表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
63/96

第63話 名前のない投げ銭

 投げ銭には、名前がつく。


 普通はそうだ。


 酒神バッカス。


 鍛冶神ヴォルカン。


 月神ルナ。


 名のある神が投げ、神貨が届き、時に加護が乗る。


 そこには、少なくとも形があった。


 誰が。


 何を。


 何のために。


 もちろん、神々の考える「ために」など、だいたい信用ならない。


 それでも、名前はあった。


 だから、ブルーノがその履歴を見つけた時、最初に言ったのはこうだった。


「気持ち悪いですね」


 赤猫亭の隅。


 朝食後のまだ客が少ない時間。


 ブルーノは端末を卓に置き、アルトにだけ見える角度にした。


 画面には、投げ銭履歴が並んでいる。


 神貨。


 日時。


 対象配信者。


 付与効果。


 神名。


 見慣れた項目が続く。


 その中に、一行だけ、欠けたものがあった。


【神貨:一〇〇】


【対象:奈落新人アルト】


【付与効果:なし】


【送信神名:――】


【照合状態:完了】


 アルトは目を細めた。


「完了してるのに、名前がないのか」


「はい」


「匿名投げ銭みたいなやつじゃないのか」


「神界配信に匿名投げ銭はありません」


「ないのか」


「ないです。神々は名前を出したがります」


「偏見じゃないのか」


「実務です」


 ブルーノは嫌そうに言った。


「支援履歴は、神々にとって記録です。誰がどの配信者を見たか。何に神貨を使ったか。どの場面に反応したか。それが神格や信仰にも関係する。だから、普通は消しません」


「じゃあ、これは何だ」


「分かりません」


「またそれか」


「最近、分からないことが増えました」


 ブルーノは端末を指で軽く叩いた。


「ただ、これが変なんです。神名がないのに、照合状態は完了している。付与効果なしなのに、神貨だけは届いている。しかも、あなたの配信履歴に残っている」


「いつのだ」


「第1部の終盤です」


 アルトの指が止まった。


「終盤?」


「ええ」


 ブルーノは履歴の日時を拡大する。


 黒鐘門よりずっと前。


 赤猫亭にまだ全員が揃い切っていない頃。


 奈落に慣れたようで、まだ何も分かっていなかった頃。


 手帳を持ち、帰還条件の通知を見て、芋を食って、神々のコメントに文句を言っていた頃。


 その時間に、一行だけ、名前のない神貨がある。


「覚えてるか」


「いいえ」


「俺も覚えてない」


「一〇〇神貨なので、目立ちません」


「安いな」


「あなたの初期相場では、ありがたい金額です」


「言い方」


「事実です」


 ミアが横から覗こうとした。


「お金?」


 ブルーノは画面を伏せた。


「見ないでください」


「見てない。見ようとしただけ」


「それが駄目です」


「最近みんな細かい」


「昨日から細かくならないと死ぬ話が増えました」


「嫌な世の中」


 ミアはそう言って、芋だけ取って去った。


 ブルーノは画面を戻す。


「この履歴、普通の検索では出ません」


「じゃあ、何で出た」


「穴の形を見たからです」


「またその言い方か」


「便利なので」


「便利な言葉は危ない」


「あなたも使っています」


「使ってない」


「昨日から『まし』ばかり言っています」


「ましはいい」


「ずるい」


 ブルーノは小さく息を吐いた。


 それから、表情を戻す。


「昨日、旧配信記録の空白を追いました。その時、あなたの過去の支援履歴にも一箇所、同じような空白がありました。神名だけがない。けれど、処理は完了している」


「誰かが消した?」


「可能性はあります」


「神が?」


「神なら、痕跡がもう少し違うと思います」


「じゃあ」


 アルトは言いかけて、止めた。


 名前をつけると、見つかる。


 まだ、そのルールは有効だ。


 ブルーノも同じところで止まったらしい。


