!」


 くっそ。

 最近やたらこういうのでからかわれる。

 いや、シエルを連れてきてからからかいが増えた。

 隙をついて腹パンする。


 痛い。

 鉄かよ。


 父さんは俺を見て愉快そうに笑いながら家の方を見る。


「噂をすれば」


 振り返る。


 家の玄関からシエルが出てきていた。


 長く伸びた空色の髪。

 三年前より少し背が伸びて、顔立ちも幼さが抜け始めている。

 けれど、どこか儚げな雰囲気は変わらない。


 ただ。

 今のシエルは昔みたいな空っぽの笑顔をしなくなった。


「おはよう、ステラ」


 柔らかく微笑む。

 それだけで、胸の奥が少し温かくなる。


「おはよう」


 自然にそう返していた。


 三年。


 シエルが家族になってから、もう三年も経った。


 最初はぎこちなかった。

 ご飯を食べる時も遠慮して。

 眠る時も怯えて。

 誰かに優しくされるたびに困った顔をしていた。


 でも今は違う。


 朝起きればシエルが居るのが当たり前で。

 一緒にご飯を食べるのも当たり前で。

 町へ行くのも、本を読むのも、訓練終わりに話すのも当たり前。


 隣にシエルがいることが、もう日常になっていた。


「またお父さんに負けたの?」

「またって言うな」

「でも負けてた」

「ぐっ……」


 くすくす笑われる。


 その笑い方を見て、父さんがニヤニヤし始めた。


「いやぁ、仲良しだなぁ」

「父さん」

「なんだ?」

「殴っていい?」

「やれるもんならな!」


 挑発的に笑う父さんへ風弾を飛ばす。

 当然みたいに片手で握り潰された。

 ついでに父さんの背後に出していた岩の塊も振り返りもせず結界で弾かれる。

 背後を取ったはずなのに反応される。

 ほんと何なんだこの人。


「相変わらず理不尽だなぁ……」

「ステラがまだまだなだけだ」


 そんなやり取りをしていると、玄関から母さんが顔を出した。


「朝から騒がしいですよあなた達」


 優雅に微笑みながら近づいてくる。

 相変わらず綺麗だ。

 というか母さん年々若返ってない?


