犬猿の仲
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なんだこいつは……!?イケイケだし、チャラいし、何より初手からの距離感がバグっている。美玲先輩のことを当然のようにちゃん付けで呼んでいるあたり、圧倒的な陽キャの波動を感じる。これまで日陰を歩んできた俺にとっては、天敵と言ってもいい人種だ。
「あっ!早坂先輩!」
「久しぶり、美玲ちゃ――」
気さくに笑いながら美玲先輩の言葉に応じようとした先輩だったが、その言葉が途中でピタリと止まった。美玲先輩の斜め後ろ、パイプ椅子にドカッと腰掛けたまま、般若のような顔でこちらを睨みつけているみるきー先輩の姿がその視界に入ったからだ。
みるきー先輩を見た瞬間、早坂先輩の整った顔がみるみるうちに強張っていく。
「何でお前がいるんだよ……!」
さっきまでの余裕たっぷりで甘ったるいトーンが嘘のように消え失せ、早坂先輩の口から低く尖った声が漏れた。対するみるきー先輩もふんと鼻で笑いながら、椅子の背もたれに深く体重を預ける。
「はぁ……。私がせっかくの休みに様子を見に来てあげた日に限って、これだもん。ほんとタイミングの悪い男」
「それはこっちのセリフだ。何でよりによって今日なんだよ……。お前が来ると分かってたら、差し入れのグレードもうちょっと下げたわ」
「何?文句?そもそもあんたは天文部じゃないから不法侵入で通報してあげようか?」
「天文部だ!ていうか今はお前も天文部じゃねぇだろ!」
バチバチと、二人の間で目に見えない火花が散る。
(仲悪そう……!)
一瞬にして部室の気温が数度下がったような錯覚に囚われ、俺は思わず美玲先輩の背中に隠れるようにして一歩下がった。美玲先輩は美玲先輩で「あちゃー……」と言いたげに両手で顔を覆って小さくなっている。さっきまでの美玲先輩とみるきー先輩の微笑ましいじゃれ合いとは完全に質が違う。この2人の間にあるのは、間違いなくガチの犬猿の仲の空気だった。
「仲良く喧嘩しなさいよ、もう……」
美玲先輩が指の隙間から二人を見上げて、困ったように眉を下げて呟く。その時だった。バチバチと火花を散らしていた早坂先輩の視線が、ふと美玲先輩の背後に隠れきれていない俺の姿を捉えた。
「――あれ。知らない顔。1年生?」
早坂先輩が瞬時に険のある表情を消し、きょとんとした顔で俺を見つめる。
「そうです! 新入部員ですよ! 立河衣織くんです!」
美玲先輩が待ってましたとばかりに、俺の肩をぽんと叩いて嬉しそうに胸を張った。すると、早坂先輩の顔がパッと、まるで五月晴れのような眩しい笑顔に変わる。
「おぉ! ほんと?よかったよかった! いやー、美玲ちゃんが毎日『部員が誰も入ってくれない!廃部になっちゃう』って泣き言のライン送ってくるからさ、俺も心配してたんだよね。入ってくれてありがとう!立河くん!」
早坂先輩はそう言うと、持ってきたオシャレな紙袋を俺の前に差し出した。
「これ、来る途中で買ってきたタルト。新入部員への歓迎も含めて、立河くんも美玲ちゃんも遠慮しないで好きなだけ食ってよ」
「ありがとうございます……」
俺は差し出された紙袋を恐る恐る受け取った。さっきまでの、みるきー先輩に向かって放っていたトゲだらけのオーラはどこへやら。俺と美玲先輩に対しては、めちゃくちゃ気前が良い。イケイケな雰囲気に身構えていたけれど、もしかして、すごく良い先輩なんじゃ……。
「あ、自己紹介が遅れちゃったね。俺は経済学部四年の早坂春人。半年前に引退したんだけど就活も終わって今は暇してるからさ、たまにこうやって様子見に来てんの。これからよろしく立河くん!」
「あ、はい! 立河衣織です。よろしくお願いします、早坂先輩……!」