「神ではない誰かが、とは言いません」


「言ってるようなもんだろ」


「言ってません」


「面倒くさいな」


「面倒くさくしないと危ないんです」


 ブルーノの声は軽くなかった。


 ◇


 昼前、ルナを呼ぼうとして、アルトはやめた。


 呼ぶ。


 その言葉自体が、少し引っかかる。


 神を呼ぶ。


 名前を呼ぶ。


 見つけられる。


 どこからが危ないのか、分からない。


 分からないなら、少なくとも今は避ける。


 アルトは端末を閉じた。


 代わりに、腰袋から金属片を出す。


 卓に置く。


 かん。


 小さな音がした。


 ブルーノが顔を上げる。


「それ、便利ですね」


「便利じゃない。道具だ」


「ガルドさんみたいなことを言い始めましたね」


「嫌だな」


「嫌なんですか」


「いや、悪くはない」


 言ってから、アルトは少しだけ黙った。


 ブルーノも何も言わない。


 その言葉は、まだ軽く戻ってこない。


 それでも、完全に消えたわけではないらしい。


 アルトは金属片を指で押さえた。


「これを鳴らすと、少し落ち着く」


「黒鐘とは違うからですか」


「たぶんな」


「記録に残らない音ですしね」


 ブルーノのその言葉に、アルトは顔を上げた。


「何だって?」


「え?」


「今の」


「記録に残らない音、ですか」


 ブルーノは少し考えた。


 それから、端末を開く。


「黒鐘門の音は神界記録に残ります。鐘そのものが観測装置みたいなものなので。声、悲鳴、魔物の反応、崩落音、いろいろ拾われます」


「ああ」


「でも、トマの金属片の音は、最初、記録には残っていませんでした。ミアさんが聞いた。アルトさんたちが追った。こちらの動きで初めて意味が出た」


「神々は聞いてなかった」


「聞いていたとしても、意味をつけていませんでした」


 ブルーノは履歴の一行をもう一度開いた。


【付与効果:なし】


【送信神名:――】


【照合状態:完了】


「この神貨も、似ているかもしれません」


「音と投げ銭が?」


「意味をつけられていない支援です。神名がない。加護もない。だから、神々の一覧では目立たない。でも、届いている」


「誰かが、鳴らした?」


「投げた、ですね」


「どっちでもいい」


「よくはないです」


「今はいい」


 アルトは画面を見る。


 名前のない一〇〇神貨。


 何も起こしていない。


 何も付与していない。


 ただ、届いた。


 それだけ。


「これ、俺に何か影響あったのか」


「分かりません。付与効果なしなので、通常なら影響なしです」


「通常なら」


「はい」


 ブルーノは嫌そうに言う。


「最近、通常が役に立ちません」


 アルトは椅子にもたれた。


 天井を見る。


 赤猫亭の天井は古い。


 煤で少し黒い。


 そこに神界通知は流れない。


 だから、少し安心する。


「一〇〇神貨って、誰でも投げられるのか」


「神なら」


「神なら、か」


「ただし、神名がない神はいません」


「いないのか」


「少なくとも、神界配信に参加できる神には」


「じゃあ、参加してない奴か」


 ブルーノが黙った。


 言いすぎた。


 アルトも分かっている。


 言葉に形がつき始めている。


 その形を、誰かが見つけるかもしれない。


 ブルーノは小さく首を横に振った。


「今のは、聞かなかったことにします」


「俺も言わなかったことにする」


「言いましたけど」


「便利に忘れろ」


「それは無理です」


「役に立たないな」


「覚えるのが仕事なので」


 ブルーノはそう言って、画面を閉じた。


 ◇


 ルナは夕方に来た。


 呼んでいない。


 呼んでいないのに来た。


 それだけで、アルトは少し嫌な顔をした。


「呼んでないぞ」


「呼ばれていないので来ました」


「余計悪い」


「名前を呼ばれるより安全です」


「それはそうかもしれないけど、理屈が嫌だ」