「シエルちゃん、おつかいお願いしてもいいですか?」

「はい、もちろんです」


 母さんからメモと財布を受け取るシエル。

 それを見た瞬間、なんとなく口が動いていた。


「俺も行く」


 シエルがきょとんとする。


「今日は訓練あるでしょ?」

「後でやればいいし」

「過保護だなぁステラは」


 父さんがニヤニヤしている。

 うるさい。


 だけどシエルは困ったように笑った。


「大丈夫だよ。もう子供じゃないんだから」

「いやでも」

「すぐ戻るから」


 その言葉と笑顔に、無理に止める理由もなくなる。


「……分かった。気をつけてな」

「うん」


 シエルは手を振って門の向こうへ歩いていく。

 その背中を見送る。


 昔みたいな危うさは減った。

 笑うことも増えた。

 ちゃんと食べるようになったし、夜にうなされる回数も減った。


 でも。


 時々。

 本当に時々だけど。

 シエルは遠くを見るような顔をする。


 何かに怯えるみたいに。

 過去を振り払うみたいに。


「……ステラ?」


 母さんに呼ばれて我に返る。


「そんな顔しなくても大丈夫ですよ」

「え?」

「シエルちゃん、強くなりましたから」


 母さんは優しく笑う。


 確かにそうだ。

 三年前のシエルとは違う。


 魔法だってかなり上達した。

 特に水魔法と水の派生の氷魔法の適正があって才能がある。

 珍しい派生属性なのもあって父さんが生き生きしすぎた結果、魔法だけなら歴が六年の俺に追いついている。


 父さんも「筋がいい」と褒めていたくらいだ。


 だけど、今日はなぜだか胸騒ぎがする。


「それに、ちゃんと帰ってきます」


 母さんのその言葉に、俺はようやく頷いた。


「……うん」


 きっと何もなく帰ってくると信じて。


 シエルの身に危険が迫っていることを知らずに。







ーーーーー


「~♪」


 鼻歌交じりに歩く。


 今は珍しく一人。

 最近はステラとずっと一緒に居たから本当に一人になるのは久しぶりだ。

 別に一人になれて嬉しいわけじゃない。

 というか、寂しい。


 だけど、今日はお母さんのおつかいで出かけている。

 おまけにあまりのお金は自由に使っていいらしい。

 預かった金額的にも残金で一人で遊べるぐらいにはあって、お母さんの気遣いが嬉しい。


 ステラと出会ったきっかけの焼き串を買うのも良い。

 図書館で新しい本を買うのも良いかもしれない。

 なんならお花を買っていつもお世話になってるアルカナ家に贈るのも良い。


 少しして着いた町は今日も賑やかだった。


 露店から漂う香ばしい匂い。

 商人達の呼び込み。

 行き交う人々の笑い声。


 私は買い物袋を抱えながら通りを歩いていた。


 三年前は怖かった人混みも、今では少し慣れた。

 アルカナ家の名前のおかげか、町の人達も優しい。


「シエルちゃん、今日は一人?」

「はい。おつかいです」

「偉いねぇ」


 八百屋のおばさんがリンゴを一つおまけしてくれる。

 ついでに食べ歩きできるぶどうをカップで渡してくれた。

 お、おいしそ~


「ありがとうございます」

「ステラ君にもよろしくね!」


 思わず頬が熱くなった。


 最近、町の人達がやたらそういうことを言ってくる。

 たぶん原因は父さん。

 ステラに連れてこられた次の日に町を案内してもらった時の紹介の仕方のせいだと思う。


 シエルは小さく息を吐きながら歩き出す。


(ステラ……)


 自然に名前を思い浮かべてしまう。


 三年前。

 あの日、手を引いてくれた少年。


 最初はただ眩しかった。

 温かくて。

 優しくて。

 まるで英雄譚の主人公みたいだと思った。


 だけど今は違う。


 もっと近い。

 もっと特別。


 隣にいるのが当たり前になって。

 一緒に笑うのが当たり前になって。

 気づけば、その存在なしの生活が想像できなくなっていた。


 だからこそ。

 ふとした瞬間に怖くなる。


 もし失ったらどうしよう、と。


(……だめだめ)


 頭を振る。

 せっかく楽しい気分だったのに。


 今日は夕飯のシチューの材料を買う約束だった。

 ステラ、絶対いっぱい食べるだろうな。


 そんなことを考えて、少し笑う。


「シエルちゃん、こっちおいで」

「?……串屋のおじさん?」

「静かに早くこっちに来てくれ」


 小声でおじさんが手招きしてくる。

 その様子がどこか焦っていて、目が危険を訴えている。

 何かと思って近寄ってみると、すぐに露店の影に隠された。


「ごめんねシエルちゃん」

「い、いえ……でも、どうしたんですか?」

「……帝国だ」

「…………え?」


 頭が真っ白になる。

 さっきまで聞こえていた町の喧騒が、一瞬で遠くなった気がした。

 呼吸が止まり、全身から血の気が引いていく。


「落ち着きなさい…俺たちゃシエルちゃんの味方だ。ここに隠れててくれ」

「………は、はい…」


 深呼吸をする。

 必死に震える体を抑え込む。


 どうして。

 なんでここに。


 いや、わかってる。

 私を殺すため。


 忘れかけていた。

 あの絶望を。


 カチャンカチャンと鎧の音がすぐそばで止まった。


「店主、ここらへんで空色の髪で銀の瞳の少女を見なかったか?」


 その声を私は聞いたことがある。


 帝国から逃げていたとき、私をもっとも追ってきた男。

 容赦ない槍に傷付けられた記憶が蘇る。


 怒号。

 足音。

 血の匂い。


 呼吸が荒くなるのが抑えられない。


「さぁ~この辺りでは見たことねぇな~」

「そうか。すまなかった」


 少しづつ、鎧の音が遠ざかっていく。


 助かった。


 そう思った次の瞬間。


「かはっ」

「おじさん!!」


 おじさんがその場で崩れ落ちて、腕を抑える。

 その腕からは大量に血が零れていて、おじさんの顔がひどく歪む。


「逃げろ!シエルちゃん!!」

「で、でも……」

「逃げて生きて!俺のことはいいから早く!!」

「っ!!」


 走る。


 帝国の兵がこっちに向かって走ってくる気配を感じる。


 嫌だ。


 嫌だ嫌だ。


 嫌だ嫌だ嫌だ!!


