帰ろう、シエル
夕食を途中で終えて俺は父さんとともにシエルがいる洞窟へと向かっていた。
夜ということもあり少しだけ肌寒くてシエルが心配だ。
早くかけつきたいと焦って足早になるのを自覚する。
そんな俺を見て、父さんはなんとなくだけど嬉しそうにしている気がする。
「父さん、本当に良かったの?」
「何がだ?」
「シエルは帝国に追われてる身……助けちゃえば目を付けられるかもしれない」
「その時に一番困るのは帝国側だから大丈夫だ。少なくともあいつらは俺に手を出すことはできない」
国が個人に対して何もできないなんてことは普通ならありえないことだ。
流石に冗談のように聞こえるのに、父さんの顔を見るとそれが本気で言っていたことが分かった。
「それに」
「それに?」
「見捨てて得るような平穏なら、最初からいらないさ」
頭に父さんの大きな手が乗る。
本当に父さんは何者なのだろう。
貴族へと成り上がり、その実力は最低でも冒険者ギルドから直々に依頼が来るほど。
錬成魔法で魔道具やアーティファクトを生み出す器用さ。
挙句には帝国相手に啖呵を切れるときた。
一般人でないことは明白。
正体は謎に包まれていて、もし息子として見続けていなければ疑っていたかもしれない。
だけど、幸福なことに俺は父さんの息子だ。
父さんが誰よりも家族を愛しているのがよく伝わってくる。
改めて、俺は父さんのことを尊敬した。
「それに、今だ正せないこっちが悪いからな」
最後に呟いたその言葉は、俺の耳には届かないのだった。
少しすると森の中に入り、父さんから離れないように前に進む。
夜の森は分かっていたが不気味だ。
木々から零れる月の明かりは小さく便りにならない。
やけに土を踏む音と、風で揺れる枝の音が不安を煽る。
正直に言おう。
俺は焦っていた。
もしかしたらあの洞窟にはもうシエルはいないかもしれない。
夕方に別れたとき、半ば無理やりまた来ると言って怒らせている。
もう俺の顔は見たくなくて、違う場所に逃げたのかもしれない。
もし、それで獣に襲われてしまったら……
最悪な想像をしてしまい、体が震える。
「ステラ」
隣の父さんが俺を宥めるように声をかける。
「考えすぎると疲れるぞ」
「で、でも」
「考えるのは俺の仕事。お前は助けたいとだけ考えろ」
「……」
だけど考えてしまう。
父さんがそんな俺の様子をみて仕方ないなと肩をすくめる。
「お前は昔から聡いし賢い。でも、たまには子供らしいところも見せてくれよ」
「父さん……」
「昨日みたいにシエルさんを語る時みたいにな!」
「父さん!!」
顔が赤くなるのを感じる。
風の塊を飛ばすけど軽々と受け流されて、父さんは面白そうに笑っている。
くっそ……一回その顔面をぶん殴ってやりたい。
絶対に無理だけど。
でも、おかげで緊張は解れた。
少しだけ感謝しておこう。
ムカつくけど。
やがて、例の洞窟が見えてきた。
その洞窟の中から橙色の光が漏れている
よかった。
そこにシエルはいる。
その事実に安心して俺は駆ける。
「シエル!」
奥に飛び込み、その名を呼ぶと小さな肩がびくりと震えた。
弱くなっていく焚火の傍で毛布にくるまっていた座っていたシエルが顔を上げる。
「ステラ!」
俺を見てシエルは安堵した表情を浮かべるがすぐにムッとした表情になる。
さっき喧嘩したことを忘れているわけではないみたいで拗ねているのだろう。
しかし、次の瞬間にシエルの表情は凍り付いた。
俺の後ろに居た父さんに気づいたのだ。
無理もない。
大人に対してトラウマを持っているうえに知らない大人が突然現れたのだ。
シエルが後ずさりをする。
狭い洞窟のためかすぐに壁際まで下がってしまった。
その対応も仕方がないだろう。
魔物が蔓延る危険な森の中を子供を連れて怪我無く行動できる実力を持つ大人という見方ができる。
警戒しないほうがおかしい。
俺が説明するために何か言おうとして、父さんが俺の頭に手を乗せて目で訴えてくる。
任せてほしいと。
そして、父さんはシエルを驚かさないようにゆっくりとその場に座り込んだ。
「初めまして。俺はノクティス。このステラの父親だ」
それだけだった。
問い詰めることもなく、ただただ自分の名前と俺の父親として名乗った。
それを聞いてシエルはきょとんとしていた。
「……お父さん?」
シエルがこっちを向いて言外に本当か聞いてくる。
それに縦に頷いて本当だと伝える。
「そうそう。昨日からステラは君の話ばっかりでな?からかいがいがあるのなんのって」
「父さんっ!!!」
「おっと」
くそ、また避けられた。
父さんは慌てている俺を見て愉快そうに腹を抱えている。
シエルも一瞬だけ目を丸くして、恥ずかしそうに視線を逸らしている。
でも、おかげで少しだけ空気が和らいだ。
俺の犠牲ありきだけど。
父さんは洞窟の中を見渡している。
狭い空間に冷えた岩肌。申し訳程度の焚火は消えかけていて、隅に寄せられた毛布と木箱の寝床。
あまりにも劣悪な環境なのに父さんは顔色一つ変えず、ただ一歩前に出る。
「ある程度のことは聞いている」
その瞬間、シエルの肩が震えて視線が下に落ちる。
小さい指先が毛布をギュッと握りしめていた。
「……そう、ですか…」
消え入りそうな声だった。
「別に詳しいことを聞くつもりはないし、言いたくもないだろう。だけど、一つだけ確認したいことがある」
恐る恐る。
ゆっくりとシエルが顔を上げる。
その銀の瞳には不安が滲んでいて、体が小さく震えている。
父さんはそんなシエルにあくまでも穏やかにほほ笑み、問いかける。
「お腹、空いてるだろ?」
「…………え?」
青天の霹靂といった様子でシエルが固まる。
いや、俺も固まった。
え、そこ?