 ルナはいつもの席に座った。


 今日は芋を持っていない。


 かわりに、マルタが何も言わずに皿を置いた。


 芋が二つ。


 ルナは少し嬉しそうな顔をした。


「神への供物ですね」


「飯だよ」


 マルタが言った。


「はい」


 ルナは素直に頷いた。


 それから、アルトを見る。


「見つけましたか」


「何を」


「名前のないものを」


 アルトとブルーノは顔を見合わせた。


「お前、見てたのか」


「見ていません」


「じゃあ何で分かる」


「見られていない場所が、少し動いたからです」


「分かりにくい」


「分かりやすく言うと、危ないので」


 ルナは芋を割った。


 湯気が立つ。


 昨日よりは、少しだけいつも通りに見える。


 だが、目は笑っていない。


「神名のない神貨だ」


 アルトは言った。


 言っていいのか迷ったが、これは名前ではない。


 欠けたものの説明だ。


 ルナの手が止まる。


 ほんの一拍。


「そうですか」


「知ってるな」


「見たことはあります」


「誰のだ」


「名前がありません」


「そういう返しは聞き飽きた」


「私も、言い飽きました」


 ルナは芋を置いた。


「でも、本当に名前がありません。少なくとも、神々が呼べる名前は」


 ブルーノが身を乗り出した。


「神ではない、ということですか」


「神ではない、と言えば形になります」


「では、神だと?」


「それも形になります」


「……面倒ですね」


「はい」


 ルナは頷いた。


「だから、私は昨日から面倒な顔をしています」


 アルトは端末を開かないまま聞いた。


「危ないのか」


「今すぐに、ではありません」


「その言い方は危ない時の言い方だ」


「はい」


「認めるな」


「ごまかしても、あなたは怒るでしょう」


「怒るな」


「いえ。怒る方です」


 ルナは少しだけ笑った。


 ほんの少し。


「神名のない神貨は、支援ではありません」


 アルトの背中が、少し冷えた。


「支援じゃない?」


「少なくとも、私たちが普段言う意味の支援ではないと思います」


「じゃあ何だ」


「印に近い」


 ブルーノが眉を寄せる。


「印?」


「ここにいる、と示すもの。あるいは、ここにいた、と残すもの」


「投げ銭じゃなくて、足跡か」


 アルトが言うと、ルナはゆっくり頷いた。


「近いです」


「誰の」


「名前をつけないでください」


「またそれか」


「はい」


 ルナの声は柔らかい。


 だが、譲らない。


「それを探すなら、足跡として見てください。送り主ではなく、残った形として」


「穴の形を見る」


 ブルーノが言った。


 ルナは頷く。


「それが一番ましです」


「まし、か」


「便利な言葉ですね」


「危ない言葉でもある」


「ええ」


 ルナは芋を口にした。


 今度は、少しだけ美味しそうだった。


 ◇


 夜、ブルーノは名前のない神貨の前後を並べた。


 直接検索はしない。


 その日の配信記録の周辺だけを見る。


 何があった日か。


 何の直後か。


 誰がコメントしたか。


 どの神が支援したか。


 どこが欠けているか。


 画面には、断片が並ぶ。


【奈落第二層:帰還条件通知後】


【手帳記録:参照あり】


【月神ルナ:視聴中】


【酒神バッカス:神貨五〇〇】


【鍛冶神ヴォルカン:神貨三〇〇】


【送信神名:――:神貨一〇〇】


【付与効果:なし】


【観測ログ:一部欠落】


 アルトは、そこから目を離せなかった。


「帰還条件通知後」


「はい」


「手帳を見た日か」


「おそらく」


「その後に、名前のない神貨」


「はい」


 ブルーノは次の行を開く。


【関連語:帰――】


【関連語:――迎えではない】


【関連語:照合不可】


 手帳と同じ断片。


 アルトの胸が鳴る。


 心臓ではない気がした。


 もっと奥。


 昨日からずっと引っかかっている場所。