屈託のない笑顔で右手を差し出され、俺はホッと胸をなでおろしながら、その手をしっかりと握り返した。陽キャの波動にビビっていたけれど、優しそうな先輩で本当に良かった。そう心から安堵しかけた、その時だった。
「衣織。騙されちゃダメよ。そいつはただの息を吐くように嘘をつく、中身スカスカの男だから」
冷徹な、絶対零度の声が部室の空気を切り裂いた。後ろを振り返ると、パイプ椅子に座ったみるきー先輩が、肘を机について顎を乗せ、死んだ魚のような目で早坂先輩を睨みつけていた。
「え?」
俺が声を上げると、みるきー先輩はフンと鼻を鳴らして俺を見る。
「そいつの『心配してた』なんて大嘘。どうせ暇を持て余して、美玲に構ってもらいに来ただけでしょ。タルトだって、本当は駅前でナンパしようとしてフラれて、余ったから持ってきたに決まってるわ」
「お前な……! せっかく良い感じの雰囲気だったのに邪魔すんなよ!」
早坂先輩が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「何がナンパでフラれただ! 言いがかりもいいとこだろ! 俺は純粋に、可愛い後輩たちのために身銭を切って高級タルトを買ってきたの! お前の一緒にすんな!」
「あら、私はそこの高級シュークリーム、美玲のために『わざわざ』並んで買ってきたのよ。アンタのついでに買ってきたようなタルトとは愛情の総量が違うわ」
「俺だって並んだわ!30分!」
「私は50分!」
再び始まった、4年生同士の低次元かつ激しい言い争い。さっきまでの「優しそうな先輩」のイメージが、みるきー先輩の容赦ない暴露によって一瞬でグラグラと揺らぎ始める。
「あ、あはは……。まあまあ二人とも衣織くんが困ってますから……」
美玲先輩が引きつった笑顔で仲裁に入ろうとするが、火のついた二人は止まらない。俺は手元にある高級シュークリームの箱と、新しく加わったオシャレなタルトの紙袋を交互に見つめながら、これから始まる大学生活のとてつもない前途多難さを予感せずにはいられなかった。
「50分とか嘘つけ!そんなに並ばねえだろ!」
「嘘じゃないわよ!途中で店員さんが列の整理に来るくらい混んでたんだから!」
机を挟んで身を乗り出し、子供のようにつまらない意地の張り合いを続ける4年生2人。その凄まじい熱量に圧倒されながら、俺は一歩、また一歩と美玲先輩の隣へ避難した。美玲先輩はそんな俺の様子に気づくと、申し訳なさそうに肩をすくめて苦笑いを浮かべる。
「ごめんね衣織くん……あはは。いつも2人揃うとああなっちゃうの」
「いえ……大丈夫です。その……賑やかですね」
俺が本心を半分伏せながらそう答えると、美玲先輩はどこか愛おしそうに目を細めて「そうなんだよ〜」と頷いた。
「だから半年前に先輩たちが引退していなくなった時、本当に寂しくてさ。急に部室が広くなったみたいで、一人でポツンと座ってると、ため息ばっかり出ちゃって……」
寂しげに微笑む美玲先輩を見て、昨日の夜、暗い屋上で彼女が一人で夜空を見上げていた姿が脳裏をよぎった。あの孤独を美玲先輩はずっと一人で抱えていたんだと思うと、胸が少しだけ締め付けられる。
「あのちなみに……引退した先輩って、まだ他にもいるんですか?」
「ううん。いないよ〜。たまに手伝ってくれる人とかいたけど、正式な部員だったのはこの2人の先輩と私だけ」
「そうなんですね……」
4年生2人、2年生1人、そして1年生の俺。少しずつこの天文部の全体像が見えてきたところで、美玲先輩が「よしっ」と手を叩いた。
「じゃあ先輩たちの差し入れも揃ったところで、今度こそ作戦会議、始めちゃいましょう!」
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