 足は止まらない。

 捕まりたくない。

 死にたくない。


 だけど、それを私は聞き逃さなかった。


「いたぞ!町を包囲し、皆殺しにしつつ逃げられないようにしろ!」


 だめ。


 それだけは絶対にだめ。


 事情を知った上で優しくしてくれる人達を巻き込みたくない。

 私を守ろうとしてくれた人達を傷つけるわけにはいかない。


 死なせたくない。


 だから私は裏路地に飛び込む。

 そのまま町外れに見つかるように走った。


 あの森へ。


 ステラが連れ出してくれたあの冷たい森へ。


「逃がすな!」


 怒号が響く。


 後ろから複数の足音と鎧の擦れる音。

 私にとってトラウマの音。

 それを振り切りたいのに容赦なく迫ってくる。


 速い。


 父さんの指導で訓練は積んできた。

 魔法だって覚えてブーストを使ってる。


 なのに逃げ切れない。


 怖い。


 息が乱れ、視界が滲む。


(やっと着いた)


 躊躇う暇なく森の中に飛び込む。

 木々の枝が頬を掠め、土を蹴る度に滑る。


 止まれるわけがない。

 もし捕まったら、あの地獄に戻るか死ぬだけだから。


「はぁっ……はぁっ……!」


 肺が焼けるように熱い。

 息が続かない。

 苦しい。


 だけど、後ろの足音は消えている。


 …………撒いた?