「繋がってるな」


「繋がっている、とはまだ言えません」


「じゃあ、隣にある」


「それなら言えます」


 ブルーノは画面を少し引く。


 直接の答えはない。


 あるのは、隣り合った空白だけ。


 手帳。


 帰還条件。


 迎えではない。


 名前のない神貨。


 おかえりなさい。


 どれも名前を呼べば危ない。


 でも、呼ばなくても、形は見えてくる。


「第七層到達者の記録は?」


 アルトが聞く。


「まだ触っていません」


「触らない方がいいか」


「今は」


「だよな」


 ブルーノは小さく頷いた。


「ただ、一つだけ」


「何だ」


「名前のない神貨は、この一回だけではありません」


 アルトは顔を上げた。


「他にもあるのか」


「少なくとも、三件」


「俺に?」


「一件はあなた。残り二件は、旧配信記録です」


「名前は」


 ブルーノは首を横に振る。


「出しません」


「出すな」


「はい」


 画面に二行だけ表示される。


【旧配信記録:第七層到達者】


【送信神名:――:神貨一〇〇】


 もう一行。


【旧配信記録:同行者欠落】


【送信神名:――:神貨一〇〇】


 アルトは息を止めた。


 同じ金額。


 同じ欠落。


 同じ足跡。


「これ、投げ銭じゃないな」


 アルトが言う。


 ルナの言葉が戻る。


 支援ではない。


 印に近い。


 ここにいる。


 ここにいた。


 誰かが、三人に同じ印をつけた。


 あるいは、三人のそばに同じ足跡が残った。


 アルト。


 第七層到達者。


 同行者。


 名前を出さなくても、分かってしまう。


 分かってしまうことが、怖い。


 ブルーノは端末を閉じた。


 その動きは、昨日より早かった。


「今日はここまでです」


「同感だ」


「珍しいですね」


「俺でも分かる時は分かる」


「分かると危ない時もあります」


「だからやめるんだろ」


「はい」


 店の奥で、鍋が鳴った。


 かん。


 アルトは反射で顔を上げる。


 黒鐘とは違う音。


 それでも、何かを知らせる音。


 マルタが厨房から顔を出した。


「飯、冷めるよ」


「今行く」


 アルトは立ち上がった。


 腰袋の中で、金属片が少し揺れた。


 音は鳴らない。


 でも、そこにある。


 ◇


 その夜。


 アルトは自分の部屋で、端末を開かなかった。


 手帳も開かなかった。


 金属片だけを机に置いた。


 名前のない神貨。


 支援ではない投げ銭。


 足跡。


 印。


 帰還条件通知後。


 手帳。


 迎えではない。


 考えれば考えるほど、言葉が形を持ちそうになる。


 だから、考えるのをやめる。


 やめようとした。


 もちろん、やめられない。


 窓の外では、赤猫亭の看板が夜風に揺れている。


 遠くで誰かが笑う声がした。


 神界コメントではない。


 ただの通りの声。


 アルトはそれを聞いた。


 聞いてから、少しだけ安心した。


 机の上の金属片を指で弾く。


 かん。


 小さな音が部屋に落ちる。


 誰にも届かない。


 神々にも、たぶん。


 でも、アルトには聞こえた。


 それで今は十分だった。


 その時、閉じた端末が一度だけ震えた。


 通知音はない。


 画面も光らない。


 ただ、震えた。


 アルトは端末を見た。


 開かない。


 開かないまま、手を伸ばす。


 端末の端に触れる。


 冷たい。


 何も表示されない。


 それでも、指先に妙な感覚が残る。


 誰かが投げたのではない。


 誰かが呼んだのでもない。


 ただ、そこに足跡がついたような。


 アルトは端末から手を離した。


「……名前はつけない」


 小さく言った。


 部屋の中で、金属片だけが黙っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