いや、うん…大事は大事だけども。
「俺の妻…まぁステラの母さんが夕食を用意して待ってる。あったかいスープもあるぞ?」
シエルの喉が小さく鳴った。
「それを食べながら話さないか?」
洞窟の中が沈黙で包まれる。
シエルは俯いたまま動かない。
長い静寂が訪れ、それを破ったのシエルだった。
「……なんで」
まるで絞り出したかのような声でシエルが呟く。
「なんで、ステラもあなたもそんなに優しいんですか」
その声はあまりにも小さくて、泣きそうで。
聞いているだけで胸が苦しくなる声だった。
父さんはすぐには答えなかった。
少しだけ困ったように頭を掻いて、それから笑った。
「優しいかどうかは知らん。ただ」
父さんはシエルの頭にぽんと手を当て、撫でる。
「愛息子が助けたいって言った子だからな」
シエルが顔を上げ、瞳が大きく揺れる。
俺も息を呑む。
それはずるすぎるだろ。
胸が温かくなるのに、妙に照れてざわざわする。
シエルは何かを言おうと口を開くが、言葉にならず唇を震わせる。
そして、その瞳に涙がじわりと浮かんだ。
その涙はすぐに零れることはなかった。
ただ、シエルは張り詰めた糸のように震えている。
その姿を見て、俺は何も言えなかった。
言葉をかけるべきなのに、全部壊れてしまうのが怖くて何も言い出せなかった。
「行けません」
震える声。
しかし、覚悟が込められた声だった。
「シエル……」
「私は行っちゃだめなんです」
自分に言い聞かせるようにもう一度。
もはや強く握りしめたせいで手は白く、また俯いてしまった。
俺がどうしようか焦っている中、唯一父さんだけが落ち着いている。
父さんはシエルを肯定も否定もせず、微笑みを絶やさず黙って聞いている。
「帝国が…ステラもあなたも狙うかもしれない」
シエルが唇を噛む。
「それに……慣れていないから」
「慣れて……いない?」
「うん……優しくされるの」
その一言が深く胸に刺さった。
シエルはぽつぽつと壊れたように話し始める。
「お母さんがいた時はまだよかったの……でも、そのお母さんもだんだん優しくなくなって、お母さんが自殺してからは誰も…」
言葉が止まる。
認めたくない、受け入れたくないから。
それでも、絞り出すように続ける。
「誰も優しくなんてしてくれなくて、わからなくなった!」
「期待すると苦しいって覚えたの!」
ぽたり、と。
ついに涙が地面に落ちる。
「ステラは今まで会った人の中で一番優しかった……ノクティスさんも優しくて、ご飯も安心して眠れる場所を与えようとしてくれる……」
嗚咽を押し殺そうとして、それでも隠し切れずに漏れてしまう。
「もし、またそれを失ったら……もう、私は生きれない…!」
シエルは両手で顔を覆った。
洞窟の中に、ただただ悲しい抑えようとして苦しそうな泣き声が響く。
今、俺は息が出来ているのだろうか。
失うばかりの人生。
優しさがなくなっていく見てきて。
居場所を失って。
信じるものそのものがない。
だから望まないようにしていた。
望んで、裏切られて自分が保てるとは思わないからと夢を見るのを諦めていた。
そして、一人で居ようとしている。
そんな彼女を俺は勝手に連れて行こうとしている。
それはある意味でもっとも酷い仕打ちなのかもしれない。
まだ保たれているシエルの心に止めを刺してしまう行為なのかもしれない。
そう思ってしまった。
だけど。
そうだったとしても。
その手を握らない理由にはならないはずだ。
「シエル」
名前を呼ぶ。
シエルは涙で濡れた顔を上げる。
その目は赤くなっていて、今にも壊れてしまいそうな危うさがある。
だから俺は何かを言おうとして。
父さんが手を挙げて静止し、振り返る。
その目からは、ここは任せてほしいと訴えていて俺は口を閉じる。
「そりゃあ怖いよな」
父さんは再びシエルを撫で始める。
責めるでもなく、説得するわけでもない。
ただ、当たり前のことを言うように穏やかに言うだけ。
「失うのは誰だって怖いし、信じられないのも当然のことだ。俺だってルナやステラに見捨てられたくないし、失いたくない」
父さんは続ける。
「信じてほしいなんて軽い言葉は言うつもりはない」
冷たいはずの洞窟の中で響くその声はやけに温かく感じる。
「どんどん疑ってくれ。怖がったっていいさ。逃げてもいいし、俺を殴って怒りをぶつけるのもいい」
シエルが目を見開く。
そんなシエルに父さんは笑顔で返した。
「それでも一度だけうちに来て、ご飯を食べてお風呂に入って眠ってみないか?なんならステラの添い寝つきだ」
「……え」
「なに言ってんだ父さん!!」
最後の余計な一言でシエルは顔がみるみるうちに赤くなって、俺もそうなるのを実感する。
とりあえず風の塊をぶつけるけど、今度は振り向きもせずシエルを撫でる反対の手で握りつぶした。いつか絶対殴ってやる……
「もしそれが嫌なら、ステラは振られたってことになるな!」
「殺すぞ父さん!」
「やれるならやってみな!」
本当に何を言ってんだこのバカ親父!