「見つけたぞ」

「っ!?」


 真後ろから声。


 咄嗟に身体を捻る。


 次の瞬間。


 ゴォッ!!と槍が横薙ぎに振るわれ、さっきまで私がいた場所の後ろの木が吹き飛んだ。


 木片が頬を切り裂く。


「ひっ……!」


 いつの間に回り込まれていた。


 三人。


 前に一人。

 左右に一人ずつ。


「風と水の合成……」

「ほぉ。見ないうちにそこまで成長したか」


 音と気配を消していたのは自前の技術。

 姿も直前まで気づかなかったのは、ステラが三年前に私を追いかけたときの姿を消す魔法。


 三年前。

 ステラが私を探しに来てくれた時に使っていたもの。


 必死に追いかけて。

 見つけて。

 手を伸ばしてくれた私にとって大切な魔法。


 それを、この男は今。

 “逃亡用の技術”みたいに使っている。


 それを侮辱された気がした。


「久しぶりだな。シエル=アルギエバ」

「っ……そ、その名前は捨てた!」


 喉が裂けそうなほど叫ぶ。


「今の私はアルギエバじゃない!」

「どうせくだらない家に匿ってもらっていたのだろう。我々の任務は貴様を連れて帝国に戻り、処刑すること。観念しろ」


 嫌だ。


 まだ手は震えている。

 怖い。

 怖くてしかたない。

 今にも泣きだしたい。


 だけど、今はそれ以上に怒っていた。

 大好きな家族を侮辱したこの男を。


 許せなかった。


「ーーっ!!」


 瞬間、魔力を練り上げる。


 魔法陣が出現し、大量の水を放つ。


「うわ!?」

「ガキのくせに!?」


 その水に押し流され、左右の帝国兵が吹き飛ぶ。

 しかし鎧に守られて痛がる様子が見えない。


 それに、真ん中の男。

 私をずっと追いかけた槍使いの隊長は微動だにしていない。


 もう一度魔力を練り上げる。


「やぁ!!」


 さっき出した水を集め、鋭い氷の槍に形を変える。


 四方八方。

 ありとあらゆる方向から一斉に発射する。


 逃げ場はない。

 意表を突いた攻撃。


 だけど。


「甘い」


 槍の回転切り。


 それだけで氷の槍がすべて粉砕された。


「……っ!」


 やっぱり強い。


「氷は珍しい。いい才能だが、悲しいな」


 視界から隊長が消えた。


「どこーー」


 次の瞬間、腹部に衝撃。


「がっ……!?」


 何が起きたのか理解する前に身体が宙を舞う。


 木々が流れ。

 背中から地面へ叩きつけられた。

 受け身も取れない。

 肺の空気が全部押し出され、呼吸ができない。


 痛い。

 苦しい。


 腹部に受けた衝撃で視界が明滅する。

 呼吸が上手くできない。

 肺が潰れたみたいに息が吸えなくて、口からひゅうひゅうと情けない音が漏れる。


 また使われた。

 姿を消して堂々と私に攻撃をした。


「くっ……」


 地面に手をついて無理やり体を起こす。

 隊長はそんな私を見下ろしている。


「ほぅ」


 感心したような声。


「今ので立つか」

「……ぁ、ぐ…」

「普通の子供なら骨が折れて泣き喚くか気絶しているぞ」


 知るもんか。


 倒れたら終わる。

 捕まったら終わる。

 だから立つ。


 震える膝を無理やり動かしながら魔力を練る。


 恐怖で集中が乱れる。

 だけど、ここで止まったら全部終わりだ。


「まだやる気か」

「……当たり前」


 地面へ手を叩きつける。


 さっき生み出した地面に染み込んだ大量の水をもう一度利用する。


「ーー氷よ!」


 瞬間。

 私を中心に冷気が爆発する。


 地面に染み込ませた水が一瞬で凍りつく。

 凍り付いた地面から無数の氷柱が突き出す。


 木々を裂き。

 地面を砕き。

 帝国兵達へ襲い掛かる。


「ちっ!」


 左右にいた兵士の一人が回避に遅れ、足を凍結される。

 そこへ追撃。


「はぁっ!!」


 水の槍を生成。

 一直線に撃ち放つ。


 水圧を極限まで高めた貫通特化。


 お父さんが見れば「まだ甘い」って言うだろう。

 お母さんはもっと圧縮できる。

 ステラなら違う工夫をした。


 だけど。


 今の私にできる全力。


「ぐぁっ!?」


 槍が兵士の肩を貫いた。


 血飛沫。

 悲鳴。


 初めて。

 私の魔法が人を傷つけた。


 その事実に身体が強張る。


「貴様ァ!!」


 残る兵士が剣を振り上げて突っ込んでくる。


 恐れはある。

 だけど、冷静に。

 頭を冷やせ。


(負けない……!)


 風を纏って加速。

 横へ滑り込みながら水を放つ。


 大量の水が地面へ広がり、泥濘へ変わる。


「なっ――」


 足を取られた。


 その隙に氷結。


 バキバキと音を立て氷の蔦が兵士の下半身に纏わりつく。


「くそっ!」


 動きが止まった瞬間、私は距離を取る。


 勝てるなんて思っていない。


 目的は足止め。

 逃げる時間を作ること。


 そのはずだった。


「悪くない」


 隊長の声。


 もっとも冷気を浴びたはずなのに。


 ぞわり、と。

 背筋が凍る。


 危険と警鐘を本能が鳴らす。


(速いーーけど!)


 速い。


 到底今の私が避けられるような速度じゃない。

 けど、反応できないわけじゃない。


 槍が迫る。


 咄嗟に氷壁を展開。


 ――轟ッ!!


 一撃。


 それだけで氷壁が粉砕された。


「きゃぁっ!!」


 砕けた氷片ごと吹き飛ばされる。

 地面を転がり、腕を強く打った。


 痛い。

 腕が痺れて感覚が薄い。

 それに、骨が折れている。


「魔法の精度は高い。判断も悪くない」


 ゆっくりと近づいてくる。


「だが、経験が足りない」


 勝てないことは分かっている。

 だからこその時間稼ぎ。

 しかし、それさえも崩された。


 頭の中に浮かぶ。


 アルカナ家での楽しかったこと。

 幸せだったこと。

 それを思い出して、最後に


『おはよう、シエル』


 あの笑顔。


「っっ!!!」

「……ほぅ」


 魔力が膨れ上がる。

 その魔力を半分無意識に効率よく制御する。


 周囲の空気が急速に冷えていく。

 地面が。

 木々が。

 空気そのものが凍り始め、白い世界が生成されていく。


「これは……」


 片手を前へ。


 震える指先。

 霞む視界。

 乱れる呼吸。


 満身創痍。

 それでも魔力の制御は精密……否、いつも以上の精度だった。


 この魔法はお父さんに禁止されたオリジナルの魔法。

 私自身も巻き込みかねない特攻に近い魔法だ。


 でも今はこれしかない。

 生きて帰るためにも!


「ーー吹雪よ!!”クリスタル・コキュートス”ッ!!」


 指先から感覚が消えていく。

 冷気が自分の体を蝕んでいき、凍り付いていく。


 それでも止めない。

 止めるわけにはいかない。


 絶対に帰る。

 ステラの隣に。


 次の瞬間。


 森の中へ、白銀の嵐が解き放たれた。

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