でも父さんと取っ組み合い(俺が劣勢)をしていたら、くすくすと笑う声が聞こえる。
「そんなのずるいですよ」
シエルは涙を拭い取る。
「ステラに不名誉をつけたくないですし」
「シエルゥ……」
「ふふっ、ごめんごめんステラ」
俺は気づく。
いつの間にか、遊んでいるときの楽しそうなシエルに戻っていることに。
「……お願い、ステラ」
シエルは手を伸ばす。
「私を連れて行って」
「もちろん……帰ろう、シエル」
その手を掴む。
無意識に握る力が強まり、シエルの壊れそうな細くて小さな手が負けないようにぎゅっと握り返した。
「よし、ステラの嫁候補確保!」
「色々台無しだこのバカ親父!!」
「……///」
シエルを連れて家までの帰り道、俺はシエルと手を繋いで先行する父さんに着いて行っていた。
掴んでくれているその手は小さいのに温かくて胸がいっぱいになる。
だが、その直後だった。
シエルの手がぴくりと震え、握る力が弱まった。
どうしたのかと様子を見て、父さんも気づいたのか振り返る。
シエルの顔には不安が色濃く残っていた。
そして、消え入りそうな声で呟く。
「でも……本当に大丈夫なの?……帝国が」
確かにシエルの説得はうまくいった。
だけど、一番の問題はかたづいていない。
「ん?あぁ、そんなことか」
「そんなことって……」
でも、父さんは楽観的で少し責めるような視線を向ける。
「アルカナ」
「……え」
「俺の名前はノクティス・アルカナだ。これで安心だろ?」
「何言ってんだ父さん……名前だけじゃ解決なんて……シエル?」
突然変なことを言い出した父さんに呆れて何か言おうとして、ふとシエルの動きが止まったことに気づく。
名前を呼んでみるけど、反応はなくて大きく目を見開いて驚いている。
「もしかして……あのアルカナ?」
「そのアルカナで間違いない。俺とルナがいる限り、帝国どころかどの国も俺達には手を出せない」
「え、え、え、どういうこと?」
俺だけが何も理解できず頭がこんがらがる。
え、ガチでどういうこと?
「えっとねステラ。昨日と今日で図書館で読んだ英雄譚あるでしょ?」
「う、うん」
「それに出てきた7人の英雄の名前は英雄譚には書いてなかったけど、帝国に居た時に王族はみんな知っていて、その一人の家名がアルカナなの」
「ん???」
「それに多分なんだけど、ステラのお父さんの奥さんもその一人で……確か家名はクライシス」
「俺と結婚する前のルナの家名だな」
「ん~???」
「その名前も英雄の一人……」
「あ、ステラが処理しきれなくてパンク寸前だ」
「え!?ステラしっかりして!!」
拝啓、前世の家族へ。
どうやら俺は凄い家に転生したようです。
うん、そりゃあ自信があるわけだ。
だって、例の英雄譚は事実をもとにしているわけで、その英雄譚の英雄達は化け物だったし。
「ま、そういうことだから危険はない。あいつらも俺が怖いだろうし、万が一何かしてきたら」
「「し、してきたら……?」」
「地図から消えることになるな」
「「こ、こわい……」」
ガチだ。
あの顔はガチの顔だ。
俺とシエルは一緒に震えた。
「ほら、そんなことより美味しいスープが待ってる。早く帰ろう」
そんなことで片づけていい話ではないと思う。
だけど、父さんの言う通りだ。
帰ろう。
あの家に。




